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今日は一日中外出しっぱなし、買った新聞もまだちゃんと読んではいない状態ですがいくつかメモ。
大きさは同じですが、紙面構成を変えカラー写真を大幅に導入したル・モンド、この新聞はリベラシオンと同様、今回の“騒動”をスキャンダラスに書き立てることはなかったな、というのが私の印象です。各県で焼かれた車の数を地図で示した(らしい)大衆紙パリジャンやTVの報道だけ見ている人々はまた違った印象を持ったと思う。
・ル・モンドの記者が日曜の夜パリ近郊のシテで若い“casseurs/壊し屋”達と何時間かエンベッデッドして書いた記事が、ネット版で読者ランク一位になっています。サルコジの挑発的発言(猫注:シテを水圧掃除器で清掃する、ごろつき、など)が今回の怒りの爆発の原因だったのかといった内容のジャーナリストの質問に彼らは“自分達は溺れかけてるのに、浮き輪を投げる代わりに、逆にこっちの頭を押さえ込んで沈めようとする:助けてくれ”。“座標/目標がない”、“理解されていない”、“人種差別の犠牲になってる”、“汚いシテで生き続けるよう宣告された”、“追放された”と彼らは言う。
・同じくル・モンドから、サッカー選手で同時に国の同化委員会にも属するリリアン・テュラムへ火曜日なされたインタヴュー記事 からかなり意訳
“私の持っているカルチャーはバンリュウ/郊外に近い。そこで育ち、そこで生活した。若者は暴力的になっているが、原因のない暴力はない。一番危険なのは彼らではないだろう。” 保安問題について、“解決策を持ち出すことなしに、バンリュウを常に話題にし、そしてソンパピエ/不法滞在者を国外退去させる、これは私のフランスではない。。。誰かがこう言った:カルシェール/水圧掃除器で洗い流すべきだ、とサルコジが言う時、サルコジは何を言ってるのか自分でも解ってないのだ、わたしは自分に向かって言われてると取る。”
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今日も、パリ右岸下町の通りもメトロも何も変わったところはありませんでした。ただ、通勤時のメトロの住人達が眼があうと微笑みあう。これはゼネストの時などにもあるな。パリ中心に住む住民も心配している。
パリのペリフェリック/環状線道路が隔てる先のバンリュウはすぐそこです。パリ市長ドラノエの計画する新都市計画には、道路のトンネル化や周辺の緑化、両側から徒歩で簡単に行き来できる公共施設など、このパリと近郊郊外のあいだの“壁”を取り除く方向性があるようです。
ド・ヴィルパンはバンリュウ緊急対策として、教員補助職員の充てん、教育費増大、各種市民団体への援助金復活などとともに、14歳からの見習い制度というのを挙げています。これは本来16歳から始まる見習い制度にかわり、勉強にどうしてもついていけない子供が学校の“お客さん化”あるいは通学をやめ不良化するぐらいなら14歳からパン屋や配管工などの下働きを始めるべし(ちょっと荒っぽい説明ですいません)ということらしい。これにはかなり反論が出ています。
どうもド・ヴィルパンが今回の騒動では目立ってしまったせいでしょうか、サルコジ内務相は今回で検挙された外国人は滞在許可証があっても即国外退去、と息巻いております。これって議会の承認か裁判所のバックアップないと無理な気もしますし、またそんな、せっかく騒ぎも下火になったのに、、と思うんですけども。記事
たしかにサルコジ支持者のなかには、とにかく“治安問題”を第一に掲げるゴリ保守の人々がいます。保守右よりあるいは極右のド・ヴィリエやマリーン・ル・ペンといった方々は今回の騒動に軍隊を送れと言っていたようですし。
なお、ル・モンドによると10月末から今までの検挙者は273人、うち禁固刑を受けたもの173人。特別処置として検挙後裁判がすぐ行われた結果です。
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ところで、今日発行ル・モンドの大一面写真は住民投票に負けてしまったシュワルツネガーが奥さんとキスしてるカラー写真でした、ははは。燃えた車じゃないっすよ。
レユニオンで行われたコスタリカ・フランスのサッカー親善試合。家に帰った時は 2-0 でコスタリカが勝ってた訳で、こりゃ駄目だと無視してたらナント逆転 3-2、フランスの勝ち。ゴールはチーム復帰のアネルカのあとシセ 、ティエリ・アンリ。やったぜシセ。どうせおまえは猫屋が見てないときしかゴールを決めないんだよな、しかしよくやった。
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書き忘れ事項追加
今回の騒動のきっかけとなった10月27日の2人の未成年者(17才と15才)の電圧室内での感電死についてはいまだに真相がわかっていません。警察に追われた結果だったのか、どうかなどはこの後の調査結果発表を待たねばなりません。
またクリシ・スー・ボワで乱打された後死亡した男性(57才)の死亡にいたる情況も今は発表されていません。街路灯関係会社勤務の被害者は、新しく設置した街路灯の写真を取っていた。そこをたまたま通った数人の男に乱打されたわけですが、検挙された犯人達が、暴徒だったのか、カメラ盗難が目的だったのか、あるいは車盗難現場をカメラで取られたと思ったのか、、、これも調査結果待ちだそうです。
なお、社会党関係者は内部分裂のためとにかく目立ったことは言わない方針を取っているように思えます。
追記;今回の騒動で、車焼き等の“扇動”をしたとして数人のブロガーが逮捕されたらしい。これは日本語版ホットワイアドから。たしかにこっちのテレビで、火付け先の時間・場所を指定していたとして、いくつかのブログが閉鎖されたという報道はありました。フラッシュ・ムーヴ、オフですな。
追記の追記:でも上記 HOTO WIRED のソースは米国WIREDで、パリ裁判所匿名関係者から聞いたとあります。こっちの報道ではまだ見てないな、この情報。
また、これはいつものことですが、パリ市内(20区ある)とパリ地方(近郊のブーローニュ、ラ・デフォンス、ヌイイ、ヴァンセンヌを含むな)とパリとその近郊(国立競技場のあるサンドニや問題の多いモント・ラ・ジョリなんかも含めると思う)などといろいろ言い方があるので面倒です。これはいつか別ページで書きたい。急激なパリでの家賃高騰で住居地区がどんどん郊外に広がっているのがこの混乱の原因です。ただ現地民にとっては、パリはあくまで20区からなる地区なわけね。普段は観光客も外国報道陣も足を踏み入れない地区で騒動は起こったわけだから、報道内容に混乱が起こるのも当然かと思えます。
投稿情報: 2005-11-10 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (3)
先ほどはイッキに前エントリを書き込みまして、かなり荒い文章になってしまいました。いくつか追加事項をしたためてみたいと思います。
フランスは移民の国である。私は1980年代にここにやってきた“文化”移民です。日本の生活に息が付けない、こりゃちょいと別の国も見てやろうとやって来て20年が過ぎてしまった。一時は第三国に“出稼ぎ”のようなことをしていた時期もありましたが、どうにかこうにかここまで生活してきた。ただ、このところとんと仕事が減って困っている。
近年の移民組には、ロシア東欧系、トルコ・クルド、イラク・アフガニスタン系もいるようです。彼らが実際に滞在許可証をもった正式移民なのか、許可書なしの無書類移民なのかは私には確かめるすべがない。もちろんアフリカ大陸から欧州を目指してモロッコの砂漠を歩いて渡る移民候補者達の不運は2ヶ月ほど前、こちらでたびたび報道されていましたからご存知のかたも多いと思います。彼らはすべてを捨てて欧州を目指す。そこには“より良い生活”が待っていると信じているからです。たしかに、アフリカ諸国での仕事のなさは欧州とは比べ物にならない。それは事実です。そしてそれはアジアの、たとえばインドネシアやフィリピンでも同様かと思います。
シテ/Cités
これは今回の“暴動”、私としてはできれば“騒動”と呼びたい気がしますが、この動きの起こっている各地の60年代建築の衛星集合住宅街はよくシテと呼ばれます。たとえばパリ市外にある海外および仏大学生用の住宅集合をシテ・ユニヴェルシテールと呼ぶのと同じ用法です。今回問題になっているシテは1960年代の住居不足時に建設された住宅群を指す。当初は、やはり同様な目的で建設された日本の公団住宅に似たようなものではなかったかと思えます。小津安二郎の映画にありましたね。ただ、その当時はピカピカだった住宅も、しだいに疲れてきた。収入が増えてよりよい条件のアパートなり一軒屋に引っ越す住人もいたけれど、そういった上向きの人生を送れない人々もいる。1960年代工業近代化の遅れをアフリカからの低賃金労働者にたよったフランスの過去がシテに凝結している。そして、こちらで生まれた子供達(ジダンの世代)の多くはシテで生まれシテで育つ。
シテの子供達にはシテのフランス語があります。彼らのアクセントやしゃべり方はいつの間にかパリの上流階級地区の一部の子供たちにまで使われています。一種のジャルゴン/職種間の特別語的です。悪ぶる子供はどこにでもいます。シテのファッションもある。アディダス・スポーツウェア系、XXL系。これは日本でも見られますね。テレビの影響でしょう、最近は世界レベルで電波するのが早い。ラップ、ヒップポップの世界です。
同時にフランス全体で階級が崩れ始めているのも事実です。米国などに比べると異エスニック間結婚が多いせいもある。そして経済のグローバリ化はあらゆる分野にコーラテラルダメジを生み出している。今では、失業は単に低学歴層に限られているわけではありません。文科系では修士や学士タイトルをとっても就職できないでドクター過程に進んだり、ファーストフードで金稼いだりというのがよくある。また、順調に仕事していた非移民の子系管理職が会社移転などで突然失業というケースも多いわけです。ヒューレット・パッカードの大型解雇はまだ解決がついていません。
高学歴失業者も清掃やレストランの給仕といった複数の短時間労働をこなさなければ生活していけないという情況が、イギリスのジョブ・センターのもたらした失業率低下政策の結果だとして報道されていましたが、これは明日のフランス情況でもあるでしょう。
そのような社会で、たとえばモハメッドという名を持つシテの移民第三世代の学生が就職活動にあたってCV/履歴書の段階で落とされる。ディスコやバーで門前払いをくらう。メトロやバスや街中での警察のコントロールにひっかかる若い衆にはやはりアフリカ系が多い。邦人も引っかかりますね、時々。なお先日ロンドンでテロリストと間違えられ射殺された不幸なブラジル人は北アフリカ系と間違えられたのだろうと私は思っています。
また先月の不法滞在者たちの住居を求めるデモには中国系と見られる若い家族連れも多かったことも付け加えておきます。元来中国系(ベトナム系も含む、彼らの多くはベトナムでは戦争時裕福だった中国系です)あるいはカンボジア系移民間には同郷や同族間のつながりが強かったのですが、最近の経済移民はその枠を越えている印象があります。
シテの生活
カレンダーボーイ chorolyn 氏が挙げていました“La Haine”というよく出来た映画があります。作者のマチュー・カソヴィッツはユダヤ系フランス人の映画作家、俳優としてもアメリ・プーランなどに出ていますね。この映画の中には、シテやバンリュー/郊外にすむ若いフランス人達の閉鎖感がどうやって憎悪に変わっていくのか良く描かれています。
狭い住居に大家族で住む彼らには自分の生きる空間がない。仕事がないから未来像も描けない。溜まり場となるキャフェやバーも少ない。そうなると元気のあまった連中は夜の界隈を集団で徘徊する。麻薬の問題もある。グループ間の抗争もある。集団でパリに出て恐喝行為に出ることもある。
今回の騒動で焼かれたのは、車だったり、幼稚園だったり、体育館だったりした。車は彼らにとっては“成功”のシンボルかもしれない。学校や体育館は“国家”のシンボルであるかも知れないですね。
ポリスはシテでは嫌われている。たまたま行ったサンドニで、車に同乗していた小学生達がパトカーが通り過ぎるたびにダーディ・ワードをはやしたてるのにびっくりしたことがあります。警察は権力のシンボルなのでしょう。シテは権力の“犠牲者”という意識があるのかもしれません。確かに、安全問題が放置された高層アパートで、故障したままのエレベーターに乗ろうとした幼い子供がそのまま地下階まで落下、死亡したといった“事件”もありました。
車や公共施設に火をつける行為は、荒廃したそれらのシテの絶望した若者の、それでもここに僕達がいるんだという叫びと思えなくもない。彼らの親達の多くも仕事を失って、あるいは低賃金労働に疲れ、子供に対して影響力を持っていない。
TVを見て育ってきた子供たちが暴力でしか他者とコミニュケートできない。これはなにもシテに限った現象ではないと思います。
参考: couvre feu/外出禁止令にはアルジェリア戦争時の記憶がついて回る。この点は今日のル・モンドのエディトリアルに批判という形で言及されています。なお、外出禁止令は騒動のおきている関連各県知事あるいは市長が発令し、内容も各長が決める。だいたいは16歳あるいは18歳以下の未成年は親の同伴がない10時以降の外出は禁止といったもののようです。参考ル・モンドから。フランス政府のシテに関する緊急処置についての記事。
パリは相変わらず平和です。観光客が今一番困っているのはヴェルサイユ宮殿がストのため昨日閉まっていたことのようです。
後記:一部書き足しおよび訂正いたしました。
投稿情報: 2005-11-09 カテゴリー: Economics/経済, France | 個別ページ | コメント (6) | トラックバック (4)
TVを見て心配したいとこから、おとといメールがありました。私の住んでいる界隈では何も起こっていません。パリは燃えていません。大通りに警官は多いですが、これはいつものことです。みなさん、ご安心ください。こちらの報道では昨夜(いくつかの都市に引かれた外出禁止令以前ですが)放火された車の数は減少したとあります。
基本的にTVのニュースは見ず、紙版新聞とネットのル・モンドとリベに眼を通すのと朝ラジオニュースを聞くぐらいの生活ですから、実際に、たとえば燃やされた車や商店街を目撃はしていません。
今回の“限定的衛星都市に起こっている一部の若者の行動”については、いったん落ち着いたところで、社会的背景や政治経済的背景を含めネブロで扱おうと思っていたのですが、海外での関連報道にかなり混乱が見えるようなので、いくつか気がついたところをメモしたいと思います。
なお、ほぼご近所のShibaさんが関連エントリを書いていて、そちらに猫屋もコメントしましたのでご参照ください。
・アメリカや、ロンドンなどとは違いフランスでは低収入家族はパリなどの大都市中心部ではなく、衛星都市の大型HLM/アシュレム/国家管理の公団住宅に多く住んでいます。そういった地区では、医療設備がない、、社会福祉設備が少ない、商店街がない、近郊に企業がいつかない、といったないないづくしの状態が、それらの建設された1960年代から続いている。今回話題になっているそれらの地区には、、北アフリカ系、ブラック・アフリカ系、ユダヤ系フランス人に中国・べトナム系とネイティブのフランス人たちが住んでいます。彼らは時として二重国籍を有していますが、多くの場合フランス国籍を持っていますから、フランス人です。今回騒動を起こしているのはこれらHLMにすむ孫の世代の若い衆だと思います。
・そういった失業者の多い地区での死傷事件や“祭り”的屋外駐車の車への放火は今までにも定期的に起こっています。例年ストラスブール郊外などでは年末に多くの車の放火があります。今年の夏にもトゥルーズ郊外であったような、警官が未成年者を間違って死傷させる事件も多いのです。けれど、今回のようにTVで大きく報道され、その結果として騒動が全国のHLMや小都市に広がったのは初めてです。またサルコジ内務相はこの“郊外地区対策”の失敗は社会党に責任あるといった旨の記事をル・モンドに書いていますが、サルコジ氏はこの三年間のシラク政権で内務省の長であった期間は長く、またこれらの地区における教育・保安・市民団体援助金を大幅に減少したのも同じシラク政権だったことも忘れてはいけません。
・Shibaさんブログのコメント欄にも書きましたが、内務相サルコジと首相ド・ヴィルパン間の抗争がメディア合戦に移行した経過があると思います。これは今の段階では判断できない。もう少し時間が必要でしょう。
・海外メディアの扱いにはかなり的の外れたものがあるようです。今日はTVニュースを久々に見たのですが、海外メディアの反応としていくつか紹介していました。米国FOXはフランスは燃えているというテロップつきでフランス地図の各所に火事マークを張って見せていました。CNNもフランス地図を示していたようですが、その地図はスペイン近くのトゥルーズがスイスとの国境近くに、イタリアに近いはずのカンヌがスペインよりにあるものでした。たしかにイラク戦争前国連安全保障理事会で米国と対立したフランスの“移民対策”という失敗を大きく報道することに、なんらかの利益があることは想像できます。日本メディアのあつかいを私は知ることが出来ませんが、往々にして日本での報道のリソースが米国メディアである以上、私のいとこの心配にも根拠があるわけです。
今回の出来事の原因は単にフランス移民政策の失敗ばかりとはいえません。ひとつの事象にはひとつの原因がある、というのはあまり“正当な”見方とは思えない。世界中の若年層の示すアグレッシブ/暴力性についてももっと大きな視野での論評があっていいと思います。
こちらでも批判の多い外出禁止令についてなどの考察は時間が出来次第、またフランスでのペーパーメディアを一巡してから書きたいと思います。
なお、この秋にフランス旅行を計画している方々に。
観光客が通常行くところでは一切問題はありません。
相変わらずのゴタゴタ、対アドミ戦争に駆け巡る毎日なんですが、土曜日曜は基本的に戦争相手がお休みなわけでして、おまけに愚痴の大放出に友人達も呆れたんだろう誰からも“遊ぼうよ”の声がかからない。で、急に暇になりました。
なお、対アドミ戦争とはなんぞや?これ説明したいとこですが、しない。また腹が立ってくるからです。申し訳ない。アドミンというヴィールスが突然変異を起こして怪獣化しこの平和なパリを襲おうとしているのだが、ヘタレ猫屋はこれを拒もうと日夜戦っている、わけではないです。
それで、今夜は映画一般論です。
ネタにするのは The Brothers Grimm グリム兄弟 です。監督はアノ Terry Gilliam、そう伝説のモンティ・パイソン(仏人はモンティ・ピートンと発音)の中のアメリカ人の人。
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以下に書くことには、芝居というのも含まれるのだろう。でも私がこれまでに見た芝居なんて、東京で見た唐十郎とか、こっちで見たシェークスピア、歌舞伎、オペラにしてもたいした数ではない。だから語れることも少ない。
映画はTVがうちの茶の間に出現する前から親に連れられて見に行ってから、一時某国に出稼ぎに出ていたときは別としても、コンスタントに見てる。映画館に行って。
やはり映画は映画館がいい。できればスクリーンは大きい方がいい。座席は座りごこちがいい方がうれしい。今ではなくなってしまったが、籠にアイスクリームとかキャンディとか入れて売りにくるお姉さんがいると、買わないんだけど、余計うれしくなれる。
映画の前のCMは映画予告だけがいい。画面に幕があって本編出だしの時幕が引いたりするともっといい。劇場の照明が暗くなって、パラマウントだの松竹だののカムパニー名と自由の女神やライオンやなんかが仰々しくでてきちゃって、猫屋は興奮してしまうのである。そして映画の出だしが私をストンと別の世界に投げ入れる。
映画は夢に似ている。そして映画は複数の人間と共有できる“夢”なのだ。
映画“グリム兄弟”を見終わって、私が考えたのはこのことである。こんなような事は多分、カイエ・ド・シネマとかドゥルーズとかのプロがもうたくさん書いてるんだろうが、新聞・雑誌の映画評しか眼を通さない私は、今になって初めて気がついたわけだ。
そして映画には、映像があり、音がある。そして言葉がある。視覚と聴覚と記憶装置がいっぺんに活性化する。
テリー・ギリアムのこの映画は、米国では当たらなかったようだが、フランスでは悪くない成績を残したようだ。だがほぼ同じ時期に封切られたアノ、ティムバートンの2本の映画に押されてしまった。確かにティム・バートン映画もつある種の完成性と毒気には負けている。
だが、“グリム兄弟”のもつ非論理性、というか多分ギリアム自身、自分がどこに行くのかわかってない、、のじゃないか、これが魅力である。
宮崎映画のハチャメチャはどこか計算された非論理性と見えるわけですが、テリー・ギリアムは“絶対こうじゃなきゃ駄目なのよー、と映画を作ったら結果こうなった”風である。よく言えば、想像力の暴走だ。
たとえば、グリム兄弟の作品研究家がこの映画を観たらかなり怒るに違いない。マット・デイモン(仏読みマット・ダモン)のグリム兄がすばらしい。しかし単なる詐欺師である。
舞台になるのは19世紀ドイツだが、彼らは完璧な英語をしゃべり、悪者は美食にふけ“文明/光”を力で世界中に広めようとするナポレオンのフランス軍である。サディックな禿のイタリア傭兵も出てくる。早い話がなんでもあり。
呪われた森があり、ヘンゼルとグレーテルと白雪姫とかのエピソードが挿入されている。もののけ姫そっくりの呪われた聖なる娘がいて、気の狂った馬が少女を口から吐き出した蜘蛛糸で絡み上げ飲み込んでしまう。森からやってきた緑の液体お化けも子供を飲み込む。森の中にはもちろん月夜に変身する狼男がいる。はあ、はあ。
そして世界で一番美しい、女王モニカ・ベルッティが出てくるのよーん。開かずの塔のなかに。
ジョン・レノンに良く似たグリム弟は、幼い時瀕死の妹を助けられなかったという罪悪感に苛まわされてて、兄を恨むんだけど、、とお約束のドンデン返しが2回転半ぐらいあって、最後にこれもお約束の大団円。なんか最後に村人が喜び歌い踊り、、がドイツのフォークロールじゃなくてあれ、ヘブライ風。なんで、?と思ったが私には確かめようもない。
途中崩れ去る塔の姿や文明戦争がらみで、こりゃアメリカ批判だという説もあったな。
映画考古学的には、たしかに宮崎の影響がある。しかし、今はなき山口昌男大先生が喜びそうなディテールがそこここにちばめられている。“昔々あるところに、、”で始まる話には、いろいろな読み方が出来る。ギリアムはそこのところを良くわかってこの映画を作っている。
そして、マット・ダイモンはバリー・リンドンのライアン・オニール型俳優になりつつあると感じた。エレファントとラスト・デイズを作ったガス・ヴァン・サントが2002年につくった不思議な映画、 Gerry でもマットは不思議な“身体”の見せ方をしてたけど、ここではみごとに役にはまっていた。(関係ないけどラスト・デイズにはソニック・ユースのキム・ゴードンが脇役で出演、またサーストン・ムーアは音楽コンサルタント担当だったそうです。もっと気をつけて見るべきだったな、この映画。)
でもって“セックス”はどこ行っちゃったわけー。
あら、見当たらない。
たぶんモニカ・ベルッティがぜんぶ鏡の中に閉じ込めちゃったんだよ。
私達の“夢”が本来の“DESIR/欲望”を取り戻すためには、テリー・ギリアムがこの映画で試みたように、マーケティングに絡みとられた“物語性”を取り戻さねばいけないのです。“夢”はそれを追っかけるものから逃げる、ここにいたと思えばあそこにいる、あの自由と不自由そのものなのですから。
そしてもちろん、私達人間はその“物語性”がなければ生きてはいけません。