元記事は23日に書き始めたんだけど、途中でエイミー・ワインハウス死亡速報が入ってこれもかなりショック、続いて中国高速列車事故情報があり、とそのまま中断していた文なんだが、続けてみます。だから、タイトルも本当は a week in the life の方がより「真実」に近いんだけど、この調子でさらに悲惨なことごとが調子づいて1週間分続いては、こちらの身体が正直持たない。で、もとのまま。
なんだか確実に、ある「ひとつの世界」が崩れ去って行くさまを、何もできないまま、英語で言うwitness、日本語では目撃というのを(目が撃たれるのではなく目で撃つと思いたいが)気合を入れてしてる感じだ。でも言葉はなかなか出てこない。
で、今壊れて行くのは実際なんなんだろう。それは、あるひとつの「文明」だと思う。それも、大陸の違いや国境を越えた「文明」だ。名前はまだない。
オスロ
ひどい。とくに、オスロ市中心から30キロほど離れた湖上の小島で1時間半、容疑者は「沈着に、計画どうりに」殺戮を続けたとある。600人からの青少年(14歳から18歳)が例年どうりテントを持ち寄って集まったサマーキャンプ場だ。
あの北の小さな国は、北海石油の最大産出国で、サーモンの養殖もさかんな豊かで平和なところである。あそこの人々に明白な敵があるとすれば、それは長い冬と寒さだろう。爆弾が仕掛けられたオスロの中心部でも、首相や大臣がボディーガードなしにスーパーで買い物していた、と新聞記事のコメント欄で読んだ。
北の国々では、夏には太陽を求めて皆がおもてに出る。周りには大きな自然がある。
小島で、オスロ中心部でのテロのニュースに驚く若い子達の前に、ポリスの服装をした男(身長190センチ)があらわれて、重要なことを伝えたいから集まれと言われれば、簡単に信じてしまうと想像できる。参加していて殺害されたひとりの警察官も武器を持っていなかったそうだ(あの国では武器なんて必要なかった)。重要犯罪なんてないから重罪でも最長禁固は21年だ。
これはラジオで聞いたことで確かめてないが、容疑者はかつてビジネス専門校で学んだらしい。今日は犯行直前にネットに挙げた1518ページからなる「マニフェスト/ロードマップ」が話題になっている。そんなもんアタクシ(量的に無理だし)読む気にもなれんが、メソドロジーだのビジネスプランだのインセンティヴだのヒューマンリソースだのの「精密さ」、人間の数をモデル構築の一部として換算する、あのやり方の頂点が、今回の大量殺戮の土壌をなしたと感じた。
生き残った少年の一人が「殺害者は、映画に出てくるナチ将校のように、冷酷に抹殺を続けた」と語っている。
ガス・バン・サントの映画「エレファント」を思い起こすし、同時になぜか自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデターを起こそうと試み失敗、自決した三島由紀夫のことも想起した。
ただ、過去の多くのそういった行為の多くは、最終目的である自殺へのプロセスに身近に偶然いる多くの他者を巻き込み、同時に自己を追い詰め、死によって自分を無な存在から意味のある人間に変換しようとする試みだと思う。コンプレックスに裏打ちされた、奇妙なヒロイズムと自己愛とロマンティズムのカクテルだね。隠蔽されたホモセクシャルの隠し味もあるかも。まあいづれにしろマッチョ思考だ。
思想犯でも、ジハード自爆死の論理はまた異なったものだろう。自分は死んでも、正義は自己の死によって生き続ける。ジハードが、こちらで「kamikaze」と呼ばれるのも一理ある。
今回の主犯は、今日の一審でも公開裁判と自分のユニホームでの立会いを希望したと報道されている(が、どちらも拒否された)。彼の主張は、自分の行為全体、あるいは生そのものを自分の「正義」遂行のための「道具」とみなしているように見える。「行為は残虐だが、それは必要だった」とも言ってる。死んでいった、あるいは傷害を受けた人々(多くのティーン・エイジャーたち)もまた「正義」実現のための「道具」だったわけだ。ノルウェーの、ヨーロッパの、そしてもっと広い世界で(モラル的に)傷ついた多くの私たちも、その「道具」であるのだろう:だが、その「正義」の目的が分からない。
さて、では彼は単に狂っているのだろうか;これは難しい論議だ。意識的に「人を殺す」行為自体狂っていなければできない、という言い分もある。が、たとえば正当防衛の結果としての殺人であれば「正気」ででもできると言うのか。その場合、両者を分ける線は誰がどう引けるのか。さらに、自分を殺す「自殺」はどうカテゴライズすべきなんだろう。もっと演繹すれば、国家の行う殺人、つまり死刑や戦争は、あるいはまたボーダーライン上にかつかつ生きる弱者の切捨ては、法が認める「狂気」ということにもなる。出口なし。
いや、もともと「人間という種は、狂気をはじめから内在している」と言い切ってみても、これも答えになってない。なぜなら、この一行の思考はなにも解決しないからだ。だったら、とっとと禅寺でも僧院でもいいけど駆け込んで、頭を丸めて念仏を唱えるべきだ:免責。
エイミー・ワインハウス
死んじゃった。ロンドンのフラットから出てきた、ストレッチャーに乗せられたボディバッグの写真を見たけど、あまりの小ささに驚いた。ありゃ体重40キロを切ってただろう。かわいそうにエイミー、短い付き合いだったが愛してるよ。2枚のCDしか残ってないけど、聴けば聴くほどすごいと思う。個人的には「Love is a Losing Game」が好きだよ:ありゃ完璧なJazzだ。
27クラブの常連によろしく。ジミとジャニスとブライアンとカート、それに(一歳足りない)オーティスと、たぶんバスキアもいるはずだ。
(なお、才能不足のアタクシは、まだまだ長生きできそうです)
中国高速列車事故
架線から落ちた(+落とした)車両をすごい勢いで破壊する重機群のヴィデオを見た。まるでガンダムのイジメ戦争。いろんな意味ですごい国だ。
フクシマ・ノート
日本は、未曾有のミステリーゾーンに突入した。
追記:5月に帰省した際、一回は墓参りついでに上野駅から浅草まで歩いた時と、もう一回は所用で大宮に行った時が雨だった。風を伴った雨で、傘もなかなか効果なく案外濡れた。急に気温が下がったせいかも知れないが、そのあと犬のなき声のような変な咳が出てアレっと思った。もともと風邪引いてこじらせると気管支に来る体質なんだが、いつもはまず鼻がやられ、それから喉が腫れ、ほっとくと気管支炎になると経過が、今回は2度とも即気管支に来た。でも二回ともすぐ治まった。いつもはあんな咳の時は抗生物質のお世話になるんだが。。。いや、単なる「気のせい」の可能性も高いわけで、とやかく言えないけど、あれは不思議だった。
日本食材の件
先週久しぶりにパリの韓国食料品店と日本食料店に行ってみた。カナダでの留学帰りの女の子にメープル・シロップの大きな壜もらったんでホット・ケーキミックス買いに行ったわけ。そしたらなんと、店の棚や冷凍jケースに残ってる日本発商品が極めてわずか。これは本気で困る。米国産(GMOだろうが)のハウス豆腐と北欧・北海食品のアジの開きだけ買った。
今のところ、うちの戸棚には味噌がワンパック、わかめ一袋、昆布、婆ちゃん手作り梅干、中濃ソース一本、6人前カレーが二箱とか、なぜかコンビーフやカニ缶、シーチキン缶6ケとかがストックされてて2・3ヶ月の間はどうにかなるし、焼肉のたれ・そばつゆ・マーボドーフなどは自分で作るから困らない。
近頃はたしか醤油や日本酒も、ヤクルトやスーパードライやインスタントラーメンもドイツで作ってるし、うちで食べてるジャポニカ米はイタリア産。大根もイタリア。白菜はたしかオランダ。
ジャポニカじゃない本物の母国はどんどん遠くなる。でも、考えてみるとアタクシ自身すでにジャポニカ邦人だよなあ。。。なにやら哀しい。
昨日は突然ビールの友、日本風春巻き食べたくなって作ったけど、かき揚に続くシリーズ・大失敗で、大型5本(中身はブタと白菜とピーマンと椎葉村の本物干し椎茸+ブラジル産しょうがをすべて細切り。皮はラマダン食品フェアで見つけたブリック使用)のうち2本はみごと切腹なされた。これも哀しいこってす。
この頃の母国ネット訪問先は以下
早川由紀夫先生のtwitteとブログ。study2007氏のtwitteとブログ。後藤さんと渡辺さんと田中さんの最新レクチャーなど。
金融経済ポリティックス
8月2日の米国憲法が決めた国家負債上限切れを目前に、オバマ政権は共和党との合意に行き着けないでいる。まあ更なるドル刷り国債発行を続けてもいずれはコケルだろうが、今はとにかく時間稼ぎに奮闘している(ユーロも同病)。簡単に、金持ちからガーンと税金取立てりゃいいのにね(過去にはたしかルーズベルトがこれやった)。それができないところに21世紀の問題がある。これはヨーロッパも同様。
マードック帝国も崩壊しつつある。ウォール・ストリートジャーナル、フォックス・ニュース、たしかフランスのプレスにも参入してたはずだ。
ゴールドマンサックスの決済で純益が56パー減ったそうだ:1000人解雇。一方、インサイダー・シティ(質?)グループは収益を大きく増やした。IBMもグーグルのおかげでかなり伸びている。金は金を呼び、貧乏は貧乏を呼ぶ。でも実際にブラック・ボックス開けてみりゃ、出てくるのは浦島太郎の借金ケムリばかりだろう。
ソマリア・ケニア・エチオピアを含む広大な東アフリカ地域が、干ばつと不作にあえいでいる。かつて緑に恵まれていた(ギリシャ・北アフリカを含む)地中海沿岸はいつの間にか裸の乾いた土地となり、サハラ砂漠帯は周縁のサバンナを次第に飲み込みつつある。これも、人間の限度のない「欲」が産んだ、もうひとつの帰結なんだと思う。
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車椅子にのった原田芳雄夫の生前最後の写真をネットで見た。すっかり痩せていたが、眼鏡の奥の目の光は変わっていなかった。一生変わらないものもある。生とは不思議なものだ。
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なお、右上の写真はこないだのローマ旅行時に撮ったもので、本文と(直接は)関係ありません。楽しすぎたローマ旅行の事後報告まだ書いてないです。左上の地図は火山学の早川先生が画像化したものですが、大きくするとちょっと重いのでお気をつけください。