って、これは9.11のことです。
あの日は引っ越したばかりで水道屋が工事に来ていた。午前中の友人の電話で『大変なことになってる、TVつけろ。』と言われてスイッチ入れたらアレでした。思わず風呂場で仕事中の水道屋を呼んできて2人で画面に釘付けになったな。「こりゃたいそうな戦争になるかも知れん。」というのが水道屋と私が言いあった言葉。
そして、たまたま夏休みに日本で仕入れてきた sony のvaio と契約したばかりのADSLで個人的情報収集が始まった。そこはそれ、仏国にいる邦人ですから、母国にいる邦人とも、仏国にいる仏人とも若干受け止め方は違う。リアクションも違う。
後になって知ったけれども、少なくともこっちの私の周りには同じように情報収集に走った人間は多かったのです。もちろん個人によって方法は違う。歴史本に行ったのもいれば宗教系に行ったのもいる。私のようにネット最新情報にかぶりついたのも少なくなかった。フォーラム内で暮らすようなのもいた。フランスの郊外ゲットーからは、のちにアフガニスタンやイラクにジハードしに行って、死んだりグァンタナモに拘束されてるのもいる。
こんなに勉強するのは何十年ぶりというノリであった。しかしあの時点ではそんなことも考えてなかった、暇がなかった。アングロサクソン系新聞読みすぎて英語力までついてしまった。(現在は失いつつありますが) ネット上での情報収集に飽きて、というか一般メディアがネット情報に近似するようになって、今度は本を読み出した。昔読んだ哲学系をもう一回読んだり、まったく嫌いだったリアリスト系社会学まで目を通すようになった。
そして時間は経ち、どうなった?
振り向いてみれば、《昔はものを思わざりけり》なんだよね。2000年騒動なんて大昔だ、信じられねえ。
でも、なんとなくアウトラインは読めてきた気がする。しっかりと年はとった。おまけに今の1年は昔の3月ぐらいの感じで過ぎていく。ADSL 2メガでも追いつけない。
イロイロなことがマクロな世界でも、ミクロな個人生活でも、あった。考える暇はますます限定されてるうえに昨今、ニュースも消費物になったらしい。消費者の意見も、賢者の意見も聞かず。
そして、《TSUNAMI》があった。
9.11.2001から12.26.2004の津波まで、たくさんの人が死んだ。私が理解したのは、それまで我々の文化内ではタブーだった《死》が五大陸を大手を振って彷徨しているということだ。これは良いニュースなのか、悪いニュースなのか。
千と千尋の湯屋のように、怪物がどんどんやってくる。これは私たちが呼んでいるのだろうか。それとも歴史が呼んでいるのだろうか。
絶望しつつも、まだ生きる甲斐はある。
デッドヒートに見極めてやる。
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