これは7月24日のル・モンド記事です。当日読んでからすぐ翻訳始めたんですが、滞在許可証更新の書類集めやら突然の読書モードでしばらく放っておりました。選挙も近づいているのに、久しぶりに眼を通したグーグル・ニュース日本語版では、地震・台風系記事さえ少なく選挙関係はさらに少なくて驚きました。在外者投票もたしかこの水曜からなので、もう一度翻訳トライします。
東京特派員のフィリップ・ポンス氏が日本政治状況を仏人読者にむけて短くまとめています。日本滞在が長いポンス氏の記事は、日本の変容ぶりを理解できない“浦島”猫屋にはいいレジュメになります。なお、不明解あるいは理論的でない部分がありましたら勝手に訳したアタクシの責任であります。
Japon : vers un changement de majorité politique, par Philippe Pons
日本:政治与党の交代に向けて、フィリップ・ポンス
ルモンド2009年7月24日 東京特派員
これまで半世紀以上の間、日本は政権交代を経験しなかった。『砂漠の横断(
19331993-1994)』を例外として自民党(PLD)が常に国を動かしてきた。だが8月30日の衆院選では、主要野党である日本民主党 (PDJ)の前に敗北する危険がある。もしもそうなった場合、2年の間に、二院とも野党の手に移ることになる。『歴史的』敗北だ。しかし民主党によって約束された変化は、そのスローガンのレベルまで実現されるのだろうか?日本政治の事なかれ主義は人々を狼狽させる。これは選挙民の及び腰なのか、あるいは根強い保守主義なのだろうか?自民党はこの国を世界経済ナンバー2にした。その政治内容が冷戦という時代に適応していたという理由で、自民党は政権を保持してきたのだが、冷戦が終わった後もその政治は変わることがなかった。米国の敗戦国であり、米国に防衛依存する日本は、国家復興と大多数の国民の生活向上に専念した:差異は存在したがすべての階層が成長の成果を受け取った。
1960年から1980年までの自民『黄金時代』に、自民党はリアリズムを独占し、平和主義を支えとした社会党野党は理想主義者とみなされていた。中道左派から右派の流れで構成された自民党は、何十年もの間、政治論争をその領域内にとどめることに成功した。1955年での二つの保守勢力結合後、ある『内部民主主義』が、この党のプラグマティックな反応活性性を可能とした。社会補償の補正とと政治化に着手し、野党からそのイニシアティヴを奪い、この党はクライアントを満足させるため公共事業という糧を大幅に用いた。1970年代、田中角栄首相によって『金権政治』は権力中枢システムにまで及んだ。
国庫が満たされている間、このシステムは機能し続けた。『スペキュレーション・バブル』の崩壊(1990年代初頭)、続いて不況が票集めメカニズムの調子を狂わせた。しかし自民党は中道派との同盟のおかげで権力を保った。そして、マシンは動かなくなる:リベラル-デモクラットはその手腕を失う。
社会自体も変化していた:大多数の人々が幅広い中間層に自分は属すると考えていた何十年か前にくらべ、均等性を欠くようになった日本社会は、自民党のクライアントが作る組織網から逸脱するさまざまな要求を表明した。窮地に立った党は、選挙結果の鍵である都市部における票確保の保証もないまま、(農民を手始めとした)クライアントたちを、“裏切る”ことになる。
今日自民党 を“沈めている” 麻生太郎首相の不適応性は、党斜陽の附帯現象でしかない。この国に新しい方向性を与えるという希望の上にポピュラリティを築き2001年から2006年まで首相であった小泉純一郎の時代がそうであったように、選択を延期するばかりだ。その(訳注;小泉)時代に、社会格差が拡大したが、“永続的な貧困階層” の発生はなかった。しかし現在、それが現実となっている。
“小泉劇場” の最高潮/アポテオーズだった(PLDの圧倒的勝利に終わる)2005年総選挙は、あっけない花火/feu d'artifice にしか過ぎなかった。雇用市場の不安定化を促したこの政治の結果を、世界経済危機がさらに厳しいものにした。2006年以来3人の首相交代と、7月21日の解散にいたるまでの激しい内部分裂は、自民党の疲弊、あるいは混乱の現れと映る。
グローバリズム内における日本に、新しい方向性を与えるべきリーダーたちの無能力という“領収書” は重過ぎる:人口一人当たりの収入で見れば、日本は世界4位から19位(2007年)に落ち、国際競争力では1位から19位へと転落している。老齢化に直面する社会すべてが持つ困難は明白だ:社会保障制度の不備と、格差の拡大、公的赤字である。
民主党 は期待に応えうるのか?その上昇は自民党の斜陽がもたらしたものだ。金権スキャンダルから党首職を退いた 小沢一郎という“政治アニマル” リーダー・シップ下、この政党は(政権)交代勢力と見られている。本当にそうなのだろうか?小沢氏と、その後継者である鳩山由紀夫といった自民党からの離党者( transfuges )と、元ソシアル・デモクラット、およびかつての労働組合員からなるこの民主党には内部統一性がない。その政治プログラムは現在与党のそれと大きく変わらないが、あえて言えば、めぐまれない階層への配慮と、米国への完璧な追従政策からの脱却という野望を掲げていることだろうか。
生活水準低下に対する具体的救済策を望むオピニオンにとって、“改革” という言葉はかつての輝きを失った。民主党に投票することで、オピニオンはリスクを負うことになる。けれど、弱体化した党が政権に居座る、さらには統治する力を失う場合、リスクはさらに大きいと言えるだろう。
すいません、フランス語をまったく知らないもので調べようがないのお尋ねするのですが、
>『砂漠の横断(1933-1994)』を例外として自民党(PLD)が常に国を動かしてきた。
の意味がよくわからないのですが、砂漠の横断というフランス語の言葉はどういう意味なのでしょう?
文意からとると自民党が政権にいなかった(社会党連立時?)のことか、もしくは30年代の軍国主義のことをいっているのか、いづれにしろ1933-1994という数は誤りに思えるのですが。
投稿情報: 足軽 | 2009-10-29 09:38
失礼いたしました。訳後ちゃんとした読み返しを怠りました。
1993-1994が正しい数字です。« traversée du désert » と書きますが、日本語では「冷や飯を食わされた」ってな意味です。当時は日本にいなかったのでぴんと来ないんですが。
数字オンチと固有名詞オンチは翻訳家には致命的欠点なんですが、アマチュアなんでお許しくだせい;お代官様。
投稿情報: 猫屋 | 2009-10-29 22:49