だいたい映画館まで出向いて映画を観るのは“現実からの一時的遁走”なわけで、結果大振り非現実な作品が好みであるアタクシには、あくまで日常から飛翔しない、ミニマリストに過ぎたり、マリボーダージュ現代版、つまり“退屈な夫と妻とその愛人たちの暇つぶし”的愛憎モノだったりする今のフランス映画は苦手であるわけだ。
と、前書きばかり長くなりそうなので切り上げる。この映画は俳優ジャン-ピエール・ダルサン (Jean-Pierre Darroussin) の監督第一作。エマニュエル・ボーヴ Emmanuel Bove (1898-1945) の同名小説が原作である。Le pressentiment /ル・プレセンティモンとは予感、のことですね。
内容は、高名な弁護士であるシャルル・ベネストという中年男が、ある日家族も友人も仕事もなにもかも放り投げて、ひとり“執筆に専念”する、その生活ぶりを描いている。横の糸をなすのは、彼がかつて生きていた世界、つまりパリのアッパー・クラス世界と、偶然見つけたアパートのあるRue SAINT-MAUR/サン・モール通りという労働者・不法滞在者・外国人たちがすむ界隈の対比。このふたつのまったく異なった2世界を主人公は自転車を繰って行き来する。
舞台は、リュック・ベッソンが撮ったような観光名所ではなく、私達が生きているそのままのパリである。大昔に見たアニエス・ヴァルダの“5時から7時までのクレオ”を思い出した。一種のパリをめぐるロード・ムーヴィーと言えなくもないな。
さて、この金も名誉も身分も捨てた主人公は、下町の人情によって生き返るのか、というとそんなこともない。上流社会の偽善と孤独と上流な俗悪さのかわりに、ここには悲惨と貧乏と嫉妬、そしてどうしようもない俗悪さがある。主人公はこちらでも自分の場所を見出すことが出来ないようである。
寡黙な男が、自分の意思とは無関係に、13歳の少女の世話をするはめに陥り、あげくは隣人達からペデラストとして疑われてしまったりもする。なお、近所の針仕事を生業とするシングル・マザー役のヴァレリー・ストロ (Valérie Stroh) はシナリオ共同執筆者でもある。
本来なら暗い映画になってもおかしくないのに、これは主人公の不器用さに由来するのか、あるいは重なる“場違い”感覚が引き起こすのだろうか、作品全体に軽み、あるいは諧謔があって、奇妙な魅力となっている(これはあくまで個人的な印象ですが)。
残念だったのは、映画の始めのほうで主人公の遺産相続書類へのサインを求めて、兄弟達が下町のアパートにやってくるシーンで、兄弟達がみんなちっとも似てないこと。俳優がやってるわけだから仕方がないんだが、ハタから見てると親子兄弟の相似ってのはそれだけでかなりなスペクタクルだと常々思っているからです。
また、監督・主演そしてシナリオ共著までこなすダルサン自身の出生は労働者階級。アタクシ自身は執事を雇うような上流家庭は見たこともないんですが、パリの上流と下流に関する映画として見てもいいですね。佳作なり。
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