1980年5月30日、パリ市ラファイエット通りのBNP銀行強盗を行ったかどで指名手配されていたエレン・カステルは、時効成立の4日前、2004年5月12日に逃亡先のメキシコ、ジャラパという町でメキシコ警察に逮捕された。
彼女の父親は社会学者、今はもう亡くなった母親は精神家医。当時の極左スクワット運動などに関わっていた彼女と他4人の仲間は運動資金調達のための銀行襲撃を計画、失敗(グループのうちの一人は警察隊に向かって発砲、反撃を受け死亡。)。20歳だったエレン・カステルはひとり現場からの逃亡に成功、秘密裏に同年8月メキシコに渡る。メキシコではFlorencia Rivera Martin/フロランシア・リヴェラ・マルタンという名で精神医学を学び、セラピストになる。また出合ったメキシコ人アーティストとの間に娘(マリア、現在19歳)を得て、一人で育てている。
極めて異例のこのケースでは、刑事・民事双方の法廷関連者がこれも異例の見解を相次いで出していた。22年にわたる亡命生活と人生の再建設によって、彼女の犯した罪はすでにあがなわれるといった声も多かったようだが、有罪の判決を受けて(禁錮二年・執行猶予)彼女自身“ほっと”したとラジオの報道にあった。メキシコでの逮捕時、娘マリアが18歳になったのだから今は逮捕を受け入れることが出来た。セラピストという職業上、つねに真実と嘘について考えていた、とも言っていた。
20歳のエラン・カステルと46歳の現在の彼女の間にある CLINDESTIN/ 非合法な“時間”について想像してみる。
法廷での審問の最後に彼女はこう言っている。「生きることが出来たことを人生に感謝したい。法廷での試練は“開放”だった。」 « reconnaissance à vie pour lui avoir fait vivre » l’épreuve du procès, qui constitue « une délivrance ».
参考:リベラシオン記事(他にも関連記事多し)
«Elle se sent légère, sa vie proscrite a pris fin»
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