えっと、本当のタイトルは The Imaginarium of Doctor Parnassus /仏版が L'Imaginarium du Docteur Parnassus なんですが、 勝手に訳してみました。イマジナリオムってのは、イメージと、限定場を示す語尾オリオム(例;オーディトリオム、サナトリオム、プラネタリューム等)をくっつけたテリー・ギリアム式造語かと思われます。パルナサス博士のイメージ館でもいいかも。追記:あとで調べたら公式日本語タイトルはDrパルナサスの鏡になってました。
土曜の午後に観て来た。国立図書館BNF近くのMK2 は大学近くの新しい映画館だからでしょう、今は学生料金が毎日3.90ユーロなんで若い人がかなり集まってたです(週末の正規映画料金10ユーロなんて払える人は今時少ない)。
面白かったよ。
内容はタイトルが示すそのまんま、テリー・ギリアムのアナーキーな想像力がアナーキーに、つまり理論的整合性もストーリーの一貫した信憑性もアイデンティティの一貫性も無視して突っ走る。そのアナーキーさがこの映画の動力です。
一応、ピカピカなショッピングセンターに象徴されるポスト・インダストリー市場世界の現在ロンドンで、『時代遅れ』な理想主義者パルナサス博士は自分の移動劇場=イマジナリオムを経営しておる。だが、博士のただひとつの宝である、西洋人形そのまんまの顔したかわいい娘を、悪魔が昔の賭けの代償としてその16歳の誕生日に奪いに来るはずなのだ。娘と劇団アシスタントの男の子が橋の下で首吊りになっていた男(ヒース・レジャー)をたまたま助ける。その男は、移動劇場の『近代化』をやって、ピカピカ・ショッピングセンター内で興行、成功するんだが。。。
博士の興行というのは、移動劇場の真ん中に鏡があって、観客はその鏡を通り越して自分の見たい夢の世界に行ける、という設定。アリスの鏡ですね。悪魔との賭けはファウストでしょう。残念ながら撮影途中で死んでしまったヒース・レジャーの鏡の向こうでの役柄はジョニー・デップとジュド・ロー、コリン・ファレムがそれぞれ演じているんだけど、この4人のキャストは無理なくつながってて上手い。
鏡の中の世界はCGで、たとえばチャーリーのチョコレート工場のマニアックさに比べたらあっさりしすぎな気はするが、テリー・ギリアムのアナーキーさと映画作りの現実を両立させる方法としてはこの方法がよかったのだろう。ここではラインダンスするミニスカート姿の警官たちとか、モンティ・パイソンからの『引用』も多いです。そういえば、モンティ・パイソン・フライイング・サーカスのサーカス、これが博士のイマジナリオムなんですなあ。ふむふむ。
なんと言っても、注目すべきはヒース・レジャーの演技です。このイカサマ野郎の役作りにはトニー・ブレアを参考にしたということですが(これは単なる話題づくりかもしれないけどさ)、いや、ヒース・レジャーの演技力というのは生半可なものじゃない。悪魔役トム・ウェイツの渋さは、もう、18年ものシングル・モルトなんですが、ヒース・レジャーのリアルさってのはまた別枠のでき。バットマンでの演技は痛々しかったですが、ここでは(観客のほうも)彼の動きに見とれてしまう。
ジョニー・デップも、ここではオーヴァーアクションなしで、『Oh !』 の一声で決めてる。で、デップの『Oh!』 とレジャーの『Voilà!』 がこの映画のキメ。
しかし、共同夢としての映画空間におけるリアリティとはなんなんだろうねえ。
これは、映画という媒体が(実は人間自体もそうなんだけど)記憶の総体をコピーし、反芻し、再現し、コラージュし、ブリコラージュし、そうやって作る共同作業なんだという事実を思い起こさせてくれる作品です。
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