なんだかなあ、、、という日記である。
どうも自分のブログを冷静に俯瞰してみても、アタクシって単なる軽薄な遊び人じゃあございませんか、と思っちゃったんだけど、でも本当にそうだよなあ。それなりに苦労や心配はしてるつもりなんだけどなあ。。。
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思い出すこと、そのいち
実家の婆ちゃんの仏壇下に昔のアサヒグラフだとかライフだとかがたまっていたんだ。あの頃はまだTVや映画でもトラッシュな画像はオミットされてたから、東京大空襲だとか原爆後の写真は、小学生だったはずのワガハイに最大級インパクトを与えた。
でも、一番印象に残ってるのは、関東大震災時の、当時“被服廠”と呼ばれていた場所に逃れた人々を撮った写真の一枚なんだが、そこには震災被害はなにも写っていない。
被服廠跡は建物を壊したあとの広大な敷地だったから、地震後逃れてきた多くの人々が集まっていた。
その白黒写真に写っていたのは、野外で荷車かなにかの上に座ってうれしそうに笑っている少女たちである。あのころは女学生、と呼んでいたはずだ。箸が転がってもおかしい、そんな年頃の女学生たちが仲間を見つけてしゃべりあっては笑っている写真だ。大型地震と家屋崩壊を生き延びてきたという風情は感じられない。
だが、やがて東京の各所から火が回り、それは竜巻と突風にあおられた暴火となって墨田区本所の被服廠跡を襲うことを、写真を見ているアタクシは知っていた。
その被服廠跡火災の死者は、今になって具体的な数字を知ったのだけれど、推定3万8000人であるそうだ。
もちろんそのグラフ誌には、破壊された建物、荒野と化した東京都心部の写真、並んだ黒焦げの焼死体写真もあった。だが、一番強烈だったのは、やがて死んでいく、あるいは負傷するはずの少女たちが笑う姿だった:なんでだろう(悲惨なイメージから逃れるために幼いワガハイは笑いあう少女たちの画像をチョイスした、という可能性もある;これは検討に値するナ)。
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思い出すこと、そのに
なぜアタクシは日本を飛び出しフランスにやってきたか、について。
まあ、いろいろ家庭の事情もあったのだが、それは今となってはたいした問題ではない。
最初ニューヨークを目指したんだが、あの頃は帰りエアー・チケットと十分な預金がないとヴィザが下りなかった。ニューヨークの治安が最悪な時期だったということもあった。それで、フランス語を2年間習っていたし、ひとまず大学のワンクールをパリで経験してみようと思ったわけだ。
以上はどちらかというとプラグマティックな理由である。
本質的理由は、単に当時の日本がつくづく嫌になっていた、という一言に尽きる。一度は日本を出て自分の力だけで生活してみたかった。
1970年代のアッケラカンとした(エイズも国鉄民営化もミラクル・ジャパンもコンビニもバブルも小泉もない)日本で思春期を過ごした先験的フリーターにして閉所恐怖症のアタクシは、しだいに幅を利かせていた“管理社会”構造にゲンナリしていた。
特に、TVメディアの変わりぶり・浮かれぶりには閉口した。ひどくいやな気分にさせられた。例:三浦 和義のロス疑惑 実際に三浦和義氏が有罪であるのか否かに興味はなかった。メディアの扱い方が問題だった。豊田事件もあった。これも同様な構造からなっていた。こちらでの表現を借りれば『魔女裁判』だ。
批判的言論の余地がない。容疑者の人権をメディアの、今で言うところの『アフタヌーンショー的』体質で、“言語道断”を出発点として蹂躙する。対話・議論は許されない。
マイノリティーであるにしても、その個人の権利/自由を保障しない限り、全体の自由は保障されない:これが民主主義が可能だと想定して国家を考える場合の条件のひとつだろう。
あ、もうひとつフランスを選んだ理由がある。当時はミッテラン政権第一期であった。社会党が率いる国家がどんなもんだか知りたかったのだ。はじめは、なんだこれが社会シュギイイ?と疑ったものだったが、サルコジが政権につき、ついで世界経済危機が展開し始めてからやっと、『フランスは社会主義の国だったのね』と気がついた。余談だが、フランス国籍を獲得してなかったことが悔やまれる。しとけば、2年前の大統領選で投票できたのにさあ。国外強制退去も避けられるしね。
仏文学の少なくとも何冊かをちゃんと原文で読みたかったってのも動機としてあったけど、読めるようになったら、なんだか読む気がうせた:これは年齢的問題かも知れぬ。
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まったく関係のないリンクです。
週末ル・モンドからアンチ・サルコに関する記事(すでに有料化してか可能性あり):Comment l'antisarkozysme progresse
教育改正反対運動もすでに6週間目に入ったわけですが、この水曜にも全国21都市で教職者・研究者に学生・高校生も参加しデモが行われました。参加者数は3万から6万だったそうだ。全部で40ある大学でも半数が全面的あるいは部分的スト決行中。
他にも、司法関係・病院でも運動が展開されている。グアドループにならって低賃金を200ユーロ上げろと他の海外圏やバンリュウでも声が上がっている。もちろん、工場閉鎖・解雇反対もあるし、19日の国鉄労組によるスト決行と大型デモにそれら多分野での運動、それからオルター系アンチキャピタリズムやエコロジー運動や、さらには安定した職に就けない若年層・移民労働者や、退職者や失業者やホームレスたちが合流する、というのが現在サルコジの最も恐れる図式であろうね。
大統領選挙ではサルコジに投票したが、今では『サルコジ』という言葉を聞くだけでTVやラジオを消すという年長者の話をそこここで耳にするし、PC画面から『サルコジ』に関する記事を消去するソフトがネットで流通しているとも聞いた。“Firefox Karcher Extension”がそれである。関連ブログ:Un outil pour "filtrer" Sarkozy
サルコがいなくなってもすべてが解決するわけではない、ってのは誰でも承知している。だが、サルコ追い出しが、まずなすべき第一歩であるのは間違いない。
破壊的創造ですよ。あたくしは、この破壊を担当してくれる要員としてサルコに投票しました。
投稿情報: ななし | 2009-03-12 13:21
今までで一番 印象深いログでありました。
投稿情報: Simon | 2009-03-12 14:19
軽薄で良いんじゃない ?
所詮、くだらないフランスなんかに行ったんだから !!
投稿情報: 栗林戸 東森 | 2009-03-13 12:31