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暑い。パリ市内の冷房なしレストラン・バス・メトロはしんどい。日本の夏、キンチョウ的暑さである。昔の日本を思い出すのは、たぶんここには今の日本の夏のクーラー排気熱がないからだ。足りないのは蝉ぐらいか。アスファルトの照り返しが強い。サングラスがないと目を傷める。日差しは日本より強い。
本当なら、ロラン・ギャロスの攻防をビール飲みながら延々と眺めるはずの週末が、憲法熱感冒症。リバプールの延長逆転も見逃すという失態だ。マジになるとイケンとかかりつけのプシ(精神分析屋)が言っていた、というのは真っ赤な嘘だが、クールが売り物の猫屋としてはこっぱずかしい。
fenestrae 氏も挙げているEdgar Morinのル・モンド記事にしても、Alain Touraine にしても、仏社会学者たちは冷静にEU憲法を語っている。今日(27日)になって、アンケート結果の憲法肯定派が若干盛り返した気配はあるが、相変わらず否定派が過半数を越える。
fenestrae 氏関連ブログを読んでから考えるに、結局、アタック系アンチグロバリ草の根運動と仏左派国民の不安感がシンクロナイズして憲法否定論がいっきに広まったのではないか。このコンタミネーションは元社会党支持者のあたりで活性化している。極右派のNON率はだいぶ前から動いていない。
新聞・TVでのディベイトでどんなにストロス・カンだのコーン・ベンディット、通常なら右左の区別なく支持されるシモーヌ・ベイユ女史まで憲法支持の有効性を論理的に語っても効果は薄い。
OUI派とNON派の論理基盤がまったく異なっているからだ。というより、OUI派が論理的であればあるほど、確信的NON派は強硬化する。NON派の論説は市民の“恐怖感”に依存しているからだ。基盤を恐怖におく説法と論理はあくまでかみ合わない。
前回の米国大統領選と同じだ。ケリーが理性的に語れば語るほど、レッド・ステイツの連帯は強まった。
憲法肯定派がリアリズムに徹すれば徹するほど、反グロ派は理想主義に走る。走ってナショナリズムというトラップ/罠、にはまる。(欧州が拡大し、ナショナリズムも拡大するのかも知れないな。)
Nekoyanagi の思想基盤は現行反グロ派のそれからさして遠くない。ただ、反グロ派が具体的アプリケーションを提示しない限りにおいて、欧州を手放すべきではないと思う。仏社会学者達のリアリズムに私は共感する。
投票日を4日後に控えて、フランス中 ---- つまりTV・ラジオ・プレス、町内のカフェやマルシェ、家庭での夕食時、職場、学校、友人との電話、もちろんブログ界でもこればっかり状態。《祭り》 です。左の絵はカナール・アンシェネよりさらに辛らつでさらに脂っこいシャーリー・エブド/Charlie Hebdo という週間風刺紙の第一面。歴史的風刺紙《Hara-kiri》 がド・ゴールの死をおちょくって出版禁止を食らい、このシャーリー・エブドに生まれ変わったようですが(1960年代の話)、私でさえアクが強すぎて敬遠のこの新聞編集長が、今回の国民投票に“OUI”しよう、とキャンペーン張ったら、同編集部の“NON”派が内部レジスタンスを起こし、この一面漫画になった。『VOTEZ OUI/ウィと投票せよ』 『SINON NOUS DETRUIRONS LA TERRE !/さもなければ地球を破壊する!』 というのがダース・ベイダーのお言葉です。 このネタは週刊誌 Nouvel Observateur から拾いました。(web版は漫画なしなので、スキャナいたしました。) 記事によると、エブドの編集者、ジャーナリスト・社員のうちの16人が“NON”派、14人が“OUI”派で2人が白紙投票、3人が投票しない派だとか。
通常の選挙だったら、右や左、極右や極左や組合、カトリックやユダヤ系とかアラブ系とかで大体票田が分かれるんだけれど、今回はそれぞれの棲み分け領分内で意見が分かれているというきわめて珍しいパターン。たとえば、アルジェリアやモロッコ系つまりムスリム社会でも同様に票は分かれているようです。 私はもともと、EU憲法批准肯定派ですので、否定派の意見はどうも胡散臭くてあまり目を通していない。どうも、憲法条文のこまいところだけ抽出して、拡大解釈。それで“ウルトラ・リベラル”である、というところに持っていくパターンが多いようです。EUを実現すれば、フランスまでもウルトラ・リベラルに飲み込まれる、という説法。
けれど、EU憲法が批准されると(ね式解釈ですが)
・欧州議会の権限拡大と欧州市民の署名運動の有効性、が得られる。
・欧州委員会の決定権が満場一致から過半数によるものとなり、運営がスムーズになる。
・2年半の任期を持つ大統領と外相が委員会から選出され、これまで国際問題に対してひとつの声として発言できなかった欧州の外交力強化となる。
・欧州基本権憲章が設定される。以降、欧州市民は、EU権威が市民の基本権侵害にあたる政策なりを行使した場合には、この
憲章にしたがって権威を法的に追及できるわけです。また、この憲章が欧州市民のアイデンティティ基盤となる(かもな)わけ。
だいたい法律というのは国家の基盤であり、その基盤の基盤である憲法が日々の生活に直接及ぼす影響は限られたものでしょう。実際大きいのは、法律の施行、つまりアプリケーションのやり方であるわけですが、このアプリ逸脱に対しては投票=市民が行う政治行為(欧州の場合は +署名運動)で修正にあたるわけ。こういったロジックから言っても、これからの欧州機能の基盤である憲法はあったほうがいい。特に憲法に内包される欧州基本権憲章はなくてはならないものだと信じます。
これ以上書きますと、私の無知が(さらに)さらされるということでありまして、詳しい解説・分析はfenestrae師匠ブログに期待しよう!(と逃げる)
また仏国の憲法フィーバーについての感想は前憲法ブログのコメント欄にいくつか書きましたので御参考のほど。 でもって、地球がベイダー光線で破壊されると困るからOUI に投票しましょう。(って、選挙人がねブロ読んでるとは思わないけども、、)
関連エントリ もいちど、EU憲法国民投票 ポリティカリー・アンコレクトなEU憲法雑感
ダニエル・コーン・ベンディット/dany the red というおっさんと欧州 天気と欧州憲法批准国民投票
ベストテンがあんまりにも古い映画ばっかなことに気がついて、今度はそんなに昔じゃない編です。
どうも自分は年寄りであるという事実を通常きれいに忘れているわけですが、どーも不思議なことに自分は“生きた昭和史”とか“生きたロックン・ロール史”みたいだな、と思ってよくよく考えると確かに自分は年食ってるわけ。
で、最近から10年ぐらいに前にかけて観た映画で好きだったのをアトランダムに並べると、
エレファント :不思議なところがよい。 わからないけど飽きない。
ロード・オブ・ザ・リング 1-3 :キャスティング、ロケーション、メイク、衣装等文句なし。戦闘シーンなどのCG処置も上品。センス良し
マトリックス I :話の荒唐無稽さがね式
オーシャンズ・トゥエルブ :軽さがいい。ちなみに“スティング”も大好き。
コーラテラル :よくあるタイプの映画だが、これは映画館で観て正解だった。クール
RAY :音楽がなにより乙
パイレーツ・オブ・カリビアン :ディズニー製作だが、ジョニー・デップがキース・リチャードをモデルにしたそう、で許す。第二作作ってるらしい。
スモーク :ハーヴェイ・カイテルは渋い
プレ・タ・ポルテ :アルトマン。大作じゃないが、マストロヤンニとソフィア・ローレンのベッド・シーン、ソフィアが服脱いでる間にマルチェロは寝込んじゃうって、このシーンだけでも価値あり。
バッファロー '66 :こういう個人的映画は最近見る機会が少なくなりました。情報が入らないし。
La Hain :カソヴィッツ
Red Line :戦争物
天使の詩 :しかし、なんだこの邦題は!でもヴィンダース
プリシラ :伝説のドラッグ・クイーンズ in オーストラリア
L.A. コンフィデンシャル :クール
もののけ姫 :野生
たそがれ清平 :飛行機で観た
番外 Shoah :クロード・ランズマンのホロコーストをめぐるドキュメンタリー、延々と長いが(確か9時間以上)傑作です。とはいってもまだ全部見てない。カセットに録画したんですが、一年に一度ぐらい引っ張り出してきて一部分観る。生きてる間に全部見きらないと、、いかんな。
だいたい映画、そんなに数は見てませんし、以上は今思い出したのだけ。
でも“たそがれ清兵”と“Shoah”以外は全部映画館で観てます。そう、いい映画は映画館で観るものだと思う。
EU憲法批准国民投票をこの週末日曜日に控えて、気分は本当にディープなブルー。最新のアンケート結果は “NON” が53パーセントだそう(支持率の動向グラフはここ)で、とほほ。某邦人シニア・ブロガーの口調を真似れば『おフランスには極右百姓が多すぎる』となる。なお、現在若干天気は持ち直しているものの、この週末は嵐っぽい。しかしいまだ “OUI” か “NON” か決めてない選挙権所有者の率は20パーセントを越えるそうだ。
シラクは木曜にTVでもう一回肯定論を披露するらしいが、やめれ。はっきり言って逆効果。こうなったらアノ極右、ル・ペンをTVに出して言いたい放題しゃべらせろ。絶対OIU派がガンガン伸びるぞ、ってモラル的に無理なのはわかるけど、さ。
私の愛した映画ベストテン
1位 ウェスト・サイド・ストーリー
2位 勝手にしやがれ
3位 2001年宇宙の旅
4位 サテリコン
5位 東京物語
6位 ならやま節考
7位 ラスト・ワルツ
8位 ラスト・ピクチャー・ショウ
9位 ショート・カッツ
10位 ノスタルジア
11位 地獄に落ちた勇者ども
12位 スター・ウォーズ
番外 ゴジラ対モスラ
解説:結局13あげましたし、順番つけられんよー。結局、感性のまだ研ぎ澄まされてた青春時代に見た映画が上位。一位は、母親に連れてかれてみた初めての大人の映画、で同時に始めての外国映画の始めての音楽映画。ショックは強かった。今でも泣ける。フランスで見る日本映画のインパクトも強い。
監督 (順位はつけられません)
フェリーニ ゴダール タルコフスキー キューブリック アルトマン 小津安二郎 +番外として宮崎さん
*
ミリオンダラー・ベイビー評
内田教授が『これは明日のジョーだ』みたいなことお書きになってるし、こっちの同年代仏友人が 『俺は泣いたぜ』 と言い放ったもんで、見に行ってしまった。で、あとからその某友人の奥方に聞いたら 『あら、アノ人はイーストウッドが出てくるだけで泣いちゃうのよ』 とおっしゃった。あいつがもろ浪花節人間だったとはしらなんだ。確かに、映画館の暗闇の中でだけ泣くことのできる男がいる。こーゆーやつは、TVの映画とか、DVDを人前では決して観ないのだ。あと書き加えると、フランスには inconditionnel /無条件にクリント・イーストウッドを映画芸術の大家だと信じる連中がいる。これは多分、雑誌カイエ・ド・シネマと新聞リベの責任であろう。証拠として、カイエもリベも読まん私にとって、イーストスッドなんて、ふーん、でおしまいだもん。マカロニ・ウェスタン時代はよかったけどもね。(マカロニ・ほーれん荘後記:Dr スランプの間違い、クリントさんを思い出しますがな。マカロニ違い。んちゃ。)
で、映画ミリオン。オスカー取ったんだってねえ。すごいね大将。いくつもらったんでえ、ところで。と、トラになってはいけないが、オスカーうんぬんはスルー。
映画も文学も、作るのも受け取るのもあくまで個人的作業なのであって、その個人性を一般化はできない。と前置きした上で、
ね式判定はペケである。その理由は以下、
この作品のもっとも押し出したかったメッセージが曖昧。ボクシングに興味のない私にも、Hilary Swank(もと水泳選手)の演ずるマギーの見せる訓練と上達のプロセスは面白かった。これは昔のフラッシュダンスとかもっと昔のマイフェアレディ、中昔のプリティ・ウーマンとかのサクセスストーリ系。RAY もこのカテゴリーで、ハリウッドの得意な定番。(スポンサー EVERLAST が見えすぎでうるさかったが)ここでのイーストスッドのテクニックはさすが、職人だ。ただ、後半の安楽死関係はいったい必要だったのかどうか、私は疑問視。仮定とし考えられるのは、安楽死が米国国内での大きなディベイトになっているから。そして、この部分がなければ、(たとえば私が望んだように)ハッピー・エンドだったとしたらこの映画はオスカーを取れたのか、ということ。決して幸福ではないコーチが牧師に煙たがれるほどの信心者だという設定と、その信心者が教会に背く、というところがネックなんだろう。
あと、最後に彼女が挑戦する相手、世界チャンプが英国人元コールガールのブラック姐さんというのも引っかかる。本来、ボクシングはブラック・ピーポーのスポーツである。なぜなら、飢えていなくては勝てないからだ。だが、アル中とシングル・マザーと肥満とチンピラで構成された白人家庭を飛び出したマギーはその飢えを抱えている。だから強くなった、、、、って、結局この世界、どこまでも同じサークルを回ってんじゃん。この輪廻を断ち切る“死”以外に逃げる道はないんじゃん。救われない。
筋肉娘マギー・フィッツジェラルドにはチャンプになってほしかった。ハリウッドはハッピー・エンドに帰るべきである。悲惨な最期はヨーロッパ映画の十八番にとっといてくれ。
右写真は、先週金曜日の英国紙 The Sunの第一面。2003年12月からムショ暮らしの元大統領の生活ぶりが暴露されている。他には、一所懸命ズボンをたたむサダム、洗濯するサダムの写真もあるそうだ。The Sunによればこれらの写真は、“米軍筋から入手” etc. いろいろ説明が続く。サダムの監房にはトイレ内部にまで監視カメラが設置されているらしい。仏ソース。
投稿情報: 2005-05-23 カテゴリー: Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0)
Star Wars Episode 3 Revenge of the Sith : なんとも長いタイトルですが、今日観てきました。ね式判定=乙 あるいは大乙。
時間がたって判定値が変わると言うのが時々あるし、あとになってやっと腑に落ちる、てな現象もあるわけでこれが最終判定ではないですが、今回のスタ・ウォは良かった。大体、CGリライトなしの最初のシリーズ、3作とも封切り初日に見たぐらいのファンだった私には、新エピソードの I と II は気に入らなかった。それが今回のリヴェンチ版は納得させられた。さて、最初に思い出したのは、
男はすべてパラ/para/落下傘部隊員である。男が造った戦争を描くすべての映画には、いずれにも戦争賛歌のかけらが見つかる。
という(本はもう持ってないので記憶ですが)マルグリッド・デュラスの言葉。まったくそうだ。次に思ったのは、なんてま暗い映画じゃ、ハン・ソロ兄がおらんのは大きい。それから、アナキン・スカイウォーカーは預言/呪いをかけられたのね、ギリシャ悲劇だわ、ということ。呪いを避けようとすればするほど、呪いに呼び寄せられるという古典。アナキン王子は姫を救うために魂を悪魔に売ってしまうわけだが、ここんとこの展開がロジックとして弱いとも当初感じたが、ま、このIII を最初の3作につなげるためには(DVDを売ろうってわけだから)このストーリー展開にするしかなかったんだろう。更なるネタバレしてもしょうがないので、あとは細部について箇条書き。
・CGが重過ぎない。I は状況説明で終わって、少年アナキンの競技場でのスペース・カー・チェイス以外にたいした見所なしだった。II は名前は忘れたが、変なオカマ・ブラック的二重苦偏見キャラがうるさくて閉口したし、あとはCGの使いすぎだった。ありゃ、かなりロード・オブ・ザ・リングを意識してたんじゃないかと、今思う。ザ・リングの方が出来がよかった気がするし。
・元アミダラ女王ドーメ、今回はゴチックな“これでもか”ヘア・メイクと衣装なしで、この人やっぱ美しい。彼女Natalie Portmanは、同じくジュイッシュ・アメリカンのエリザベス・テイラーの若いころと、 ブルック・シールズのあいだって雰囲気だ。レイア姫みたいにさっと戦闘に軽く繰り出すぐらいやってもよかったのになー、とか思ったが、身重では無理か。魂を売ったアナキンに一発かますとかさ。しかしハリウッド映画は、美人を若く死なせるのが好きである。あの社会は年を取った元美人が嫌いだからだろう。結局、かなりのマッチョ文化なのだよ。
・最後の溶岩が流れるアンダーグラウンドでのアナキンとオビワンケノビの一騎打ちは見もの。ただオビワン役のスコットランド俳優Ewan McGregorはちと軽い。まあ、前シリーズのアレックス・ギネスと比べてはかわいそうだが。
・アナキン役の Hayden Christensen(カナダ人)は変形みつ編みなしで年取ってよくなった。すげータッパがありそう。映画後半はずっと三白眼で大変。仏俳優ヴァンソン・ペレズに似ていると思う、横の写真は参照のためです。
思い返しても、暗い映画だったな。誰もにこりともしない。死ぬ人多すぎだし。なんだかんだ言ってもこれが今の米国ムードなんだろう。あとポリティカル・メッセージは、まあな、という感じ。民主共和制がクーデターで倒されて帝国主義に移行するって展開だけんども、これが話題になるのは米国本土ぐらいだろう。
TVでもDVDでもなく、映画館で観るべき映画です。観る価値おおいにあり。