考えがまとまらない。それは、写真家Robert Frank が撮った短編映画に出てくる1000ピースからなるナイヤガラのジグゾー・パズルの(作家のアトリエ/自宅にあるんだが作家はそれを組みあわせ完成しようとはしない)箱の中身のようである。
1970年代に米国を発生地として始まったポスト・インダストリー、あるいは言い換えればネオ資本主義は、システムの本質である“過剰”と“競争”と“淘汰”と、そしてその派生であるグロバリ性を伴って、ある臨界を越えた。そのシステムを一言で形容すれば、暴力だろう。その暴力が、飽和点に達し破裂した。破裂によって生み出されたエネルギーが世界中に、経済 tsunami となって押し寄せている。地球上全体がその波長に揺らいでいる。同時にこれまでその暴力が破壊してきたのは人間ばかりではなく、人間を生かしてきた自然全体にまで及ぶのだと、われわれは、今になってまざまざと確認するわけだ。
これはさかさまの世界だ。
人間は生き延びるために頭脳を行使して科学・技術を発展させ、国家や文化や経済やらの制度/インスティテューションを組み立て上げ、病から救われるために医学を向上させ、互いに理解しあう目的でコミュニケーション技術を磨き上げ、ラジオやTVやPCやインターネットやらを発明し、複数の語学を習得し、交通網を発展させたのではなかったか。
だが、現実には、人間の作り上げたさまざまな規範や制度や経済機構に、人間は押しつぶされ、経済成長率に押しつぶされ、不可解極まりない書類管理と終わりのない契約書と請求書とそれらの解読書理解に押しつぶされ、いくらあっても足りない時間に押しつぶされ、言われるままに消費しようとしてももうどこにも金はなく、挙句の果てには、自然破壊の責任は各個人にあるのだと諭され、では、どうやってその負債を誰に返せばいいのかと立ち尽くす。
人間が作ってきた制度が、人間に復讐しているのだろうか。われわれ自身が作ったはずの制度の奴隷に、われわれ自身がなっているとしか思えない。
1000に刻まれた各部分を、丹念に組み合わせて見るしか、たぶん出口を探す方法はないのだろう。
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3月3日夜のフランス3、Ce soir ou jamais でスタンフォード大学の哲学の先生 Jean-Pierre Dupuy とブリュッセルの自由大学で哲学を教える Isabelle Stengers 、ジュネーヴで歴史を教えているFrançois Walter 、そしてグルノーブル大学の文学教授 Yves Citton 、パリ在住のベイルート出身の作家 Amin Maalouf 、そしてミッテランの顧問それからル・モンド紙の顧問をへて今はサルコジ仏共和国大統領顧問職にあるアランマンク/Alain Minc がいつものようにタデイの司会で討論していた。タイトルは Courons nous à la catastrophe ? つまり、我々はカタストロフ/破局に向かってまっしぐらに進んでいるのか? である。
どのぐらいの間、ウェブで見られるのか分からないんだが、このヴィデオは見ておいたほうがいい。Emission du mardi 3 mars / Courons nous à la catastrophe ?
哲学者と歴史学者と作家たちは、哲学者として作家として歴史学者として思考し発言している。だがアラン・マンクの(少なくともワタクシの知っているこの25年このかた)変わらない同じ表現と同じ発想と同じ展望の展開を聴いて、そして見ているうちに、なんだか目の前で腹話術の木製人形が話してるような気になった。
暴力は、時として仕立てのいい服を着て、あくまで慇懃に、いたって合法に暴力を行使する。
参考:オプスにあった作家Amin Maalou へのインタヴューが興味深いものだった。宗教と言語と移民とコミュノタリズムについて語っています:Le Dérèglement du monde
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グアドループで約一ヵ月半続いたゼネストも、結局、低収入者の給与を200ユーロ(約2万5千円)引き上げることで和解に向かう様子です。多くの産業経営者がベケと呼ばれている“白人”に占められ、フランスからやってくる商品の価格は高いし、とくに若年層者の失業率もきわめて高く、給与の上昇がすべてを解決するわけではもちろんない。
教育改正に反対するデモが再びパリで行われ、2万4千から4万3千人が参加した。これは政府が進める“教育改革”サイドのダルコス教育相とペクレス高等教育相と、それに反対する高校生・学生・教育労組との間に進められている交渉へのバック・アップデモである。
すでに、政府サイドは教職員削減などの面で譲歩を示しているが、今問題点となっているのは、たとえば大学教師になるための有給研修の一年をこれからも継続させるという要求だ。
参考:ルモンドから、写真ポートフォリオ記事
こちらは20minutes による大学研究者・教員問題に関する記事:Enseignants-chercheurs: le décret réécrit mais pas de sortie de crise
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3月19日木曜日にはSNCFも再びストに入る。今のところ7労組がスト決行を決めているから、かなり大きな運動になるだろう。
木曜の午後からサルコジはメキシコに発ったようだ。メキシコ政府との会談は週明け月曜に始まるはずだから、夫人(と護衛とジャーナリストと各顧問)を同行しての逃避行=御休暇であるね。
なお現共和国大統領は、今年もポルト・ド・ヴェルサイユの農業見本市の開催日にも、ユダヤ系仏人団体CRIFの夕食会にも出向いたが、いずれも数分間の顔見世のみで退散したとか。。。なんだ、モグラ叩きのモグラじゃないか:サルモグラ。
ところで、これもおまけの笑いネタなんだけど、ニュー・ヨークタイムズの記事仏訳版をクーリエで見つけた:Obama résiste mal à la tentation française
こちらは Roger Cohen のNYT元記事:One France Is Enough
アメリカの、あるいは他の多くの地区で、現行の危機の責任は単にブッシュ政権にあると考えてる人間が多いんだと思う。しかしその考えは間違っているだろう。少なくとも、1970年代にまでさかのぼって考察するべきだ。いや、それでも十分ではないだろうが、、、。
これも:ジャナサン・リテルの Les Bienveillantes がやっと英訳された。関連記事をいくつか読んでたんだけど、NYTの“著名”批評家Michiko Kakutani という人がかなり酷な記事を書いていた:Unrepentant and Telling of Horrors Untellable
リテルの本には、少なくともKakutani が書く以上の価値があると私は思う。価値判断は別としても(しかし文学作品というものにいったい価値なんてあるんだろうか、、ありゃ時としてはとても健康に悪い)、昨今極めて珍しい力のある作品であることに間違いはない。
それはさておき、アメリカに生まれながらフランス語で小説を書きパリでで出版して成功しつつガリマールやゴンクールに悪態をつくリテルの“スノビズム”と、そのリテルの小説に酷なニューヨークタイムズの日系文学批評家のスノビズムってのが、いやなに、なかなか今的で面白かった。
というより、大西洋が隔てるものって、やっぱり明らかにあるんだ。
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大西洋で思い出した。忘れちゃいけないこれもクリップ。ヴェドリンが仏のNATO 復帰を批判しています。ちょっと高尚な仏語ですが正論。
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ここいらで止めときますが、1000の破片のいくつかを、バラバラと並べてみました。どうして、どんなふうにさかさまなんだか、ちゃんと結論まで持っていきたかったんだけどなかなかそこまで行き着かない。こじつけて言えば、仕組みが狂ってるんだから、その仕組みの中で生きてる人間がおかしくなるのは当たり前なんだ、という話です。だったら自分を痛めるよりは、仕組みを変えるべきだと考えるのが道理。違う?
写真はローバート・フランクがパリで撮ったもの:現在ジュー・ド・ポームで見られる。
そうなんです!やっと英訳が出るので読めます!>Les Bienveillantes
ガーディアンの評はかなりしっかりしていてまともだったような。http://www.guardian.co.uk/books/2009/feb/22/history-holocaust-books-jonathan-littell
やはり「あんぐろさくそんと大陸」というよりは、欧州とUS、はては旧世界と新世界なんだろうか、ここ数年USは欧州世界の捨てた特殊な一面だけを受け継いでるんではなかろうかと思っているのですが。
投稿情報: ぴこりん | 2009-03-08 11:15
FTの批評もよかったみたいです。
http://www.ft.com/cms/s/2/d67369d4-fedf-11dd-b19a-000077b07658.html
The Time では歴史家が評価してた
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/fiction/article5772123.ece
とは言っても、上の批評まだちゃんと読んでないけど。。。
(読んでも半分ぐらいしか分かってないと思うけど。。)
合衆国の人には無理だと思う、歴史ってのは。たとえばギリシャ悲劇のように、最悪に引き寄せられていてしまう、ってなところがあるでしょう;歴史のダイナミズム。これは大西洋のむこっかわでは分かりづらいだろう。
ちょうど10年目に死んでしまったキューブリックはわかってたんだけどね。
アメリカを撮った写真展をいくつか見て、ハリウッド映画の衰退に立会い、今は自分の中の“合衆国”なるものになんらかのオトシマエをつけるべき時なんだろうなあ、とボンヤリ思っています。
投稿情報: 猫屋 | 2009-03-08 14:22
こんにちは
あれからこのブログを始めるのに一年が経てしまいました。
軽い感じで使いよさそうです。
でも立ち上がりがのろい、私の書いたのがゴーグールで検索できない。浸透するのに月日がかかるようですね。
今の所の関心はニュースですが、少しづつ変化してゆくことを自分でも楽しみにして書いていきたい。
時々お邪魔しますが、よろしくお願いします。
ふで
投稿情報: ふで | 2009-03-08 15:11
おひさしぶりです。
うちのブログも、定期的に読んでくださってる読者はだいたい20-40人ぐらいじゃないかと思います。あんまり幅が広がっても好きなことかけなくなるし、もっと扱いたい主題はありすぎるほどあるんですが、時間不足と力不足で手が出ない。
書くこと自体が楽しい、というかある意味、書くという行為が自分を自由にしてくれるので、続けています。
無理すると続けられないですし、そこいらへんの調整が難しいです。まあ、ブログも一種の道楽(+その上、読んでくれる人がいるわけですからアリガタイ)、ってなカンジでやってますが、こちらこそよろしく、です。
投稿情報: 猫屋 | 2009-03-08 15:50