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2008-05-28

コメント

heian

おもしろいですね。
確かに、固定観念に挑戦することは人間のパッションであるし、歴史は解釈するもの。
視点はよくても、単純で強引な結論が正当な議論を生まないとすると、すごく残念。
現実は非常に複雑だったのでは、と想像してしまいますが、そういう意見はないのでしょうか?

猫屋

まあ、問題の本も読んでないし、大体自分は年代オンチなわけで、論点について何かを言える立場にはないんですが、よろしかったら上にあげたオプスのコメント欄と以前のページのリンク先でのコメント欄(歴史専門家多し)も含めた論争を読むと、なんとなく様子がつかめるかと思います。

結局のところ、何十年か前のある意味リジッドな歴史観に立ち戻っちゃってる、とも言えるだろう。フランスでの共和国思想からコミュノタリズムへの移行傾向(これが続くのか一時的なものなのかは分かりませんが)が表面化してる時点で、この本がジャストミートに、出版されたということでしょう。

歴史(学)は、文献や発掘や発見をもとに、過去を見直す学なんだと思いますが、同時に、もちろん各時代の“権力”は歴史を“編集”するわけです。いち時期、フランス歴史学は想像力を伴ったいい仕事をしていたようですが、ここんとこあんまり元気ない(元気がないのは歴史学者に限りませんが)。

なお、おっしゃるように、中世当時のヨーロッパ・オリエント世界は、実に複雑だったんだろうと想像します。ただ、それをヨーロッパとオリエントと、あるいはキリスト教・イスラム・ユダヤと分割してしまってはルネッサンスを用意していたあの時代の豊かさ(複雑さ)を理解できないだろうと考えています。

実際にヨーロッパを若干ですが旅行して、たとえばフランドルやブルゴーニュを見て、南仏からイタリア、特にヴェニスにたどりつた時には、目の前に広がるオリエント風味にびっくりしたものです。残念ながらスペインはまだ行ってないし、イスラム圏もまだ行っていませんが。

単なる夢想ですが、厳しい戒律に縛られた僧院の坊さんが、禁じられた書を開いて“ギリシャ的自由”を夢見る、、、って、これ、映画“薔薇の名前”の影響でしょうけど(笑)。

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