ダライ・ラマ、コントロールすべき権威
ル・モンド 2008年3月26日
彼は、国際的カリスマ指導者である。チベットにおける興奮の続く間、そのポートレートが世界中のプレス第一面を飾った。72歳にして、テンジン・ギャツォ(Tenzin Gyatso)、14世ダライ・ラマは世界の屋根の解決の鍵として登場した。チベット人の精神的そして政治的指導者としての能力と、さらに1989年のノーベル平和賞は、彼を避けることのできない仲介者となした。しかし、北京政府は、彼との話し合いという展望を冷淡に否定する。そして、彼とその“徒党”を酷評し、執拗に彼を打ちのめす。
中国占領下のラサから逃避し、ヒマラヤの凍った峠を越えて1959年に亡命したダラムサラ(Dharamsala/インド)のエグザイルから、望むのはチベットの“自治”だけだと繰り返しても、北京政府は何も信じようとはせず、彼を陰謀の首謀だと非難する。話し合いよりは、中国は待つことを選ぶ。何を待つのか?その相続をコントロールし、中国共産党 (PCC) の息のかかった人物を未来の15世ダライ・ラマにするために、ダライ・ラマが大往生する時を待っているのだ、と北京政府批判者たちは告発する。つまり、1989年に原因不明で死亡した10世パンチェン・ラマ(panchen-lama;チベットの位で2番目にあたる)のシナリオの繰り返しである:その死の6年後、北京政府は一方的に、生まれ変わりの人物(リインカーネイション)を選出している。ダライ・ラマとその賢人たちが生まれ変わりと認めた少年のほうは、行方不明だ。
いやなアイロニーである:チベットにおける帝国の権威を強固にするため、マルクス主義アテイズム(無宗教)の中国共産党が仏教神学に介入し、リインカーネイション(tulku)という儀式を思うままに操作する。その工作に対して14世ダライ・ラマは先手を打つ。少なくとも異端といえる発言を繰り返している。
そのリインカーネイションは彼の死ぬ前に、チベット以外の地で認識されるだろう、と彼は示唆する。また、かれの後継者は“教皇のように”選出されうる。もしチベット人たちがそのように国民投票(référendum)で選択するのであれば、ラマ制度自体の撤廃もありうる。一言で言えば、北京政府の手の内に落ちるよりは、教権の座を打ち砕くことを選ぶのだ。
フレデリック・ボバン Frédéric Bobin
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