まあ大変です。9月から4回目だったかのデモに(主催者公表数字で)350万人が全国で集まった(警察の数えた数はその約半分)。高校や大学の閉鎖も今週は加わり、フランス名物の政府と人民・反政府各政党・各組合にメディアも参加しての綱引きです。
でも、パリ市内のメトロもバスもいつもよりは台数が少ないかもしれないけど案外平常に走ってる。RERや郊外電車も本数はだいぶ減っても、さほど込んでないし今のところ乗客も平静で混乱は見受けられない。
すごいのは、CRSの数、それと普通車にサイレンつけて通り抜ける隠密パトカー。
市民はいたってクール。かえっていつものストレスを忘れてリラックスしてるとアタクシは感じた。
土曜日のデモには退職者や家族連れ、解雇が怖い民間会社の管理職も多く参加していたようだ。
昨日、パリ市内で2つのアポイントメントがあったので、アタクシは7時半起きで市内中心部に赴き、間の空いた時間はカフェで読書。そのあとチュイルリー公園を散歩し、それからオペラ街まで歩き、まずいラーメンを食し、次はパレ・ロワイヤルで読書を続けた。
郊外列車の本数が多くなる夕方までそうやって久しぶりのパリ観光したのだった。ストの日は切符買わなくてもいいしね。
デモ参加者も、近頃は物価が高くて前みたいにはレストランで友人たちと食事したり、一緒に映画に行ったり美術館に行ったり、田舎まで車を飛ばして一日過ごすなんて余裕はないから、久しぶりに大勢の人と会話したり、サルコ・デミッション!!とか叫んで、鬱憤を晴らしているんだよ。
チュイルリー公園にいたのは観光客が多かったけど、みんなのんびりとパリの好天気に幸せそうだった。
なお右下の写真はどっかの新聞から借りてきた12日の高校生デモの写真、あとはアタクシが携帯でとったもの。
**
状況急転
翌日15日:政府は2008年の時点で、議会の承認なしで、仏共和国大統領が軍の国内派遣を決定できると決めていたようです。最近の報道では、緊急時には陸海空軍兵士1万人の国内展開の具体策が検討されてるとあった。2005年のバンリュウ騒動後このプランが企画されたわけだが、バンリュウ蜂起あるいはゼネストの際の軍全面介入も視野に入ってると考えたほうが妥当だろう。10.000 soldats mobilisables sur le sol français (france2 )
15日の時点でストを続けているのはSNCFで列車は走っているが本数が少ない。パリでのメトロ・バスは混乱なく運行している。運動に参加するリセの数は主催者側によると1100、文部省の数字では340。レンヌ大学ではデモ参加者が3000。昨日の朝から封鎖されていた10の石油精製所(国内総数12)は今朝CRSが出動しいったん封鎖解除されたものの、その後も再び封鎖の模様。
パリ近郊のモントルイユでは学校の前で高校生に向け警官がフラッシュボールを発射。16歳の高校生は顔を負傷。手術を受けたが、眼球摘出の恐れがあるとか。。。
追記の追記:rue89がモントルイユでのフラッシュ・ボール事件の携帯ヴィデオを掲載している:La vidéo du lycéen blessé par un tir de flashball à Montreuil
警察側は多数の高校生に取り囲まれた警官が正当防衛でフラッシュ・ボールを使用したと言っていたが(BFMTV:Un lycéen blessé par un tir de flash-ball )、上のヴィデオを見ると冗談を言いながらゴミ箱を移動している少年の顔に突然ボールが当たるところが写っている。
ルモンド記事:Que vient faire un tir de Flash-Ball dans une manifestation lycéenne ?
この週末はトラック輸送者たちが幹線道路などの封鎖を行うらしい。先週に続いてあした土曜日、その後は火曜にも各地で一般人を含めたデモが予定されている。
今回の運動は今週の木曜までは市民の支援もあり、平和に展開されてきたんだが、政府側が強行挑発作戦に切り替えたのだろう。ジャーナリストに対する暴行もネット・プレスでは報道されてる。それがあまり利口な戦略ではないことに気がついてないとしたら、逆にゼネストにまで運動が拡大する可能性が高まるだろう。
お久し振りです。
フォントも見やすく文字も大きくは大歓迎、フォントは変わっていなくても大きくすると違って見える。
フランスのデモ?今度は何?
になってしまうけど、何?
たとえば、カネナイ症候群に悩む(アタクシを含む)多くの人々は、すでに消費スタイルを大幅に変えたわけで、その結果もっと物が売れなくなってる。これからの金融引き締め策で欧州の不況はさらに悪化するだろうし、ドルは助かる見込みがない。中国の社会問題も出口なしだ。
コストダウン競争も飽和点に達した。クレジットという「不思議の玉手箱」も限界。
「知」の非対称性に、つまり金融・経済・科学全般あるいは医療などの超高度知識と大手メディアとエンタメ業界による一般人の幼稚化あるいは痴呆化に対抗して(できは悪いにしろ)自分の頭で考えてみるほか生き残る道はないんだと考えます(ネットという武器があるし)。
僕も、同じように考えています。
ひたすら、生きる場を縮小して行くしかし生き残れない。「消費はしない」に尽きる、物質的な豊かさは求めない、求められない。
t
投稿情報: しんちゃん | 2010-10-17 09:51