この映画は、当時19歳の学生マーク・ザカーバーグ/Mark Zuckerberg がどういうきっかけからハーヴァードの寄宿舎で友人たちとFacebook の原型を作り、それからどのように、そのネットワークを世界レベルでの民間すなわち(巨大な)利益を生む企業にしていったかを描いた映画です。
もう米国映画にはうんざりしていたんですが、フランスでの批評はかなりいいんで観てみる気になった。
いや、この映画The Social Network 、実際ちゃんと金を払って映画館で観る価値がある。多いにある。Facebookユーザーじゃなくても、いや、インターネットあるいはコンピューターを使ったことのない人間にもこの映画は勧められる。なぜなら、最新ネット現象を材料としながらも、映画のほうは極めてクラシックなつくりで、そのテーマはITビジネスじゃなく、そこでうごめく人々の関係性自体だからだ。
CG も使ってないし、時限爆弾が爆発するわけでもない。デヴィッド・フィンチャー監督、ここではジェイク・ジレンホールやブラッド・ピットのような常連ビッグスターも登用していないし、多くのシーンはハーヴァードのドミトリーか殺風景な会議室で繰り広げられ派手さはないし、ファイト・クラブのようにリアルな暴力も出てこない。この映画が語るのは、成功とその代償、裏切りとどこにも見つからない愛情だ。数学的合理性と人間感情の非合理性のパラドクスの話だ。すべてがランク付けされ値段がつけられる21世紀ソシアルの話だ。
冒頭のシーンは、大学生で込み合うバーのテーブルに座るマークとそのガールフレンドの会話で始まる。geek でnerd まあ早い話がオタクなマークがすごいスピードでプライベートな個人ネットワークを作ると言う自分のプランを話しても、ガールフレンドのほうは耳をかさない。彼女が欲しいのは頭だけじゃなくて女の子の扱い方もスマートで、ちゃんとハイソなクラブに連れて行ってくれる男の子なんだ。だが、マークはそれが分からない。彼の頭は飛び切りに切れるし、とんでもない発想力も持ってる。でも普通に「普通のハーヴァードの学生」でいるだけの忍耐も社会性も時間ももってない。彼にはやるべきことが多すぎるんだ。
結局彼女に振られちゃったマークは怒りに怒って自分の部屋に帰る。もちろん、彼の自閉さ加減がいけないんだとは少しも思っちゃいない。ガールフレンドが悪いんだよ。彼女は馬鹿すぎるんだ、それだけだ。マークは仕返しするために、とんでもないことを思いつく。大学のサーバーに侵入して女子学生たちの写真と個人情報を盗み、ネットに公表して女の子たちのランクつまり誰が一番セクシーかを他の大学内の男連中に選ばせるんだ。
これが大うけで何時間かの間に大学のサーバーは吹っ飛ぶ。これが2時間ある映画の最初の部分。
ルームメートたちとアルゴリズムを駆使して、最初のヴァージョンからどんどんより高度な情報網をマークは作り上げていく。けれど、その成功はやがてスポンサー探しに奔走する親友エデュワルド・サヴァリン(Andrew Garfield)との友情を生贄にしてしまうし、ネットワークをハーヴァードの枠からはおもてに出したくない(つまり彼らの世界はハーヴァードの中にだけある)WASPの塊みたいな双子ウィンクルヴォスとの“著作権”をめぐっての抗争もある。
ウィンクルヴォスが旧型金持ちの典型(ボート・レース、女の子の選び方、正しいネクタイの選び方etc.)なら、新しい階級とも呼べるだろうマークは、ユダヤ系でも金には興味はないし女の子に興味はあっても、くたびれたスウェーターとパジャマと靴下に競泳選手がプールサイドではくサンダルでどこにでも出かけていく。そして、その新旧両階級とも見事にモラルとは無縁なんだ。
貧乏人は出てこないし、エデュワルドのヒステリックなアジア系ガールフレンド以外にはカラードの人間も出てこない。でも、この映画はアメリカの(つまり我々の現世界の)貧困と暴力を描いた映画なんだよ、実に。
天才少年マークが26歳になった2010年にはFacebookは世界中に5億人のユーザー(5億人の個人情報)を有し、その資産は2億ドルとも言われてる。だが、彼は単に孤独だ。
この映画は、リベが批評のタイトルにしたように、Tragédie geek 、つまり“ギリシャ悲劇”に引っ掛けた“ギーク悲劇”なのである。
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他の若い俳優たちの演技もいいけど、主役を演じるジェス・エイゼンバーグが渋くシャープに光ってる。
会話劇であるこの映画のネックとなってるシナリオはTVシリーズのウェスト・ウィングを書いたアーロン・ソーキンによるもの。出てくる人物は(アシスタント弁護士以外)すべて実在するキャラクターで実名だが、映画は“事実に基づいたフィクション”だそうだ。
2時間の全編にわたって無駄なシーンは皆無。会話のスピードが早すぎて着いてけないけど、やはりこれは英語オリジナルヴァージョンで見るべきだろう。フランスでのインタヴューでは、フィンチャー監督は“166ページのスクリプトをまともに映画にしたら2時間45分の長さになる。だけどSONYの注文は2時間ジャストの映画だった。で、俳優たちに何回も演技を繰り返えさせて、結果会話が早くなったんだ” だそうだ。本当かなあ。
Facebookは見る価値ありですか。
一つお尋ねしたい事があります。
EUといったものを価値の共有スペースと捉えても
良いのでしょうか?
文化的にといってもいいかもしれません。
国という単位がもう狭く感じる人もいらっしゃると思います。
そのような人たちは、ネット上でのいわゆる共有の価値を
有する場所を作り始めていると捉えてもよいのでしょうか?
投稿情報: トラ | 2010-11-08 11:32