昨日は、夜中過ぎに書き始めたブログ記事をなんだかんだ書き直してたりしてたら、なんと朝の5時過ぎになってた。
8時にどうしてもこなさなきゃならん任務があって、そのまま新聞読んだり新しいPCでマインスイーパーやったりして眠気と戦い、規定時間に無事任務完了。それから、どっと寝込んだ。
1/3ほど開けてた雨戸から日の光が部屋に差し込んで、、、ああ天気いいんだあ、とか思いながらいい気持ちで寝ていると、電話がなる。
K夫人からの緊急アラート電話だった。米国世論調査結果でオバマ支持率がマッケインのそれを下回ったのだった。ヤバイ。(説明すると、彼女のご主人は「アフリカが世界を救う」と言ったらしい、セネガル男。で、K夫人はアフリカ・バックアップ在仏邦人のうちの一人であり、同時にアンチ共和党主義者である。)
しかし、いやなニュースだ。バラコバマが、いかに能力のあるスマートな男でも奇跡は起こせないのが現実としても、マケインとそのバービー的夫人がいかに人間的に優れていたとしても、今の米共和党取り巻き連;各種ロビー、エヴァンジリスト・プロライフ・プロライフル・帰還したらしいカール・ローブとかケーガンとか、どうしてもここ欧州から見ると鳥肌がたつのである。
それになんだ、あのアラスカのスチワーデスさんは。。おまけに17歳の娘が妊娠してて人気急上昇?まあ、マツリというのは現地にいないと盛り上がり方は体感できないからね。でもなんだかなあ。。。ため息でますね。
オイル価格上昇で、産出国の国庫が満タンになった現時点の数字はわからないけど、以前の統計では全世界軍備の半分以上を米国が有していたんだと思う。
まあ、アラスカ・マダムの政治的経験の少なさは、これから2ヶ月近く続く選挙戦の流れの中でも表面化するだろうし、まだまだ何が起こるかわからない。まあ、これが世界的傾向である選挙政治のゴシップ週刊誌化のプロトタイプだな。
(いつからだろう、猫屋が支持する候補者は、国の如何を問わずすべて完敗しておるわけで、いやだなあ。だからってアタクシがマケイン応援しても、バラコが勝つわけでもないのである。)
さて、K夫人が教えてくれたけど(現場にいた友人プロ・カメラマンからの情報とのこと)、かのダライ・ラマとの会見の際、カルラ・ブルニ-サルコ仏大統領夫人は、薄手の夏服の下にブラをつけてなかったんだと。。。何考えてんねん。仏政治パリマッチ化である。
参考:ル・ポワン関連記事写真つき Fin de la visite en France du dalaï lama
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午後に野暮用があっておもてに出たんだけど、相変わらず陽の差す気持ちいい坂道で、昔今のアパート3階に住んでたときの隣人、アルメニア爺ちゃんを追い越す。もう知り合ってから17年になるんだけど、話をするようになったのは奥さんがなくなってからだから、この3年ぐらいだ。
世話話をちょっとして、立ち去ろうとすると「ぜひ、私のパンチュールを見てくれ。」と言う。PCの調整も終わってないし、ほかにも用意しなきゃならない書類もあるんで「いや、時間があんまりないんだけど。」と返事しても「絶対見せたい。」と譲らない。
パンチュールをペンキ塗りかと誤解して、なんだ80越してペンキ塗りとはたいした元気だなあ、と入った100m平米をこすだろう大きなアパートには、壁の一面に絵画が並んでいる。パンチュールは絵のことだったんだ。
爺ちゃんは、私の腕をとってそれら絵画の一つ一つを説明してくれる。。これはアルメニアの山。これはアルメニアにキリスト教を伝えたローマの神殿。これはアルメニアのタカ(だったか?)で意味があるんだ。これは、これは、これは、、、、。
どう書いたらいいんだろう、ルソーとかのナイーヴ絵にタッチが似ていないこともない。明るい透明な色彩のカレイドスコープ状コラージュや幾何学模様に、小さく教会やらなんやらのシンボルが暗い色合いで影絵のように加筆してある。
アクリルかと思ったら、すべて油絵具とのこと。これはアルメニアの、これはアルメニアの、、と言う説明の間に、きのうトルコ大統領がアルメニア訪問したけど、と聞いてみた。このごろ気をつけて新聞とか読んでるんだけど、アルメニアやグルジアやコーカサスの民族の歴史は読めば読むほどわからなくなる、と言ってみた。
アタテュルクの話から始まって、爺ちゃんは自分の話をボツボツと語る。アルメニアで生まれて、虐殺から逃れた家族がフランスに着いのたは爺ちゃん生後6ヶ月の時だった。それからここフランスで二人の弟が生まれた。アルメニア教会の建設を友人たちとやり遂げた(作業着姿の若い衆記念写真を手作りの枠に入れペイントを加えてた作品がアトリエの壁にかかっている)。
職業はオートクチュールの靴のモデル製作だったが、専門学校の同級に美学校出がいて、彼らから絵の描き方を学び、絵筆などももらった。そうして二十歳で絵を描き始め、兵役でドイツに行ったときも、ホテルの窓から見えたケルンの聖堂を描いた。
同じアルメニア人で同じ職業だった奥さんを、結婚式前日にスケッチし、結婚後それを油で描いた絵も見せてくれた。真珠の首飾りをして、くっきりした眉と大きな黒い目を持つ意志の強そうな横顔の若い女性は、、かつての私の隣人である。
そうやって、爺ちゃんのアトリエを見て、奥さんの部屋にかかってる絵も見て、奥さんの寝室にはいまだベッドの横の床に小作りのスリッパがあって、ベッド隣のナイト・テーブルには昔風の黒いハンドバッグがあった。反対側の壁にかけてあったのは、民族服のアルメニアの若い女性たちが並んで踊っている絵。民族服の色の具合はいつも奥さん(ma femme)が選んでいたんだと、爺ちゃんは得意になって言う。
そうやって爺ちゃんの美術館で一時間ほど過ごし、暇を請うと、爺ちゃんは「こんな広いアパートで一人で暮らして、絵を描いてなければ気が狂っていたよ。」と言う。
この次は、絵の写真取りたいからカメラを持ってくると約束して、3階の隣人宅を去った。
爺ちゃんにも伝えたけど、爺ちゃんの絵にはいくら不安な暗い部分があっても、透明な明るい色合いが圧倒的に勝っている。緑・青・オレンジ・黄のバリエーション。カレイドスコープ。パースペクティヴの微妙なブレ。シンボル。
奥さんが健在のころ、アルメニアに旅行(帰国?)しようと思い立ったが、心臓の具合の悪い爺ちゃんかかりつけの医者からストップがかかったんだそうだ。
そうやって、一度も見たことがない母国を、爺ちゃんは60年間描き続けているわけだ。
なんか素敵で、涙が出そうなお話ですねぇ。
事実は小説よりも奇なり、という言葉が浮かびましたが、一度も祖国を見たことがないのに描き続けておられるんですね~。 すごいな~。
投稿情報: ねむりぐま | 2008-09-14 21:04
ども、ねむりぐま氏、お久しぶりです。
なんか後半の爺ちゃんのはなしはちょっとメランコリックになっちゃった。実は前日にこれも年長の、山での友人のひとりが長い闘病(パーキンソン)のあと亡くなったという連絡を受けたばかりで、そこいらへんは、世代交代なんでしょうがないんだけど、でもねえ。なんだか悲しい。まわりの年寄りに昔の話聞いとくべきだよね。まあ彼ら話し始めると止まらなくなるんで、これも困るのではあるが(w)。
投稿情報: 猫屋 | 2008-09-15 11:18