こちらは寒い日々が続いています。
相変わらずブログはさぼっているわけですが、世界経済危機のその後、仏共和国解体とそれに対する非服従運動、住民の繰り広げるシステムD作戦(débruille; struggle かな英語では、いろいろやりくりしてどうにか切り抜けること)とか、行った美術展などについても書きたかったんだけど、どうも考えがまとまってなくてこんな状態で書き出すととんでもない時間がかかりそうだし、相変わらず毎日毎日思いがけない《緊急用事》が続出し、まだまだ修行の足りない凡人猫屋には冷静に筆を取る、というか辞書を手元に置きタプタプタプとキーボードを繰る心持がもてない。
それでもクリスマスが近づき、カトリックでもなんでもないアタクシでもいつか「希望の子/奇跡の子」が生まれたことを思い起こしてなんとなく静かな気分に一瞬なるわけです。暗く長い欧州の冬を体験していると、クリスマスというのがどういう意味を持つのかが理解できるようになる。長い夜が、長い冬があって、でも冬至を越すとそれでもやっと春がこれからやってくるんだったとみな思い出す。これは毎日太陽が昇る「奇跡」と同様、ひとつの奇跡なんだ。
もちろんキリスト生誕をめぐる話はあるけど、キリスト教が始まる前のパイヤン/異教徒の祭りとしてクリスマスはすでにあったんだろうと思う。だって、この祭りがなかったら、長く暗い冬をどうやって過ごしきれるのか分からない。機嫌の悪い子供たちをどうやってあやしたらいいか分からない。
日本の正月が、謝金と煩悩と不義理をちゃらにする節目なように、ラマダンが身を清める節目なように、クリスマスは新しい子/奇跡の子の生誕を祝うことで人々が奇跡を共有する節目になってると、アタクシには思える。
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どうも飛行機に乗る客が少ないようで日本行きフライトチケットの値段が下がってます。それで急遽、里帰りを決めた。あした出て正月三日には戻ってきます。
このあとは就職活動に身を入れる算段だし、こんな時勢に、次に帰れるのはいつになるのかおぼつかない。生きてるご先祖様(老父は来年80になる)との京都旅行も企画しました。古い友人たちとも会いたい。大晦日のあの中身のないTVでも見て、何十年ぶりかのコタツとみかんも再体験です。
というわけで、
みなさまも、よいクリスマスと平和な正月をお過ごしください。
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今夜のおまけは、ノワール・デジールのきわめてパンクな「さくらんぼの季節」。ベルナール・コンタはこれからずっと「罪」を背負って生きていくんだろう。しかし、彼にできるのは歌い続けることだけなんだ。そうなんだ。
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