まずはリンク。この10日にクルッグマン教授がクアラルンプールで行ったスピーチの記事です。20minutes系経済ウェブ・ニュースE24のAFP経由仏語記事: Pas de dépression, mais une reprise lente selon Krugman
こちらは同日AFP英語版: Great Depression 2.0' avoided: Krugman
今日(17日)に探したら見つかったAFP日本語版:「第2次大恐慌は回避したが完全回復に2年」、ポール・クルーグマン教授
それぞれのタイトルが編集部のチョイスでしょう、違っているのも面白いです。
- 仏語版「クルッグマンによると、恐慌ではないが回復は遅い」。
- 英語版「クルッグマン:大恐慌2.0は回避された」。
- 日語版は「第2次大恐慌は回避したが完全回復に2年、ポール・クルーグマン教授」と読んで字の如し。
内容は記事によって若干違いがありますが、仏版を要約してみます。
1929年に始まった大恐慌規模の危機は免れたが、この状況から脱出するためのモデルは見つかっていない。誰にも脱出法は分かっていない。回復には2年、あるいはもっと長い時間がかかるだろう。日本がバブル崩壊後の「失われた10年」に類似した状況に世界は立ち向かっていると考える。かつての不況は輸出の拡大で回復してきたが、現在は地球以外の惑星にしか新しい輸出先は見つからない。(日本版:1930年代の経済は戦争という“経済政策”で持ち直した。)あらゆる政策が試されるべきだが、金融システムなどの整備・透明性を図らず単なる経済成長のみを目指したなら、一時的立ち直りは可能でも、新たなバブル崩壊、つまり次の危機がより早いスパンで起こるだろう。
アタクシがタイトルつけるとしたら《God knows》 (バックミュージックはもちろんクイーン)。
で、教授によると、個人消費と企業投資や不動産バブルが、米国と世界の経済回復のきっかけとなるのは難しいそうだ。
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さて、いつものようにこれからが本題です。しかし前書きだけで3時間も遊ぶと中盤が苦しくなりますな。
猫屋の読んだ世界経済危機
しばらく経済系プレス記事にかかわる文は書かなかったのですが、それでも時々ネットでチェックしてた(←リンク多すぎリストせず)。それをゴチャゴチャかき回せたアタクシ風危機理解を書いてみます。
- 資本主義にもさまざまなステップがあって、中世ごろ発達した金融網の育てた資本主義と、ずっと後の産業革命後の資本主義、そして社会福祉や社会運動が機能していた頃の資本主義、また共産主義国家ブロックが崩壊した後のグローバリ資本主義へと(注;区切り方は猫屋の恣意的かつ暫定的なものです)変貌してきた。よって、資本主義と一言でこのシステムを括って語れるわけもないのだ。
- 1989年にベルリンの壁が落ちた。以降、資本は旧共産諸国に新しい労働市場を見出した。この労働市場の人口は未来の新たな消費者でもあった。
- 結果、グロバリーゼーションはその旧共産圏全域に拡大し、それまでの経済大国からのアウト・ソーイング、仏語でdélocalisation がさらに盛んになる。日本で言えば、まずは円高回避の自動車工場海外移転があり、それからユニクロやムジ型の中国生産システムが生産・流通・販売モデルを変えた(+食品の中国生産)。
- この動きが世界中で起こる。と、次第に元来の生産国で給与が下がり始める。あるいは失業者が増え、新しい就職先は不安定で社会保障制度を伴わないショート・タイム・ジョブの場合が多くなってくる。
- 賃金が下がりますと、購買力も減るわけですから、市場はあのアダム・スミスの“手”効果で、安価な商品を大量に提供することになる。結果、労働価格が低い国での生産を求めて工場自体がジプシー化する。あるいはコストカットで社員数が少なくてすむit などのライセンス企業とか、何人かの数学の天才を使った複雑系金融業などは残るが、開発国の人口の多くが、学歴はあっても、サービス業などの不安定な職業に就く、あるいは定期的に失業と短期労働を繰り返したり、派遣社員になったりする。
- 同時に、コンピューター化が進みます。これもコスト・カットを促進させ、数字ばかりの経済モデルやビジネスモデルが幅を利かす。かつては消費者の好みを追っていたマーケティングが、逆に消費者の好みを創り出すようになる。これにはメディアの発達が大いに貢献する。
- スペキュレーション。2009年夏の金の動き方は典型的です。各国のプレスや政府は不況脱出を予告している。だれだって不況はいやですし、経済動向というのには極めて心理学的要素が影響するというのは、マーケティングでの基本概念だ。そういった予告とともにスペキュレーションが再開する。株価も上がる。これが継続すれば企業主も新しい注文を予期してストップしていた雇用を再開するから失業率も下がる可能性もあるわけです。←これがグリーンスパンのニンジン。
- 収入格差。これはトマ・ピケティ先生の専門ですが、要約しますと、たとえば米国の経済成長率や人口ひとりあたりの平均収入を見れば米国が経済成長を続けてきたかに思うが、統計を調べていくと実はごく一部の人口の収入が急速上昇した反面、中間層の収入は減る傾向にあるし、同時に貧困層人口も増えていく。つまり「大多数のための最大幸福」というスローガンの意味がなくなったわけで、対策としては税法による格差の縮小を、ピケティ先生やダニエル・コーエン教授が提示しています。
- クレジット。だいぶ上に挙げましたが、世界レベルで新しい市場、つまり旧共産圏にあわせて収入が減少する。あるいは、失業者が増える。そうするとモノは売れなくなります。企業家も金融業も、税収入が減る
政治家国家もこれでは商売あがったりなわけですが、彼らはクレジット拡大という極めてトリッキーなやり方でこの局面を脱出しようとした。つまり「パンがないならブリオッシュをお食べなさい」式に「キャッシュがないならクレジット・カードにお願いしなさい」となるわけです。あとはドル刷りまくる。株価命のグリーンスパンは金利下げまくる。これで、低所得者層も家が買えるようになったわけです。金融界でもレバレッジだのオプションだのスワッピングナンタラカンタラだの、複雑系が急激に開発されたわけですが、高い配当を与える高リスク投資がクレジットのヴァーチャル・マネーで取引されクレジット・バブルが膨れ上がった。結果は皆さんご存知の通り。 - 競争。本来は「自由競争が価格の低下を進める」はずだったのですが、これが必ずしも当てはまらなくなっていますね。企業が複数あるとしても、価格は横並びだったりする。逆に競争からコストカットしないと生き残れないという“理由”で解雇するケースは多いし、ある企業が別の企業を買って(M&A)、人員整理・設備投資・工場閉鎖あるいは外国移転を行い、株価が上がった潮時を見て買値より比較にならないような高値で売り切る場合もある。個人的に、勤めていた企業が移転し通いきれないので退職届を出した経験がありますが、社内枠で買っていた当社株価が、(解雇を含んだ)M&A後に急上昇。失業者となったアタクシは泣いたらいいんだか笑ったらいいんだか、不思議な心持がいたしました。
- 銀行が、高ベネフィットを得るために高リスクを追求するフェッジ・ファンドあるいはジャンク・ファンド、平たく言えばサラ金化した。極端な例がマードックのねずみ講です。
- 番外。小さな政治と大きな政治:母国のある“著名”ブロガーが「小さな政治と大きな地方共同体」論を説いていましたが、これなんだ?地方共同体は政治ではないのだろうか。あるいは地方共同体を民間経営すべきなんでしょうか。政治の大きさでは、何年か前ですが吉本(興行じゃない方)が「小さな政治」派だと知って驚いた記憶があります。。。
と、ここらで止めます。まだまだ、高齢化社会問題や人口問題、エコロジー問題、タックス・ヘヴン、医療と教育の産業化等々も絡んでくるし、為替も、中国の、成長率をはじめ統計指数の正確性の問題もあるけれどここでは割愛します。上リストは順不同で重複する部分もありますが、まあ、これらがグルグル回って世界同時不況になった、というのが猫屋の読みなのだった:鍵は生産過剰とテクノロジー発達およびグロバリゼーションに起因する収入減少にあるんだと思えます。
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最近気になった経済系仏語リンク集
Eco89から、成長率上昇に関するエコノミストのインタヴュー:0,3% de croissance, « un accident statistique favorable »
リベから、成長率上昇の内訳に関する記事:Une douce brise souffle sur la crise
リベから、各国で国家補助金(仏で最高1000ユーロ)のおかげで自動車業界持ち直しの傾向がありますが、ここでは仏国での状況を書いています:L’automobile à mi-course
ル・モンドから、BNPパリバのトレーダーのボーナス再急上昇に関する記事:BNP Paribas : que les gros salaires lèvent le doigt ! 会社側は、高給にしないと英米などの外国金融業に有能社員を引き抜けれてしまう、と釈明していますが、政府からのキャッシュ(借金にしろ)を大量に注ぎ込んだ銀行社員に超高額ボーナスはモラル的に許しがたいという非難があがっています。
たとえば、政府のエコロジー政策および自動車業界救済策で、古い車を廃車する条件で新車を買うと国家が1000ユローなりの補助金を出すというのが効いて、業界は一息ついた。だが、新車製造も旧車破壊もあまりエコロジー的とは言えない。古い車が排出するCO2と、新車製造のどちらがより非エコロジックなのかは明白ではないでしょう。また、上のリベ記事にありますが、中古車部品業や修理業が商売あがったりになるし、古くても頑丈なマシンを直しなおし長年使うというやり方からは外れる。パリやその周辺のアッパー・クラス区域では、ピカ・ピカ新車の黒いベンツやアウディー、BMWが走り回ってるんで不思議に思ってたんですが、原因はこの補助金だったわけです。はやりは黒塗り・黒ウィンドウなんであっち系風。原油価格暴騰のころには、みんなから軽蔑の眼で見られていた大型4輪駆動の新車も原油が下がって再登場。あの補助金はわれらが税金なんですけどねえ、ヤー系車買ってるのはもちろん金持ちで仏車買わんし。。。
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ドイツの美濃口さんも経済について書いていました。アタクシとはまったく異なった視点で、さすがドイツ語圏の人、設計が論理的。萬晩報から:失われた20年-バブル・メンタリティについて
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全然関係ないオマケ
リベ系人気ブログに Les 400 culs - La planète sexe, vue et racontée par Agnès Giard というのがあって、アタクシも時々内緒でお邪魔する。このブログのテーマはセックス、書き手はアニエスという女性ジャーナリスト。彼女のスペシャリティはサブ・カルと日本で、S & M Sniperという日本の雑誌特派員を9年間してたそうです。
けれど、このブログを今日取り上げる理由は、残念ながらsex ではなく、中世の女性美なのであります。クリュニー中世美術館で開かれているLe bain et le miroir :Soins du corps et cosmétiques de l’Antiquité au Moyen Âge という臨時展紹介 をこのブログがしています:中世女性美ですね。 ブログ記事タイトルは:Belle, belle, belle… au Moyen Âge
グローバリゼーションの進展で、先進国労働者の雇用・収入が不安定化しつつあるのは事実でしょう。
しかし、グローバリゼーションに抵抗することは出来るのでしょうか。いまさらブロック経済や鎖国という訳にもいかないでしょう。
正直、ここから先は「底辺への競争」だけが続くように思えてならないのですが。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2009-08-18 14:52
しばらくは「底辺への競争」が続くと思いますが、どこかでそれへの反動も起きるだろう。それが局地的紛争の形をとるか、かつてあったような労働運動なりの形をとるか、クルッグマンが言ってるような30年代のナショナリズムにつながるのかもしれない。
人間というのは、そんなに利巧でもないし、同時にバカでもないですから、なんとか切り抜けるだろう、とは思いたい。あと、これはクルッグマン批判ですが、実際には「自由貿易均衡説」は機能しない。それで最近はクルッグマンの論説も若干変化してるように思います。上の文章では、解決への手がかりについては新ケイネジアンによる税による収入格差解消策だけ挙げましたが、それ以外にも方向性はあると思いますし、望むと望まざるにかかわらず、世界レベルでの政治組織(国連・IMF・世界銀行)の力が強くなっていくだろう。
もうひとつは、こういった変動期にはカリスマ性を持った思想家なり政治家が出てくる可能性も高いですから、そういった人物の登場で“歴史”の節目がマークされるかもしれません。
個人的には、エコロジーや個人レベルの運動から、消費と成長率に頼ったこれまでの“ライフ・スタイル”を見直す流れがもっと表面化してもいいんじゃないか、と考えています。まとまらない答えで申し訳ない。
投稿情報: 猫屋 | 2009-08-18 19:04