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2008-09-03

コメント

しんちゃん

 なるほど、ニースの高級アパートも成金アパートに変わって行くのね。
フランスににとっては、馬鹿が落とす金もそうじゃない人が落とす金も、国籍や資産状況が書いてある訳ではないからどっちでもいい訳だよね、日本バブルの頃にお城まで買っちゃったお馬鹿な日本人がたくさん居た訳で、何時の時代もお馬鹿が居てくれなければ困るものね。頑張れお馬鹿。
 バブルの頃プチプチプチお馬鹿を経験した僕としては、結局借金しか残らないと言う事実をしっかり見た訳で、全然ないと困るけど、最低の暮らしこそ最高であると居直れる最低の思想と最低限度の価値観をプチプチバブルで学んだ訳で、もう怖いものは何にも無いぞ完全居直り状態です。北京オリンピックの開閉会式も、中国よ恥ずかしくないのかと言いたいくらい、ハリウッド映像のコピーばかりだし、コピーの為に金を使いまくる中国もやっぱりバブルそのもの,はじける時は何も残らないのではなく、思いっきり未来への負債が残るのよね。
 いいじゃないの、中国人にもロシア人にもいずれはじける、いい思いを味わってもらったら。

みみみ

猫屋さんこんにちは。
夏の間ちょっと大学生に戻り、都下をぐるっと通学したり若い子たちとおベンキョしたりしてました。(あの内容でおベンキョだったかっと言うのもあったけど)
朝も早よから6時の電車に乗ろうと娘のアパート(居候したのです)を出ると、やっぱり早くからわらわらわらと出てくる人たち。自動車にたくさん詰め込まれて、自転車で、歩きで。建設労働者の皆さんでした。田舎だと工場労働者なのだけど、田舎の事情だと思ってました。ナイーヴにもショックでした。昼間はテニスラケットを抱えた奥様方がゆるゆるしている町の朝早くの光景。階層の住み分けはされてないけど、全く関係ない人たち。
電車は4線乗り継いでいました。毎日毎日人身事故が起きて、1線止まったり遅れると果ての線までどんどん影響が出る。大雨が降っても雷でも大混乱。毎日人死にに遭って電車が遅れていたら人の死より運行状況の方が気になってしまうのではと思うくらい…
今、日本の人口の10人に1人は東京住まいということになるそうですが、インフラは追いついてないでしょ。人間はくたびれてるでしょ。田舎はまだましとも言えませんし…どうしよう?です。
紀伊国屋をのぞいてみたら、アメリカンのもの以外新聞も雑誌もない。諸般の事情により、という張り紙があって…  鈍いもので後で気がつく、YOHANが倒産したんですね。
田舎に引っ込んで浦島太郎になってしまっってたかなあ、と。
剥げちょろけの竜宮城でも東京もう少しなんとかしろよ。表側だけきれいきれいしときゃいいのかよ。なんちゃって、頑張ってばかりいられませんよね。
帰ってからもずっと考えてばかり。(大学でも引っかかることがあったし…)
でも止まらないで動きつつ。です。

猫屋

どもどーも、
しんゃん氏、
いやニースじゃないですってば。まあもう行くこともないだろうからいいんだけども。

てか、今回の話はちょいとバブルがはじけるぐらいでは収まらないでしょう。ヤバイよ。

みみみ氏、
お久しぶりです。
アタクシなんざ、いい加減に生き延びりゃいいわけだし、それなりに親から聞いた戦争の話とか、いろんな国やいろんな人間やいろんな本も読んでみたりしてある意味での免疫(経験でも同じか、、)あるけど、冷戦を知らない(TVとかゲームがベビー・シッターだった)新人類の生きてく社会はどうなんるんだろう、と考えてみてもいかんせん想像できない。人間自体がヒューマン・リソースであり同時に市場であって、数でしかない。日本は先端を行っているわけです。こちらでのダライ・ラマ人気も、そんなマテリアル社会への反発なんだろう。でも自分にはダライ・ラマほどの徳も信念も根性もないからなあ。

とにかく、これからどうなっていくか、見極めてやろうじゃないのとは思ってます。まずは健康第一、ご自愛ください。

平野園子

猫屋様

 一見やわだけど硬派で知的。フランスの香り漂う猫屋さんのブログ。いつもありがたや、と拝見してます。実は私も若かりし頃、1968年L'evenement de mai直後のパリに行き、それから一年半、学生としてCartier Latinで暮らしました。その後も5年程パリで生活しましたがフランス語がさびついてしまったのと、目が不自由になったため、Le Monde を初めとする仏誌の翻訳&レジュメ、ホントご苦労様、奇特なお方、と感謝!
 ところでこの年になって初めて本を出版しました。日本もこれじゃどうにもならない。少し未来志向、理想主義で考えてみようではないの、とシコシコ書き始めた訳ですが、まぁせっかく若い頃フランスとヨーロッパ文明にかぶれたんだからフランス人の目を借りて日本と(少しばかり)世界の過去と現在と未来を考えてみようじゃないの、と思い立ち、一部小説風にちょっと奇妙なものを書いてみました。猫屋さんに満足していただけるような水準に達しているかどうかは疑問ですが、もし読んでいただけたら嬉しい、と思い立った次第。お差し支えなければ送付先を教えていただければ幸いです。

                                平野園子

猫屋

園子氏、
えっと、作業が終わった時点でちゃんとお返事します(メールも)。許してね。

猫屋

作業、ほぼ終了いたしました。
68年直後のパリですか。見たかった。アタクシはこちらに来たのは1984年で、こっちの先輩は、コレージュ・ド・フランスでフーコー、またデリダ、アルチュセール、ラカン、バルトの講演に行ってる。すごい時代でした。今のカルチエ・ラタンはファーストフードと洋服やばかり。まだ学生相手の専門書店とシネマテークはどうにか営業してるけど雰囲気はかなり変わりました。リュクサンブール公園と学校、若い学生たちがたむろしてるのは変わってないか。。

日本語がとにかく好きなんで、忘れないように、それに考えるいい訓練だからってんでどうにか続けてます。でもこのごろはTVばかりじゃなく、仏プレスもラジオもサルコ広報化しちゃってて、なかなか力の入った記事が少なく(こっちの体力衰えもあるかな)翻訳はご無沙汰になっています。まあ伊達や酔狂のブログであります(笑)

本出したんですか。。パワーあるなあ。アタクシもまとまったものは書きたいんだけど、どうも真っ白の紙を前にすると一行も進まないという、情けない人間でございまして、腹たつとブログに書く、ってのがブログ続けてる本当の理由かもしれません。

貴書、喜んで読まさせて頂きます。後ほどメールにて住所ご連絡します。

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