長いですが、トライしてみます。これまたかなりの意訳です。
Edgar Morin : "La politique de civilisation ne doit pas être hypnotisée par la croissance"
エドガー・モラン:「文明の政治は、成長率に魅了されるべきではない」
ル・モンドウェブ2008年1月3日イオンドパリ:ここでの“文明”はなにを指すのですか?
エドガー・モラン(以下EM):まず文化と文明を区別すべきでしょう。文化とはある共同体に特殊な価値と信仰の全体です。
文明とは、ひとつの共同体が、もうひとつの共同体に伝えることができうるもの:テクノロジー、知識、科学などです。例を挙げれば、今私が話題にするところのグローバリ化した西欧文明とは、科学・技術・経済の発展全体によって定義つけられる文明です。
そしてこの文明が、現在はポジティヴな結果よりネガティヴな結果をより多く引き起こしており、改革が必要になった、その結果としての文明の政治なわけです。
マテュー:“文明”という語彙の使用は、ネオ・コンとの駆け引きに人を巻き込む結果にはなりませんか。
EM:私にはなぜそうなるのか分かりません。もし、私が文明を改革すべきだと言ったとしたら、それはむしろ物事を変えたい人々のストラテジーであって、保守の考えではない。
Ib :サルコジ氏は“文明の政治”という表現を使って、わたしたちに西欧とイスラムの対決に対する心構えを準備させたがっているのでしょうか?
EM :私にはサルコジ氏の頭の中になにがあるのか知りえませんから、この質問には答えようはありません。私はそのようには思っていない。複数文明の共生である人間の政治、つまり、それぞれの文明の最良の部分が含まれる場としての政治というアイデアを、私はいくつかの文章で展開さえしています。
ブルカ :文明はポジティヴな結果よりもネガティヴな結果を招くとおっしゃっていますが、ネガティヴな結果とはなんでしょうか?
EM :たとえば、科学が恩恵ばかりをもたらすわけでなく、大量破壊兵器や遺伝子操作の可能性さえもたらした、という事実のことです。今日の技術と経済は、生命圏(la biosphère)破壊に関わっており、そしてエコロジー問題全体が、今私たち全員に関わっているのです。
また、物質文化が人口の一部にもたらされた地域全体において、それにともなう真のモラルあるいは精神的恩恵は導入されず、結局その地にあった元来のバランス自体が不安定化してしまっています。
個人の責任、あるいは自立という観点ではポジティヴな事柄である個人主義が、人々の連帯を衰退させるという結果をもたらした。
これらすべてが、量の支配、つまり“よりよい”を犠牲にした“より多く”(という傾向)につながっている、ネガティヴ・サイドの悪化現象です。そのためにこそ文明の改革が必要なのです。
キャティ:「文明の政治(...)はふたつの本質的機軸の上に基礎を置くべきだ(...):大幅な設備投資を必要とする街のヒューマニゼーション化と、過疎地の無人化に対する戦いだ」 とおっしゃっていますが、政府の行っている政策と、あなたのコンセプトの間に、どういった適合性があるとお思いですか?
EM:今までの異なる政権が行ってきたことは、(上の)ふたつの様相に関してまったく不十分だったと考えます。田舎の再活性化には、たとえば、まず村に生を再び与えることが必要であって、水源と食物をを汚染する産業化された農業と大型牧畜を後退させ、かわりに小型農業と中型プランテーション、そして可能な限りでの有機栽培農業(l'agriculture biologique)開発を進めるべきでしょう。
市街地のレベルで言えば、これも大変人間性から遠いものだ。ゲットーとなりつつあるバンリュウ(郊外)での生活は、恐るべき問題を抱えている。これは同時に巨大都市の住人の問題でもあって、人口過密や化学公害があり、汚染された大気に起因する心身医学的疾患が増え続けているし、麻薬や睡眠薬の使用も増加している。
したがって、今までのところ、このふたつの問題は充分なパワーをもって扱われてこなかったと考えます。
ミッキー:移民と国家アイデンティティ大臣と遺伝子テストの法律化、それと文明の政治は両立するのでしょうか?あれはむしろ「脱文明」のしるしではないでしょうか?
EM:たしかにそれらの例が、私の考える文明の政治とはまったく相容れないのは確かです。それは、また別のより広い枠、つまり移民に関する政治のヒューマニゼーションに入る。これは、フランスにおける移民の同化に賛同する私の政治思考の一部でもあります。
方向だけではなく、道自体の変更が必要なのです。これは実に難しい。けれど、いったん道を変えねばならないと確信を持てば、人は正しいパースペクティヴ内にあるのです。
ジョゼペペ:El Mundo Arcadi Espada のスペイン人ジャーナリストは、“フランスでももっとも偉大な政治著者のひとりであり” “伝説の大統領ライター” であるアンリ・ゲノなしでは、サルコジは言葉を失うだろうと断言しています。これについて、どうお考えですか?
EM:ふたりのつながりについてはあまり知りません。ゲノ氏に会ったこともない。私が知っているのは、たとえば、彼が私の文章から“文明の政治”という政治表現を見つけ出したことです。
マテュー:わたしたちの政治目標に“美徳”や“正義”を再び取り込もうとする、これはもうひとつの危険な試みではありませんか?
EM:いづれにしても、文明の政治とは連帯と責任(訳注;どちらも複数)を回復させる政治であって、それ自身がモラルという様相を含みます。これを除外することはできない。危険なのは、人が美徳と、そして恐怖に美徳を結合するというロベスピエールの言葉について、考えるときです。
ランス:ニコラ・サルコジの政治で、ポジティヴな点はなんでしょうか?
EM:これまでのところ、移民層出身の人々を大臣職に任命したことでしょう。
ジップ:どんな方法をとっても成長率を上昇させるということが、大統領選挙での過半数によって求められた国の主要目標である場合、現実的に文明の政治を行うことは可能でしょうか?
EM:まさに、文明の政治は成長率に魅入られてはいけないのだと考えます。
より多く(plus)のたえまない探求を放棄し、よりよい(mieux)を求めるべきでしょう。成長率とは単なる量を指す語彙です。どれが成長率をもたらすセクターなのか、また反対に、どのセクターでは成長率を下げることが可能なのか理解すべきでしょう。
マテュー:2002年の著作で展望として書かれていた連帯の復活はどのようにしてなされるとお思いですか?
EM:大統領選挙前の4月の関連する記事に、その方向でなすべき政策を記しました。フランスの大都市に連帯の家を、そひて連帯の市民義務(かつてあった兵役義務に相当すると思われる)を設立するというものです。少なくとも具体的なふたつの提案をしました。
ディプスロット2: (発想者にとって)この“文明の政治”への言及は、同時に今はやりのリベラリズム(訳注:仏ではネオ資本主義の意)を、より市民的に、より受け入れやすい(都市に許容されやすい)ものにするとは、お思いになりませんか?
EM:大統領、あるいはその周辺の人々の頭の中に何があるのかは、これまでまったく分かりませんでした。これが実際に、単なる言葉に終わるのか、あるいは本当の方向転換(訳注:une conversion profonde/直訳は改宗)なのか。真の方向転換であるとすれば、重要な意味を持つわけで、その場合は私もそれを評価する用意があります。
ヤシン:“文明の政治”というテーマは、国外版もあるうるのでしょうか?同時にジオポリティック(訳注:地政学)のコンセプトなのでしょうか?
EM : これは世界中の西欧化された地域に有効なコンセプトです。例をあげれば、サンパウロや上海といった巨大都市では、同様な文明が見て取られ、同様に文明の改革が必要とされています。
pmpl:サルコジ氏の少なくともふたつの重要な言説が、彼が“文明”と言う時何を意味するのかという理解を助けます:ダカールでの発言と最近のSaint-Jean-de-Latranでの発言です。これらについてどうお思いですか?
EM :ダカールでの発言にはまったく同意できません。なぜなら、それはアフリカの現状とまったくかけ離れているからです。アフリカ内部で起きている重要な問題を理解していない:それは自立性と、欧州モデルのコピーではない進歩等に結びついている。
Saint-Jean-de-Latran での発言については論評を控えます。ヨーロッパとはメタ・キリスト教(訳注:超キリスト教)だと私は考えます。(ヨーロッパは)中世にはキリスト教、そして近代ではライシテの上に築かれている。もちろん、聖書の教えるところはライシテ化し、ヨーロッパ・ヒューマニズムとして受け継がれています。
信仰の問題に関しては、信仰者であろうと無信仰者であろうと、同様にモラリストでありえると思います。
フランシスコ:あなたが例に出した共生(symbiose)において、各文明の“最良の”部分の“最良”とは何を意味するのですか?
EM : ヨーロッパ文明に関していえば、それは民主主義の思想、人権だと思います。中国については、道教に基礎を置く、豊かな生命と自然のコンセプトおよび固有な意味を持つ知恵です。
北アメリカインディアンとアマゾンの小さな文明には、無視すべきではなく、また適用しうる生活のアート(arts de vivre)と知識と認識があると思います。
どの文明にも独特な価値があり、独特な迷信があり、独特な間違いがあるわけですが、異なった文化の価値こそがたがいに出会うべきだと私は考えます。
ここ、私たちのいる世界では、生活の技術への探求があって、人は禅仏教やダライ・ラマのチベット仏教のなかに、違った生活のあり方を探しています。
西洋一般、特にヨーロッパでは、文明における物質と技術の側の開発はあっても、すべて魂、精神、自己との関係、他者との関係性は充分に開発されなかったと考えます。これの点において、他の文明から学ぶことは多いのです。
Gwaihir : 現在の世界イメージは、あなたの文明の共生よりは、(残念ながら)サミュエル・ハチントンの文明の衝突へと傾いていはいないのでしょうか?
EM :それが現在のいちばん大きな問題です:文明の、あるいは宗教の戦争を避けることができるのか? 私の提唱は、文明の衝突とは正反対の方向に向かうのです。
Constance Baudry / コンスタンス・ボードリ
LEMONDE.FR | 03.01.08
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なお、エドガー・モランはこの月曜日(7日)にエリゼ宮におもむき、サ大統領と40分間にわたって会談したそうであります。下はル・モンド紙による、サルコジの“文明の政治”内容語録。
小生のサイトにそちらのサイトを引用させていただきました。恐れ入りますが削除を希望される場合はお手数ですがサイトのメッセージに一報いただければ幸いです。
よろしくお願いします。
投稿情報: 賢犬 | 2008-01-08 14:19
賢犬氏、始めまして。お名前はケンケンとお読みするのでしょうか。
ここのお客(さま)には、猫族が多く、あとはねずみ王様とかサルの方とかもいらっしゃるわけですが、犬系は初登場。なんか世界平和でいいなあ。
ご丁寧なコメントありがとうございます。猫屋の辺境ブログは、営利目的でない限り、リンク・コピペ等フリーですのでよろしくお願いいたします。
投稿情報: 猫屋 | 2008-01-09 00:24
ありがとうございます。今後とも楽しみに読ませていただきます。それにしてもプチナポレオンのDoopingが発覚するのはいつですかね。
投稿情報: 賢犬 | 2008-01-09 06:46
前のDoopingは薬のDoopingではありませんので、間違いないように。
投稿情報: 賢犬 | 2008-01-09 07:58
先日はいろいろ教えていただきました。
でもうまくいかないので、少し時間がひつようなようです。
エドガーモランというと、私は直接に教えてもらったことはありませんが、そうとうな博学な学者でしたよ。かなりいろいろ言う人でトウレーヌなんかとの対談も聞いたことがあります。もう一人いたかもしれませんが。なつかしい人ですね。本もだいぶ買わされたし。(笑い、私が買ったのです。 )
このルモンドの記事は大事ですから、簡単に流し訳ではなくて、正確に訳しておくといいでしょう。わたしは、半分ほど比較して拝見させていただきました。
ここのところ、フランスのメディアも面白くなってきているようですね。頑張ってください。
投稿情報: bxev | 2008-01-12 04:54
訳文、若干手を入れました。
たしかに、サルコジメディア管理にヒビが入り始めた。セシリアがいなくなり、年末には生活苦が実感として国民に共有されるようになり(同時に大統領のブリング・ブリングも)、記者会見でのジョフランの分析やバデュー、モランたちの言葉が、今まで聞く耳を持たなかった、あるいは聞かせる手段を持たなかった、メディア網の隙間から市民にまで届くようになったわけです。
投稿情報: 猫屋 | 2008-01-12 13:12