日曜のル・モンドでジジェクのイラクに関する文章を見つけました。(仏語版より長い)英語版も横目で読み込みながら訳します:トムとジェリーの猫の比喩が再登場です。
Téhéran en crise, ou le retour aux sources de la révolution de 1979, par Slavoj Zizek
テヘランの危機あるいは1979年革命への帰還、スラヴォイ・ジジェク
ル・モンド 2009年6月27日
なお、英語およびペルシャ語ロング・ヴァージョンのダウン・ロード・フリー版はこちらです:
WILL THE CAT ABOVE THE PRECIPICE FALL DOWN?
断崖上の猫は転落するのだろうか?独裁政権がその最終的危機に近づくとき、解体は一般的に二つの段階のあとにやって来る。崩壊の前、不思議な断絶が起こる:人々は突然、ゲームは終わったと理解し、恐れることをやめる。政権は正当性を失うばかりではなく、その権力行使は無意味なパニック反応と受け取られる。
私たちの誰もが昔のアニメの、足の下にはもう地面がないのだと知らずに、断崖絶壁の上を歩き続けている猫のシーンを覚えている。猫は下を見て、深い淵に気がついてから転落するのだ。自らの影響力を失った政権は、断崖に宙吊りになった猫のようなものだ。
ホメイニ革命のクラシックな記述である Le Shah(10-18出版、1994年 なお英語版タイトルはShah of Shahs)の中で、Ryszard Kapuscinski は、この断絶の瞬間を位置づけている。テヘランのある交差点で、一人のデモ参加者が、警官の立ち退き命令にもかかわらず動こうとしなかったのだが、当惑した警官はそのまま立ち去った。2時間ほどの間に、テヘラン住人すべてがこの出来事を知らされていた。数週間にわたり街頭での戦いは続いていたにもかかわらず、すべての人々が、いずれにせよゲームは終わったのだと理解した。同じようなことが起こりつつあるのか?
テヘランで起こっていることについては、いくつもの見方がある。ある人々はその抗議を、ウクライナやジオルジーなどでの“オレンジ”、プロ-西欧の“改革運動”の流れの頂点と捉え、ホメイニ革命に対するライシテ運動だと見なしている。ムスリム原理主義から解放されたリベラルな民主主義とライシテの新しいイランへの第一歩をなすものと捉え、彼らは抗議者たちを支持する。
懐疑的な人々にとっては、反対に、アフハマディネジャドは実際に選挙で勝ったのである:彼は大多数の国民の声を表わしているのに対し、ムサヴィは中間層とその輝かしい子息たちに支持された。簡潔化すれば:幻想を捨て、イラン人は彼らに見合った大統領アフマディネジャドを選出したと認めるのだ。さらに、ムサヴィを宗教権威内の人物と捉え、アフマディネジャドとは表層の差異しかないと考える人々がいる。ムサヴィも核プログラムを推進するつもりだし、イスラエルの認知には反対だ、さらに対イラク戦争時に首相だった彼はホメイニの支持を受けていた。
結局のところ、もっとも悲惨なのはアフマディネジャドを支持する左派だ:彼らにとって肝心なのはイランのインディペンデントである。アフマディネジャドは、イランの独立を擁護し、エリートたちの汚職を告発し、原油の富を恵まれない大衆層の収入増加にあてたから選挙に勝利したのだ。これは、西欧メディアが流したホロコースト否定派というイメージに隠された、真実のアフマディネジャドなのだそうだ。したがって、イランで起きていることは、1953年にあった、-西欧が資本源の正当な大統領に対するクーデター、モサデック打倒の繰り返しでしかないのだ。
視点は違ったものであっても、それぞれが極端なイスラム主義とプロ・西欧リベラル改革派の対立という軸にそってイランでのプロテストを解釈しているため、彼らには、ムサヴィの位置が把握できていない:彼は、個人の自由と市場経済の強化を望む西欧に支持された改革派なのか、あるいは、その勝利が現権力の本質に何も変革をもたらさない宗教権威のメンバーでなのだろうか? この極端なぶれは、彼らすべてが今回の抗議運動の本質からは遠いのだと示している。
緑色の選択、深夜にテヘランの屋上から立ち上る“アッラー・アクバール”の叫びは、ムサヴィ支持者たちがこの運動を、1979年のホメイニ革命の再開として、源泉への回帰として、革命後の腐敗の払拭として、みなしていると明確に示している。 この源泉への回帰は、単にプログラムされたものだけではない;それはまず群集の活動自体に帰するものだ:数千人が参加した無言の威嚇的デモのように、人々の一体化、全体の連帯、創造的自己組織化、抗議に節目をつけるタイミング、自発性と秩序のユニークな混合。私たちが立ち会っているのは、革命に幻滅した支持者たちの真の蜂起なのだ。
この洞察から、私たちは二つの決定的な帰結を引き出さねばならない。第一に、アフマディネジャドは貧しいイスラム主義者のヒーローではなく、真性の堕落したイスラム-ファシストのポピュリストであって、そのピエロ的態度と無慈悲なパワーポリティックの混合は、アヤトラたちにさえ不安感を与える、言ってみればイラン版ベルルスコーニなのだ。大衆迎合策である貧乏人たちへのわずかな配分にだまされてはならない:彼の背後には、警察の抑圧組織と極めて西欧化されたコミュニケーション機関ばかりではなく、政権腐敗の結果である裕福で力のある新しい階級が控えている-イランにおける革命の番人は労働階級の義勇軍ではなく、この国の富の中心に位置する巨大な企業なのだ。
第二には、アフマディネジャドの2人の対抗者、メフディ・カルービとムサヴィの明白な違いを認めるべきだ。カルービは、実質上コミュノタリズム政治のイラン版を勧め、個別グループ全体の優遇を約束する改革派だ。ムサヴィは違った何かを体現している:それはユートピアでしかなかったにしろ、ホメイニ革命を支持した大衆の夢の再来を、その名は表わしている。
これが意味するのは、1979年の革命を、単なるイスラム過激主義者による権力剥奪には還元できないということだ:あれはそれ以上のものだった。今は、息を飲む政治・社会の創造性の爆発、組織化の経験と学生および市民間の論議を伴って、革命後の1年間に起こった信じがたい興奮を思い起こすべき時なのだ。この爆発が抑圧の対象になった事実自体が、ホメイニ革命は本物の政治出来事であり、前代未聞の社会変容の力を放出させた瞬間的開放であり、“すべてが可能かに見えた” 時だったのだと示している。
それから、イスラム主義権威による政治支配を通じて閉鎖が次第に進んだ。現在の抗議活動は、フロイト語彙で言えば、ホメイニ革命の“抑圧の回帰”なのだ。
未来は不明瞭だ。権力者たちが人民の爆発を押さえつけ、問題の猫は、断崖上から転落せず地上に戻る可能性は高い。以前のものとは似ても似つかない体制は、他国の政権と同様な単なる腐敗した圧制的政権となるだろう。結果がどうであれ、プロ西欧のリベラルとアンチ西欧の原理主義者の対立という枠を超えた解放運動に、私たちは立ち会っているのだと明記すべきなのだ。もしこの解放的局面を、私たちのシニカルなプラグマティズムが無視するなら、私たち西欧人は、ポスト民主主義の新しい時代に突入しつつあって、私たち自身のアフマディネジャドを迎える準備中なのだ。イタリア人たちはすでにその名を知っている:ベルルスコーニだ。他の国民は順番を待っている。
Slavoj Zizek / 哲学者
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