ジュー・ド・ポーム美術館でのロバート・フランク写真展に結局2回行ってきました。
高校生の頃から意識的に見続けている絵画に比べれば、写真展てのはウィリアム・クライン(2006年)以来だから、まだまだ写真の見方には自信がない。たとえば、ウォーカー・エヴァンス(1903年米国生まれ)とロバート・フランク(1924年スイスのチューリッヒ生まれ)の作品の違いを語ってみろ、といわれても漠然な雰囲気の違いとしか書きようがない。
フランクは、スイスで絵画と写真を学んでから(ここではパウル・クレーの影響を受けている)、ヨーロッパそして米合衆国を転々としとあと、1953年にグーゲンハイムの基金支給を受け、1955-1956と2年の間米国幹線道路をたどることになる。
この時撮られた膨大な量のフィルムから彼の写真集 The Americans が生まれる。ケラワックの序文を配したこの写真集は当初、オプティムズムの1950年代アメリカの現実を、悲惨を、不幸を、粉飾することなしに写していると非難の声も上がったようだ。だが、彼の写真群は当時の米国青年たちを、“アメリカを発見する”旅に駆り立てることになった。
なお、初版はパリで発行されている;これはフランス人に向けてアメリカのリアリティを紹介する企画本だった。
後に彼は米国籍を撮り、ニューヨークに落ち着くわけだが、フランクの視線はあくまでヨーロッパ歴史をバックグラウンドに持つ男のものだろう。
構図/フレームの取りかたはエヴァンスの過激さとは異なる。だが、V字の道や町並み、高層ビルのカットの仕方には彼独特の意外さとエレガントがあるし、上に張ったニュー・オーリンズのバスの写真や、ルート66脇で撮られたピントの甘い不思議な写真には、欧州古典絵画やギリシャ悲劇の構図が重なってくる。
繰り返し登場するオートモビル・ジュークボックス・星条旗・そこここの宣伝文句、死;アメリカの神話。前にも書いたが人々の閉じられた固い表情。マイアミやハリウッドの狂気。人々は物質という箱に閉じ込められている。
ハリウッドのスターレット/新人スターがスカーレット・ヨハンソンそっくりで思わず微笑んだり、(たしか写真集の序文でケラワックも書いていたはずだが)マイアミのホテルだろう、着飾ったブルジョワたちの隣でエレベーター嬢が見せる一瞬の表情に、私たちは恋に落ちる。蛍光灯とネオンに照らされたレストランのカウンター越しに、蜃気楼のように立つ少女ウエイトレスが振り向く様はフェルメールの絵を思い起こさせる。
会場奥では、フランクが米国とヨーロッパを行き来していた1949年から1952年にパリで撮った写真が展示されている。ここでのフランクは、米国での冷徹な視線に換え、ロマンチックとさえ言っていいだろうヒューマンな視線を投げかける。ここでのテーマは花。そして盲人、サーカス、霧。公園の椅子。パリのフランクは異邦人ではない。ノスタルジーとユーモア。
だが、The Americans に見られる緊張感と力強さはない。写真家としてのロバート・フランクの拠点はニュー・ヨークであり、フィールドは米国なのだ。
この展覧会場でフランクの映像作品2点が見られる:1959年の Pull My Daisy と2004年の True Story だ。前者はアラン・ゲインズバーグたちのビートニク・アーティストやフランクの当時の妻マリー、息子のパブロも出演する実験映画。後者はニューヨークの自宅とニュー・スコットランドのアトリエでの現在の妻、絵描きのJean Leaf との生活を自伝的に撮っている。(・・・しかしストーンズを撮った伝説的Cocksucker Blues 上映はなし。)
True Story でのロバート・フランクは、世界トップレベル写真家のイメージからは遠い、ビートニクがそのまま21世紀に生きているような、あるいは、隠遁した哲学者のような生活を送っていて、これは意外だった。後から調べていて、最初の妻マリーが次第に視力を失う病にあったこと、後に2人の子供を1974年と1994年に失っていることも知った。ロバートの父はナチスドイツを逃れてスイス国籍を取ったということも知った。True Story でフランクが過去について語るときの重さ・苦渋・諦観はこの過去からくるんだろう。
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National Gallery of Art サイトでフランクの写真の多くを見ることができます。また、The Americans のスライドショーはここ:lenscultureweblog から。
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上階で同時に開催されている Sophie Ristelhueber 展では、作家がユーゴスラビアやベイルート、あるいはイラクで撮った“戦争の傷跡”写真;書記の白黒写真とのちのカラー写真、そして写真を風景に埋め込んでの映像作品などが展示されている。
“戦争”とはまず具体的物質である。破壊された道路の大きなプリント写真群を前にして、戦争とは継続の破壊なのだと、気がついた。
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