なにやら金融・経済を追っかけてるうちに失語状態になってました:一般的表現で言えば『あきれてものも言えない』ってやつですね。
誰に聞いても『いい知らせがない』という答えが返ってきます。いままではかなり楽勝風だったいわゆる『勝ち組』派でさえそうだ。これには国境も例外もありません。
こういうクラッシュ時は、でも実は物をマジに考えるいい機会なんだと思いたい。いままで考えたくなくて引き伸ばしにしてきた事項も、否が応でも考えざるをえなくなる。(自分は置いといて)変革期には、思想家や革命家や文学者・哲学者、困ったことに独裁者もですが、続いて出てくると言うのも真実です。みんな考えて、あるいは考えながら行動するからね。そしてその思想や文が他の人々に共有される基盤もクラッシュはもたらす。
なぜ考えるかと言うと、あしたがどうなるか分からないからだ。あしたも昨日とおんなじだったら、なにも歴史を振り返ることも、現在を批判することも、あしたを作り上げることも必要ではないだろう。
*
この頃頭のなかににあるのは、
Our revels now are ended. These our actors,
As I foretold you, were all spirits, and
Are melted into air, into thin air;
And, like the baseless fabric of this vision,
The cloud-capped towers, the gorgeous palaces,
The solemn temples, the great globe itself,
Yea, all which it inherit, shall dissolve;
And, like this insubstantial pageant faded,
Leave not a rack behind. We are such stuff
As dreams are made on, and our little life Is rounded with a sleep.
というシェークスピアのテンペストの最後の部分であります。
もうひとつの言葉は晩年のミシェル・フーコーので、たぶんコレージュ・ド・フランスでの講義の最後のほうの「Construction de soi par écriture 」 と「Style」に関するもの。ちょっと探してみたけどネットでは見つからなかった。どこかで読んだんだけどなあ。意味は、書くことによって自分を造っていく、ってなかんじだ。
*
というわけでアタクシは元気です。
しばらくアレルギーのせいで遠ざかっていた水泳も7月初めから再開。週に3回は1500メートルほど泳いでいる。あの南仏の透明な朝の海での遠泳はもうできないのが残念だが、筋肉がきしむほどの無理はせず、ゆっくりしかし確実に水の中をフルイッドに移動していく喜びを再発見した。
*
そしてこれ、
Times They Are A-Changin'
コメント