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以下は、attac大本山ル・モンドディプロ、パリ編集部でのお家騒動に関するリベの記事訳出です。
Attac diplomatique à la direction du 《 Monde diplo》
《モンド・ディプロ》編集部へのディプロマチック・アタック数ヶ月にわたる緊張ののち、アラン・グレッシュはタオルを投げた。ル・モンド・ディプロマティック編集長は11月にその役職を退き、近しいドミニック・ヴィダルも副編集長職を下りた。理由は同じだ。
この2人の男は、ATTAC内で繰り広げられる機関抗争と敵対関係から、同新聞を遠ざけたいと望んでいた。ル・モンド・ディプロマチック編集部と強くつながり、オルター・グロバリゼーションの先駆であるこの組織は内部危機に揺れている。ジャック・ニコノフ(委員長)とベルナール・カッセン(名誉委員長)からなる指導部に対して、その独裁的と判断されたやり方と方向性に異議があがった。
この夏、イグナシオ・ラモネ(ディプロ社長)は論争に介入、ニコノフとカッセンを支持した。『個人としての』支持だが、これには重みがある。この組織/アソシエーションはイグナシオ・ラモネのアイデアとそのイニシアティヴをベースとして1998年に発足している。ベルナール・カッセンはattacの創立者の一人で最初の委員長、また同時にル・モンド・ディプロマチック社のディレクターにしてディプロの記者でもある。
単なる記者として編集部に残るアラン・グレッシュとドミニック・ヴィダルの役職辞任は、ディプロの編集路線を変えることになるのだろうか。ベルナール・カッセンは答えはノンであると断言している。しかしこれはすべての人間の考えではない。なぜなら《左の左》すべてを扱うにしろ、この新聞の包括する各政治傾向間には大きな差異がある。アラン・グレッシュとドミニック・ヴィダルは《国際左派》であり、シュベンヌモン主義あるいは《ナショナル共和主義》に反対する。後者とは幾分かニュアンスが違う位置にいるのがベルナール・カッセンと新編集長モーリス・ルモアンヌだ。
長い間、イグナシオ・ラモネが平和をもたらすジャッジの役目を果たし、以上の感覚の相違は大きな問題を起こすこともなくル・モンド・ディプロマチック内で共存してきた。しかし時を追って違いは大きくなり、時として表立った抗争となった。ライシテとヴェールの問題がそのひとつだ。またキューバ政府へのラモネの支持も緊張を巻き起こした。同様に編集部の一部と読者は、この新聞がイングリッド・べトンクールを人質とする Farc/ファルク、コロンビア反逆集団と充分な距離をとっていないと感じている。
ル・モンド・ディプロマチック編集部ヘッドの危機は、1994年から2003年にかけて多くの海外版を発行し販売数を急激に伸ばした後、この2年読者数が減少した時点で起こった。2003年には最高の24万だった有料発行数は現在2万5千に落ちている。
リベラシオン(2005/01/07)Olivier COSTEMALLE/オリヴィエ・コステマル
リベならではのオヤジギャグ見出しで、思わず私も読みました。過去のいきがかり上(笑)、なかなかコメントしにくい記事ですが...。母体のほうもいろいろあって引き締めにかかっているようですね。コレクティフの運動をめざしたものに結局伝統的な前衛党の論理が持ち込まれているということになる。こういうことをしている場合ではない、と言ってみても今更始まらないわけけですが。
投稿情報: fenestrae | 2006-01-10 23:35
いや、私も911直後のラモネの記事に感心したこともあって、当時は期待してたんですが結局のところ組織化の時点で昔の姿が出てきちゃった。湯やのお化けみたいなもんだ。これって歴史的パターンなんだかどうか。結局エコロジストの流れもそうだったし。私はレーニン主義者じゃないですが(ロマネスクにはファンだけど)、やっぱ、レーニンを超えるぐらいのリーダーが出てこないといけないんでしょうかねえ。まあ、今は(ってたぶん私の生きてる間ぐらいのターム)ゲリラ(的)行動しかない気がします。
これも成城さんとこで拾ったですが、http://www.bund.org/interview/20051105-1.htm
元全共闘で大手ウヨに検閲うけてる現在真性ウヨ教授のインタヴューが載ってるサイトの名前見てビックラしました。コンプレックスしてます。三回転トリプルアクセルの現在であります。
投稿情報: 猫屋 | 2006-01-11 02:35