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2008-10-01

コメント

しんちゃん

 さすが猫屋さん
写真家が何を見るのか(何を撮るのか)は『時間』をどうとらえているのかによって全く変わる、そして写真家のお育ちによっても変わる,ウオーカーエバンスとカルチェブレッソンが文学で育ったか絵画で育ったかの違いは、大きな違いだと思う。絵画で育てば構図にこだわる、瞬間でありながら画面のなかに完璧な構図を求めたがる完結性が絵画系、文学で育てば連続性とフレームの外にテーマを感じさせることにこだわる文学系。ボクもそんなふうに思います。作品のよしあしは別にして、アラキーことアラキノブヨシ,藤原新也いずれも実際に小説も書いている写真は文学系、藤原新也は東京芸大の油絵に入学しているけれども絵描きとしての才能に見切りを付けてすぐに辞めている,日本の写真家は文学系が多いように思う。

猫屋

どもです。えっと、猫屋亭金融危機もあり、エヴァンスの写真見たくて行く先変更もあり、アヴェドンの写真集買い損なったです:ゴメンナサイ。必要とあらば、探します:連絡乞う。

エヴァンスが大恐慌下の米国で写真を撮ったのは、ルーズベルトのニュー・ディール政策の一部だったんだそうです。失業して文無しのアーティストに恐慌に苦しむ人口の実情をレポートさせ、市民に伝える、という策だった。これは今、考えてるパズルの一部をなしている:時間が見つかればこの話も、もう少し情報探してから書いて見たいです。。。

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