昨年末、12月28日ル・モンド紙プラネット枠に掲載の記事、昨日見つけたので即訳してみます。現在の欧州核発電について短くまとめています。
なお仏・英語では原子力も核も同語(nucléaire/俗語でnuke)ですので、原子力と訳してもそれは直球で核のことです。
Le nucléaire à l'heure du doute
懐疑の時における原子力
ル・モンド| 28.12.2012
1979年のスリー・マイル・アイランドも、1986年のチェルノビルも、これほどまで多くの論議を呼びはしなかった。原子核擁護者の、もっとも熱心な者さえが、それまで目を閉じたまま信じていた「すばらしい」エネルギーに疑いを持つためには、2011年3月11日のフクシマ核災害を待たねばならなかった。
もっとも最近に投げかけられた疑問:ベルギー核安全委員会のヘッド、ウィリ・ド・ロヴェレ/Willy De Roovere はその役職を去る直前のクリスマスにこう発表している。「私たちは、核の危険性を今でも受け入れることができるのかどうか自らに問わねばならない。正直に言おう、このリスクを考慮した場合、私は他の形のエネルギーを選ぶだろう。」
これは孤立した意見豹変ではない。ベルギーとドイツに続きスイスも原子力脱出をプログラムし、元スイス電気企業総会の長で著名な原子力技術者でもあるジャック・ロニョン/Jacques Rognon教授は、2011年、原子力をもう信じないと説明している。地下深い地熱エネルギーなどすでに現実化された他のエネルギー源を示唆しながら、(原子力発電は)人々に受け入れられるにはあまりにもコストが高すぎ、複雑すぎ、問題も多すぎると彼は語る。
いまだ原子力が大きなコンセンサス(合意項)であるフランスにおいても、核の不謬性(l'infaillibilité/まちがいのないこと)ドグマはもう通用しない。それは、核開発推進の中枢であるX-Mines(グランゼコルのX=ポリテクニクとパリ国立高等鉱業学校)でも同様だ。「数々の予防策にもかかわらず、核事故の可能性は絶対的には除外できない。」と2012年1月、ASN(原子力安全局)長アンドレ-クロード・ラコスト/André-Claude Lacosteは語っている。彼の同輩であるジャック・ルピュサール/Jacques Repussard、放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)所長はフクシマは「想像しがたいことの想像を強要する」と示している。
これらは、技術的先進国で起きたカタストロフにショックを受け「改悛した者たち」の言葉なのだろうか?そうとばかりは言えない。
このセクターの代価の問題も今までの確信を揺るがす。原子力推進派たちは、彼らのエネルギーが「脱CO2」であることを前面に出すが、それは正しい。温暖化はますます拡大し脅威となっている。しかし、もう一枚のカードである(原発の)安価性は切り札の要素をどんどん失っている。
安全を確保するための新しい基準、あるい長期間枠で見るキロワットあたりの価格を考慮すると、このまま原子力を使い続けるコストは、原子力発電からの脱却の場合と同じような高額になると多くのエキスパートが見積もっている。新しい世代の原子力発電EPRの場合、フランスでの建設費用の大幅な超過は、2007年から2012年の間に、33億ユーロから85億ユーロに跳ね上がった。これは、この炉の収益性と輸出可能性に対する疑いを産むまでになった。
この疑念は、いくつかの国(スイス、合衆国)では、若い技術者たちが原子力セクターを避けるまでになり、技術の引継ぎが問題となっている。
フランスは、エネルギー移行に関する国家レベルでの論議に着手した。原子力は議題となるだろうが、それはフランソワ・オランドが原子力の占める割合を今から2025年までに75%から50%まで引き下げると決定したことによる。だがこれは、すべての疑問が問われる良い機会なのだ。
長い間、原子力は白い巨塔の科学者達だけに担われてきた。しかし科学のセオリーでは、いかなる知識も反証を免れることはできない。 原子核も、他のエネルギーと同様、おなじ科学的厳密性と正統的経済学によって検討されることを強く願う。
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1月10日後記:タイトルと本分一部単語の変更しました。