2人で映画に行くと2人目はただ、というキャンペーンがあったので先週末は相棒と映画を2本見た。なんだかんだ言って、結局また米国映画である。50年代半ばに生まれた人間の“アメリカ刷り込みは”強いと言うべきかどうか、これは自分でも判断できないわけだが。
Broken Flowers
英語では枯れた/しおれた花のことはwitheredと呼ぶのである気もするのでbrokenという形容詞は監督ジル・ジャルムッシュの“遊び”と考えた方がいいのかな。さて壊れてしまったのはいったいなんだったか、である。
今回のジャルムッシュの選択はBill Murray のでかい身体とあの顔にある。ロスト・イン・トランスレーションで、コッポラ嬢が(カメラで)なめまわした、あの中年男の無表情だ。おっさん顔である。メリー・クリスマス、Mrローレンスで北野武が見せた顔に遠くない。
仏人女優Julie Delpyが演じる連れ合いに愛想をつかれて出て行かれたマーレイが延々とTVを見てるときの顔は、なんと言うべきか。 無署名のピンクの手紙と、隣人のエチオピア系幸福男ウィンストンとのからみから、孤独な50男が20年前のガールフレンドたちに会いに行くロード・ムーヴィーなんですが、このガール・フレンドがシャロン・ストーンだったり、ジェシカ・ラングだったり。
20年前から映画を作ってきたジャルムッシュのある種の“映画”に対する愛情と、50歳代中ごろと思われるマーレイの身体からオーラのように滲み出す、なんと言ったらいいんだろう、人生に対する諦観にちかい悲しさが、表側を流れるエチオピア音楽の軽さの裏側に感じられます。
ウィンストンを演じるワシントン生まれのJeffrey Wrightはエチオピア訛りがうまく出てこないと、エチオピア大使館に電話して世話話したとか。スローな映画は猫屋の好み。 げらげら笑えるシーンも多いのに、最後の方で仮定形の“息子”を追いかけるマーレイの深い悲しみが分かると言うのは、これは猫屋も同様な年齢に達したと言うことなのか。(ちなみに、マーレイの現実の息子がこの最後のほうの一シーンに登場しているのだそう。) また、アメリカ家庭のいくつかのサンプルを提示する結果にもなってるね、この映画。
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Charlie & the Chocolate Factory
1964年に書かれたRoald Dahlのベストセラーをティム・バートンが映画化したもの。この監督の映画はちとゴチックにすぎてあまり好きではないのだが、そこはそれジョニ・デップをゴチックに撮ってくれるならOK。見た結果はO.Kでした。
すべてtoo much、たとえばババロワ出身と思われるAugustus君とその母、US代表ゲーム・オタの破壊MIke君達は極限までカリカチュア化されている。デップの作りすぎメイクはロックスター、マリリン・メンソンをモデルにしたそうであるよ。
ちょっとチンタラ長かったけどOompas-Loompasクローンのミュージカル仕込みシーンは抱腹絶倒。 とっても貧乏だが何故かとっても性格の良いチャーリー君の母親を演じるのはHelena Bonham Carter、ティム・バートンの奥さんです。かわいい女性ですねえ。
MGMの水泳レヴュー映画や、2001年、マトリックス、スター・ウォーズとかからのパクリも多く、年寄りでも子供でなくても楽しめます。(追記:子供にはこの映画、毒が強すぎない?とか思ったけど今の子供は対毒抵抗力は強く、つまりさらに強いインパクトを欲しているという事実はあるわけですねえ。)
空間移動エレベーターは“ハウルの動く城”だろうな、と思う。工場のゴチック度もそうかな。 しかし、ティム・バートンが抱えている“空白を許容できない”創作精神状態はすごい。“ウィリ・ウォンカ”のテーマ・ソングはいまだに私の頭を去ってくれないのである。
これは意外。猫屋寅八さんって半世紀も生きていらっしゃるのですか。
この記事とは関係ないけどフランスって意外とクリント・イーストウッドの評価が高いですよね。Cahier du Cinemaからも彼の作品に関する本が出ていて私それ持っています。
投稿情報: ドラム小僧 | 2005-09-20 10:07
は?猫屋は半世紀とだいたい一年前に東京の某下町に生まれとります。覚えてないけど。でも半世紀もの“も”はないっしょ。いや深く考えるのはやめよう。でも、年とるのってそんなに悪くないよ、と思う。まああんまり進化してない自分が言うのも変か。<混乱。
カイエ・ド・シネマはかなりオタクしてたしなあ、と私なんか思います。“ミリオンダラー・ベイビー”に書いた同年の現地友人なんか典型で、イーストウッドが出てくるだけでウルウル状態なんだよね。同様の現象は一時ウディ・アレンとか日本の増村とかでもあった。時間があったらアートをめぐるフランスと米国の捩れ関係についても書いて見たいと思うですよ。
ジャズやブルースに関して言えば、ニューオーリンズとかでアル中で死ぬよりは、アーティスト用国家健康保険もありファンもいるヨーロッパに居つくミュージッシャンが多いようです。USは大量生産にはいいけど家内工業には向いてないんですね。
投稿情報: 猫屋 | 2005-09-21 00:10
なるほど。でもウッディ・アレンがフランスで評価されるはわかるのですが、共和党員でジャズ、カントリー、西部劇といったアメリカ伝統芸能に執着するイーストウッドが評価されることに興味があります。
音楽家のユニオンがあるのは聞いたことがあります。ジョー・ヘンダーソンなんかもしょっちゅうフランスで演っていましたね。飯の種は海外に多いんですよね。サド・ジョーンズ&メル・ルイスもヨーロッパが活動拠点でした。
ジャズ・ミュージシャンは当然アメリカ人が多いのですが、原盤制作はアメリカ以外での方が多いのでは。日本のエグゼクティブ・プロデューサーも多いです。ヨーロッパでもenjaというレーベルからエルヴィン・ジョーンズのアルバムが出たり。ブラッド・メルドーもスペインのレーベルから出たり。そういう意外性を面白く思います。
投稿情報: ドラム小僧 | 2005-09-21 13:18
あ、お返事の返事もらった。うれしいなっ。
結局、ジャズとかが生き延びてるのは欧州と日本のおかげっぽいところがあると思います。
ジャズ、この何十年か聞いてないけどレコードは日本版が一番充実してるし音もいい。
エルヴィン・ジョーンズは六本木のピット・インで二回聴いてます(年寄りの自慢ね)。握手した手がめちゃでかかったな。ストロークが強くて、スティックがたわんで見えるんですよ、あの人。亡くなりましたが。奥さんは京子さんという大和ナデシコです。
マルサリスとかの優等生ジャズはなじめなくてニルバーナっぽい50台(やっぱおかしいか)してますが、パリの夕暮れに聞くビーパップ時代のマイルスなんかかっこよすぎて恥ずかしくなります。誰も見てないんだけどもね。
回答遅くなりましたが、イーストウッドに人気が出たのはマカロニウスタンからUSに戻った頃で、イーストウッド=米国土着という概念が当時はなかったんじゃないか、という推測は可能でしょう。
投稿情報: 猫屋 | 2005-09-21 15:32
六本木のピット・インが閉鎖されたのはご存知ですか。最後から何番目かの神保彰ワンマンオーケストラを観ました。神保彰はフランスでも人気があるそうで、『リムショット』というドラム雑誌の表紙を飾ったり、ヤマハ主催のドラムクリニックツアーも定期的に行っています。
市ヶ谷のドラム専門スタジオのオーナーの話だとそこによく来るフランス人がいて、母国にいたときに神保からサインをもらったスティックを大事にしていると言っていたらしいです。そのオーナーは神保の2つ3つ上の先輩。
エルヴィンは死ぬまで精力絶倫だったそうです。
イーストウッドのフランスでの評価はパラドクサルなものとして研究のテーマとしたいと思います。
ところで「ね式」は「ねじ式」からきているのですか。
投稿情報: ドラム小僧 | 2005-09-21 16:07
神保彰は知らない。世界には私の知らないことがたくさんあるのですねえ。
パリではいつでもニューモーニングとかの“伝統的”店があっていつでもいけるんですが、行ってない。怠惰ですね、これは。ピットインもなくなりましたか。自分は新宿が縄張りだったんですが、一時期。エルヴィンは絶倫につきますね、形容すれば。
イーストウッド・パラドクスからフランスの合衆国への“je t'aime, moi non plus”意識を解析できたらすごいと思うけど、難しそうです。
“ね式”はねじ式もあるし、某掲示板でのコテハンが“ね”だったせいもあります。誰も覚えてないだろうけど。
投稿情報: 猫屋 | 2005-09-21 23:33