猫屋的には発端は2009年選挙後のイラン対政府抗議運動だったと考えるのですが、2010年末にティニジアから始まってエジプトに飛び火し始まった「アラブの春」あるいは「アラブ革命」は、その後地中海を越え欧州に引越した。
この広まりには、言うまでもなく、ネットや携帯での市民間情報流通が大きな役割を果たした。マルティテュード、あるいはリゾームが新しい“武器”を得たわけだ。
ギリシャ危機後、EU首脳(@ドイッチェランド)・IMF・世界銀行からの要請(それはまず、金融界からの要請だった)を受けてとられた「財政引締め政策」は、国の宝の国家所有物を売っ払う・退職年齢を引きあげ最低給与額を大幅に下げ・公務員を首にする等々の、貧民虐待政策でありまして、ギリシャ・ポルトガル・スペインでは(報道されることは少ないが)市民による抗議運動が続いている。そこで「国旗」がどのような役割を果たしているかを考えるのは無意味ではない、と思うのです。
つまり、たとえばタハリール広場に繰り広げられた巨大な国旗の意味です。
国家政府に対する異議を、国旗を掲げることで表わしている。
これは、国際サッカー試合の観客席での巨大国旗とは同じなのか、違うのか。
まあ、この論理展開を日本語で書くのは難しい。なぜなら日本語では、「国家=法で組み立てた枠」と「国家=中の人々のあつまり」であるステイトとネーションの概念が明確ではないからです。
なお、共和国フランスでは国民を指すのに、シトワイアン=市民が多く使われていました。つまり(原則的には)この国土に生きている者すべてはシトワイアンであり、人種(今的認知ではそんなの存在しないんだけど)、国籍、階級、宗教、性別、思考傾向などによって区別(差別)してはならないって憲法に書いてある(はず;読んだことないけど):ベースは人権宣言です。
で、腹のすいた貧民たちが、独裁政治とひどくなるばかりの貧富格差とワイロ・マフィア横行と仕事のなさに耐えかね、先導者も組織も最終共通目的もないまま「国旗」を掲げて反政府抗議運動を(命をはって)始めるというシナリオは、米国とその近辺での1%vs99%運動でも繰り返されている。
これって興味深い現象です。国旗によって象徴されるはずの国家が、国旗を掲げる人民によって攻撃されている。
「人民に国を返せ。1パーセントの21世紀アリストクラート(成金貴族)が乗っ取った俺らの国を返せ。」
人によっては「愛国」、あるいは「パトリオティズム」、あるいは「郷土愛」と呼ぶのだろう。
アタクシ的には民主主義の喚起なのだと考えている。
同時にそれは「もう、どうにも生きて行けん」という悲痛な叫びでもある。
この99パーセント運動(あるいはindignés/憤慨した者たちの運動)はまた、金と言う単一価値体系が作り出す社会全体への拒否表明でもあるでしょう。この社会は個人を分断し、終わりのない競争へと人を駆り立て、自然を破壊しつくすことで継続している。
元来、人は土地から離れては生きていけない。空中でも水の中でも生きていけない。そして人は社会的動物の一種で、社会がなければ生きていけない。金だけでは生きてゆけない(;だいたい金は食べられない)。
この、休みも終わりもない競争を経済戦争と考えれば、たとえば日本での年間3万人以上の自殺者(世界第5位)という驚くべき数の“犠牲”も、この見えない戦争のもたらした結果なのだと言えるんだろう。
このシステムが生み出すのは1パーセントの、とてつもなく金を持った人々(金はあっても彼らは豊かではない)と99パーセントのカツカツに生きてる人々の不均衡ばかりではなく、遅かれ早かれやってくるだろう金融・経済・社会構造自体の破壊だ。
過剰な消費財と消費者の不在という21世紀社会の内在的矛盾。飽和したクレジット(たしか世界に流通するキャッシュ額面総額は、世界総生産GDPの5倍)。
それら破壊の一端が、フクシマ災害というカタチであらわれたし、より広範囲での影響は、購買力を失った人々が物を買わないことで緩慢に、しかし確実に進み、巨大化・国際化しすぎた金融・生産・流通システムの共食い自己崩壊へと至るだろう。
ここフランスでは、今現在もおサル様が、彼の母国破壊を進行中です。
東電国家も自己破壊の道を着々と進んでいます。
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モスクワでの市民抗議運動もこの綿々と続く一揆分布帯の一端でしょうし、これってたぶんインターナショナル。
先週末バスティーユであった仏大統領候補メランションの演説集会では、「インターナショナル」と「ラ・マルセイエーズ」が続けて歌われたそうだ。
(思い起こせば「ラ・マルセイエーズ」はルペン・UMP・サッカー御調達ではなく、革命歌だったのだ)
これはたぶん、「さかさまの世界」ではなく、さかさまがも一度さかさまになった世界なのだよ。
昔の日本の一揆ではムシロを旗としたそうだが、21世紀にあっては中国産化繊布がお手軽価格で入手できるし。
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メランション集会の翌日に、「スクーターのテロリスト」モハマッド・メラがトゥルーズのユダヤ教学校を襲撃した。この事件の流れは、アタクシちゃんと追ってないので書けませんが、23歳のテロリスト・モハマッドの経歴をざっと読んで暗澹たる気持ちになった。
南仏のゲットーに育ち(父親不在)、仏教育システムから見放され、軽犯罪を繰り返し刑務所を経験、孤立化し、いつか過激(しかし特定グループには所属しない)イスラミストになって行ったようだ。
彼のバック・グラウンドについて明確なことはまだ分かってないし、かなりな情報操作もあるんだろう。種種スパイ合戦の駒として使われた可能性もあるだろう。
最終的に、自分のアパートに篭城した23歳のテロリストは、風呂場の窓から身を投げ、集中射撃を受けた。直接の死因になったのは、背後から発射された頭への銃弾と腹部を貫通した銃弾だったそうだ。
疎外・排除でしか自己継続ができない今の国家社会は子供をこんな風に育てるのだ。完璧に狂ってる。
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後記:全然ワケワカラン文章だったので手直ししました(24日夜)
なお最初の写真はうちの近所のただの家:普通さ加減がなかなかよい。
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