とりあえず貼っときます。9月12日、Ratisbonne 大学で科学者たちを前に行われた法王スピーチ全文(バチカン・サイトのイタリア語版から)仏語翻訳したものです。全四ページなり。ちなみに独原文はこちら。
“理性の正しい用法の共通責任性” か、ル・モンドがつけたタイトルは。しかしギリシャ哲学的理性を教会とくっつけちゃうところには無理があるように思うんですけどねえ。まあ神学ってのはそうなんだろうけど。
いや、まだ全文読んでないから大きなことは言えませんが。レフェランスもなにも分からんなりに、いちおう読んでみました。これは法王の神学告白とでもいうべきものでしょう。枕にビザンチン(15世紀でいいのかな、)時代のイスラム批判を持ってくる必要は本当にあったんでしょうか、というのが宗教オンチ猫屋の印象。
しかし、今この話を法王がしちゃうってのは、あまり理性的とも、責任ある行為ともいえないように思えます。あるいはル・モンド社説が指摘するように、これが対話のスパースター前法王以降のバチカン外交政治ガイドラインなのかもしれません。
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こちらは同じくル・モンド記事から、アラブ世界専門家 Malek Chebel/マレック・シェベルへの関連インタヴュー。イスラムのリュミエールに向かう長い道程、とでも訳しますか。
このインタヴュー冒頭でシュベルが展開しているように、中世においてはアラブ世界が(哲学も包括する)ギリシャ文化の後衛者であったことは事実であるし、また10世紀前後におけるイスラム世界が数学・化学・医学をはじめ多くの分野での前衛であったこともあきらかかと思います。
対して、ベネディクト16世の言では、ギリシャ哲学→ローマ→キリスト教欧州というラインが強い。理性の一直線ですね。したがって演繹しますとキリスト理性欧州は非理性を導かねばならない、となる。これが一神教の難しいところかと、、、というのが宗教オンチの読後感でございます。でもさ、キリスト教でのロゴスって具体的に言ってなんよ、誰かおせーて。
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