正確には、Richard Avedon photographies 1946-2004
タイトルにあるように、2004年に死去したニューヨークのポートレート写真家リチャード・アヴェドンの回顧展である。ああ、この展覧会はアタリである。いや大アタリ、と言うべきか。
写真のチョイスも、1階と2階に繰り広げられる写真の並べ方も、文句なく納得。というか超有名な作家だしアヴェドン・ファウンデイションのサイトですでに見ていた作品もあるんだけれど、それにしても、会場始めのファッション写真をざっと見て、ベケットのポートレートにぶつかったあたりから、目くるめくアヴェドンの不思議に巻き込まれる。
たぶんこれは“ヒューマニズム”と言って間違いにはならないだろう写真の撮り方=被写体(人間)との関係の作り方なんだろうけど、(アヴェドンと、カメラを間にして、向こう側にいる人間とのふたつの)まなざしの、しかしそこには対決とかぶつかりあいではない何かがあって、、まあコミュニケーションだな、、言い換えると、ふたつのまなざし(ヒューマン)が“幸福な形で”結晶して一枚の写真になるというアヴェドンのダイナミズムに、写真を見ている“私”が引きずり込まれる。
眼は人間のまなこ、なりである(単に、いつもの悪い冗談です;スミマセン)。
もちろん、1階の著名人ポートレート群には、今頭に浮かんでくるだけでも、ジャコメッティやルネッサンス絵画のようなビートルズの4人、そのまんまのジャニス・ジョプリン、泣きたくなるようなマリリン・モンロー、悲運のバスター・キートンや、3枚ならんだストラヴィンスキーのまなざしの動きや、アメリカを去るおどけたチャリー・チャップリンだとかあって、思い出しながらもため息がでる。
フランシス・ベーコンの、不安な2枚の写真がみせるまなざし:彼は現実世界を見ていない。内部世界に見入っているんだ。
雪のニュー・ヨークの街角を歩くオーデン。癌に侵された父親、ジャコブ・イスラエル・アヴェドンの最後の日々を、じっと撮影し続けるアヴェドンの連作。
圧巻はアンディ・ウォーホールのファクトリー・メンバーを撮った(複数の写真を並べて、わざとずれをつくって編集している)横長の大きな写真。横には狙撃事件の傷跡を見せる(顔は写していない)ウォーホールのボディ・ポートレートもある。
アヴェドンの言葉が英語と仏語でそこここにレイアウトしてある階段を上って2階に行くと、ファミリーと名づけられた米国著名人たち(政治家、アーティスト)のポートレートがあり、続いて圧倒的 In the American West という、トラックの横腹にに白い背景紙を貼り付け屋外で撮影されたという無名の人々のポートレート(ウェイトレス、農夫、ホームレス、養蜂者、ダイナマイト輸送ダンプカー運転手、蛇を切り裂く少年、移動遊園地に働く若者、油田労働者、、、;ガラス張りではないので光が反射しないかわり、これより立ち入り禁止のラインが床に示してある)シリーズがある。
最後近くに、暗くした部屋に白い作品の裏側から光彩した、鉱山労働者たちを写したシリーズが展示してある。それぞれの男の名前がタイトルに記されているが、泥とホコリにまみれ、ある意味アイデンティティを失った彼らの存在感そして連帯が、ドーンとこちらに伝わってくる。
ああ、書き忘れたけど、子供のような動きの晩年マルグリット・デュラスのポートレートも、女優キャサリン・ヘップバーンのショットも驚き。そしてたとえば、著名政治家と元奴隷の老人と、あるいは貴族とホームレスが、おなじ眼の表現、あるいはおなじアリュール(様相)をしめしていたりする。
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最後に写真展パンフから、アヴェドンの引用です。
A portrait is not a likeness. The moment an emotion or fact is transformed into a photograph it is no longer a fact but an opinion. There is no such thing as inaccuracy in a photograph. All photographs are accurate. None of them is the truth.
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この写真展は9月27日まで、火曜日は昼12時から夜の9時までオープンしてるし、9月の22から27日までは毎日夜9時までOKだそうである。日本での原爆投下作戦に参加したパイロット、Claude Eatherly の悲痛なポートレートは見逃したし、映画“ファニー・フェイス”上映もあるから、もう一度行ってみるつもり。
なお、入場料は7ユーロ(割引で4ユーロ)。私が行った木曜の午後は、会場入り口あたりは若干人が多かったけど、もう少し進むと人が多すぎるというわけでもなかった。
(まあ、各人の銀行口座残額というリアリティにもよるんだが、地理的/距離的に可能だったら)見るべしの写真展であります。
私も多忙で、と言うよりも金にならない仕事の延長でパソコンもなかなか開けなかったら、パリはアベドンか
日本では写真展は人があまり入らないと言う事で、手応えのある大きな写真展がなかなか無い、つまり田舎からはるばる東京まで夜行バスに揺られてでも行きたいと言う写真展がない。一瞬パリのアベドンなら,と心が動いた大韓のマイレージをここで使おうかと、思案中。うーん悩むな。
あまりにも華麗なアベドンであるが、華麗さゆえにその華麗さの奥に潜む、そう猫屋さんはヒューマニズムのまなざしと書かれておりましたね。素直なアベドンの見方だと思います。
僕もそんな風に、感じております余計なものをそぎ落として行くと、視覚的には冷たく見えるけれども相手との関係が実にヒューマンなのだとかんじます。
できれば、図録ゲットしておいてください。おねがいしまーす。
投稿情報: しんちゃん | 2008-08-18 11:43
お久しぶりです。
元ソンタグのパートナー、今はルイヴィトンの広告撮ってるAnnie Leibovitz の写真展をパリで同時にやってる(9月19日まで)。アタクシは行く気ないんだけれど、こちらのその手のブログとか見てると、多くの人がアヴェドンとリーヴォヴィッツの違いを指摘してます。彼女自身がアヴェドンの撮りかたをさして“私はあんなふうに被写体/人物と会話できない。写真を撮るのに集中して手一杯だから”と言ってる。たしかにリーヴォヴィッツの写真はマッタイラな気がします。また、リーヴォ女史は注文された写真だけ撮るけど、アヴェドンは自分で撮る写真を選んだ、っていう人もいる。
アヴェドン写真展カタログは、確か50ユーロぐらいだったと思うけど、これがご希望ですか?アタクシは10ユーロ弱のテレラマ発行雑誌版でガマンしました。あと、確かモマだったかが造った写真だけのカタログもあるようだけれど、先日の美術館では在庫なしだったです。
いずれにしろ、もう一回写真展にいけるようなら購入しときます:なんだか夏休みモードが次第にフェードしつつあり、安請け合いは出来ないんですけれど。
投稿情報: 猫屋 | 2008-08-20 01:21
レスポンス遅くてすいません、この企画展のカタログ御願いします。
アベドンの父親のポートレイトですが実は、アベドンがイメージした父親像。実父ではなくモデルだそうです。
リーブオビッツとは、やはり大きな違いと言おうか、撮りたいものが違っていたと言う事だと思います。
リーボビッッツは、イメージの出来上がっている有名人の別な側面を描き出すと言う面では面白いのかもしれないが、人間の本質を写し取る、例えばアーバースのような意図は無いと思うしその辺りがアベドンとの違いかなともおもいます。よろしくおねがいします。
投稿情報: しんちゃん | 2008-08-24 04:07