11月7日土曜のル・モンドに掲載されたスラボイ・ジジェクの文章です。内容がちょいとソフトな米国向け版はNYTの20 Years of Collapse (『20年の崩壊』、これってEHカーの本タイトルに引っ掛けたのかなあ)。ベルリンの壁崩壊20週年記念に、仏文のほうを訳してみます。
Derrière le Mur, les peuples ne rêvaient pas de capitalisme
壁の向こうで、人々は資本主義を夢見ていたのではなかった
ル・モンド2007年11月7日
11月9日のベルリンの壁崩壊20周年祝賀は、われわれに熟考を促す。
あの出来事が『奇跡的な』ものだったと強調する認識は共通されている。夢は現実となり、数ヶ月前には想像もできなかったことが起こったのだ:自由投票、トランプの城のように崩れ去った共産主義政権。
ポーランドの誰が、レフ・ワレサが共和国大統領になると想像できただろうか?しかし、この奇跡には、数年後さらにもうひとつのより大きな奇跡が付け加えられた:民主的投票に則って元共産党員が権力につき、レフ・ワレサは孤立化、いまでは15年前にクーデターでSolidarnosc / 『連帯』を打ち破ったヤルゼルスキーのほうに人気がある。
古典的解釈は、この二度目の転覆を、資本主義についてリアリズムに欠けたイメージを抱いていた人々の『ナイーヴ』な期待にあったとする:彼らは、『リスク社会』という不都合がない繁栄を、共産主義が(多かれ少なかれ)保障していた安定と安全を断念することなしに、バターとバターを売った金の両方を、市場の自由と民主主義の両方を欲した。ある西欧人たちが皮肉たっぷりに指摘したように、自由と正義のための貴族的な戦いはバナナとポルノグラフィーの饗宴にとって代わられた。勝利の翌日、人々は幻滅を味わった:新しい現実ルールに服従し、政治と経済の自由の代価を支払わねばならなかったのだ。
避けがたい失望のあと(時として矛盾し、時として相互補足的な)みっつの反応が起こった:『懐かしの』共産主義ノスタルジー;右派ポピュリスム・ナショナリズム;時限爆弾式反共産主義パラノイヤである。最初の2者は簡単に理解できる。ノスタルジーは大まじめにとることもない:灰色の社会主義への回帰願望を訴えることからは遠く、どちらかといえば、それは過去を埋葬する喪の作業である。ポピュリズムの伸びに関していえば、これは東ヨーロッパに限られたものではなくてグロバリゼーションの渦巻きに巻き込まれたすべての国の共通問題である。
より興味深いのは、20年後の反共産主義の不可思議な再生だ。この現象は次の質問への答えとなる:『資本主義が社会主義よりよっぽどましなのなら、なんで私たちの暮らしはひどいままのなか?』 なぜ?なぜなら、私たちはまだ完全には資本主義内に入っていないからで、いまだ権力内にいるのは所有者やマネージャーのマスクに隠れた共産主義者たちなのだ。。。
ところで、東ヨーロッパの離脱者/des dissidents のほとんど多くは資本主義支持を表明していない。彼らはより大きな連帯と正義という外装を望み、国家からの絶え間ないコントロールなしに自由に暮らすことを 望み、自由に集まり自由に語り合うことを望み、洗脳攻撃のない、欺瞞とシニスムとは無縁な、誠実でまともな暮らしを送りたがっている。オブザーバーたちが目撃したように、彼らの反抗の土台は、支配的イデオロギーにインスピレーションを受けている:なにやら『人間的社会主義』といったようなものを熱望する。
しかし、社会主義ユートピアに対する答えはリアルな資本主義なのだろうか?壁の崩壊は、成熟した資本主義への道を開き、すべてのユートピアを反古にしたのだろうか?
911はクリントン時代の終焉を告知した:それは、イスラエルと西岸地区、欧州連合とそのの周辺、米合衆国とメキシコの間、そして他の国々内部に新しい壁が建設される時代のはじまりだった。まさにフクヤマの命題が二度実ったかのように。。。。
確かに、911後の自由民主主義ユートピア崩壊は、世界化した資本主義によって広められた経済という別のユートピアを損なわなかった。2008年の金融危機が歴史的意味を持つとしたら、それは『フクヤマ的/fukuyamesques』夢想における経済局面を覆したことだ。
リベラリズムは反ユートピアであることを欲し、ネオ-リベラリズムは、20世紀の独裁惨劇をもたらしたイデオロギーに背を向けた。ところで、この何十年かの経験は、市場が放任された場合には、(資本システムは)無害で都合よく動くメカニズムではなくなると明白に示している。その機能の条件を作り出すには、あらかじめ大いなる暴力が必要とされる。市場原理主義者は、自分たちの引き起こした大損害を前に、独裁者メンタリティーの典型的考察を採用する:自分たちの失敗を、かつての彼らのヴィジョンを政治に応用した人々が取った妥協のせいにし(国家介入のやりすぎ、エトセトラ)、よりラジカルな市場ドクトリン適用を強いた。
今、わたしたちはどこにいるのだろうか?ビクトール・クラフチェンコ/Victor Kravchenko (1905-1966) の運命をたどってみよう。このソヴィエト外交官は、1944年のニューヨーク訪問時に(訳注;ソ連を)離脱した。私は自由を選んだというタイトルで、彼自身システム信徒だった1930年代はじめに参加したウクライナ強制集団生産が引き起こした飢餓記述を含む、スターリニズム惨禍をじかに初めて明らかにした回顧録を出版した。
彼のオフィシャルな経歴は1949年に終わる。その時点で、クラフチェンコの汚職・アルコール中毒、そしてドメスティック・バイオレンスを暴いた元の妻の証言をベースにおこされたプロ・ソヴィエト派からの弾劾に、裁判で打ち勝った。未だ分からないのは、この勝利のすぐ後、冷戦の英雄として賞賛されながら、クラフチェンコはマッカーシズム(訳注;赤狩り)を恐れていたことだ。彼にとって、その激しい反共産主義は、擬態的に敵対者の手に堕ちる危険を伴っていた。彼は、西側に君臨していた不正義に気づいていたし、西欧民主主義社会内部のラジカルな改革を準備する先頭にたった。
彼の(それほど話題にはならなかった)回顧録2冊目は、私は正義を選択したという雄弁なタイトルで出版され、彼はより少ない搾取を伴う新しい生産社会に向けた十字軍にのり出した。そうして、彼はボリビアの貧しい農民たちの共同生産組織化に全財産を投下し(そして全財産を失った)。この失敗に打ちのめされ、彼は公的な場から身を引き、最後にはニューヨークで自殺をするに至る。
今日、米合衆国からインド、中国や日本、南米からアフリカ、中近東から西欧ヨーロッパと東欧ヨーロッパと、世界中で新しいクラフチェンコたちの声が聞こえる。それらの人々はすべて大きく異なっており、同じ言葉を使ってはいないが、彼らは、人が考える以上に多数であり、権力者たちがただひとつ恐れているのは、彼らの声がエコーを起こし、拡大することだ。
わたしたちは破滅に突入しつつあるのだと認識する彼らは、伴う犠牲がなんであろうとも行動を起こす準備がある。20世紀の共産主義に幻滅した彼らは、ゼロから出発し、正義という概念の再規定を図る。敵対者たちからは危険な理想主義者と扱われ、しかし、今だに私たちのほとんどすべてをを盲目に陥れている夢から実際に目をさましたのは彼らのみだ。死去した『リアルな社会主義』へのノスタルジーとは無縁に、左派の真の希望を担っているのは彼らである。
英語から仏語訳/ Myriam Dennehy
哲学者、1991年の独立に先立つ第一回自由大統領選挙ではスロヴェニ・アリベラル・デモクラット党の元候補者。
スラヴォイ・ジジェク/Slavoj Zizek
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というわけで、『なんとかisme 』だらけの文章でございます。クラフチェンコという人物は知りませんでしたが、ウィキによるとCIAやKGB、ドイツのスタジやらシベリアのグーラグやらが一通り出てくる。
関係ないんだけど昨日、ルーマニア生まれジュイッシュ系フランス人映画監督が作ったLe Concert という楽しい仏大衆娯楽映画を見てきたんです(後日別記事で紹介しようと思ってる)。その映画の中でもユダヤ人狩りやグーラグが話題になっていたです。
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翻訳途中、ちょっと疲れたんで居間のTVつけたら、同じ『ベルリンの壁』がテーマのCe soir ou jamais でなかなか面白い論議が展開されておって結局最後まで見た。壁崩壊時に仏外務相だったアラン・デュマ、ソヴィエト崩壊を予言した統計・政治・歴史学者エマニュエル・トッド、(アルジェリアで拷問まで受けてたという)筋金入り共産主義作家、チャウシェスクー裁判のオーガナイザーだったというルーマニアのオジサン、元イスラエル在仏大使のバルナビ等々のすごいメンバーで、革命論まで出てきてトークはケンケンゴウゴウ;仏政治がかかわってないと今の仏TVでも論争は可能なのだった。
その番組で紹介されてたベルリン記念式典映像のドミノ倒しで(番組内でも誰かが言ってたけど)ドミノを最初に倒したワレサがけつまづいて、最後の倒れないデカドミノが漢字で装飾された(中国人作家の手になる)壁だったってのが、なんとも痛かったです。。。
まだ何日かはヴィデオで見ることができるはずだから、仏語使いの方はドウゾ:Ce soir (ou jamais), Lundi 9 novembre 2009
えっと、こちらも全然関係ないんですが、米日関係記事が7本リンクされてる(ネット有料会員用)ル・モンドページも貼っておきます:Le Japon et les Etats-Unis : entre dépendance et volonté d'autonomie
あ、これも:ゴダールとユダヤ人問題についてのル・モンド記事:Godard et la question juive
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