リンク集がたまりに溜まってブログに貼り付けないと“お気に入り”の列が増えるばかりだし、それよりなにより、今夜中になにがなんでも書き終える予定だった仏文“公式”手紙が、なんとも形を成してくれず頭を抱え、、、、『そうだブログを書こう』、、、という奥の手を使って現実逃避してみることに決めた。
実は今日、もう一度ポンピドゥーセンターにおもむき、カンディンスキー展を見てきたのだった(2回目)。
前回は、バウハウスで教えてるころのカンディンスキー絵画に行き着く前に疲れがドット出て、なんだか酸欠状態みたいなカンジでバウハウス・カンディンスキーの絵にぜんぜん集中できなくなっちゃったんだ。それで、そのまま会場から退散し、少し街中を歩き回ってから家に帰った。
もともと自分の場合、絵画や写真とかを意識的に見てられる長さというのはせいぜいが1時間か1時間半ぐらいだし、仏語での内容の濃い講義を集中して聴くというのもそれ以上の時間だと頭が飽和状態になる。
おまけに今回の対象はカンディンスキーである。
カンディンスキーの熱烈なファンではないアタクシには、かなり以前にパリであった大規模な展覧会には行った記憶はあるものの、作家についての知識;つまり経歴や作風の変化とかの知識はほとんどなかった。
今回の展覧会には、ポンピドゥーが所有する多くの後期絵画に加えて、グーゲンハイムなどの米国美術館や、ミュンヘンの美術館、それに個人所蔵の絵画も加え、彼の滞在した場所(ヨーロッパ放浪、ミュンヘン、モスクワ/ストックホルム、ワイマール/ベルリン、パリ/ヌイイ)ごとに年代順に並べてある。それに、彼の水彩やデッサン・習作、彼のデザインした本とかもそこここにプラスされてる仕掛けになっている。
絵のかけ方も、クレジットの表示の仕方も、またビジターが歩き回れる空間や座って絵画を眺めることができるスクエアなベンチも多くとってあるから、鑑賞環境はいい。
でも、対象はカンディンスキーなのだ。読み込みには時間もかかるし、脳内機械はフル回転を要求される。あげく、途中で窓越しにパリの風景が下界に見えるとほっとしたりする。
われわれ見る人は、カンディンスキーの作業;つまり彼の精神世界再構築と脱構築とに付き合うのであるから、疲れるのだ。
それで今回は5ユーロ払って、オーディオ・ガイド(日本語ではなんて呼ぶんだろう、知らないんだよね;ところで日本語のもあったよ)を借りた。なにしろこの相手、素手で取り組むには手ごわすぎる。
彼の作風が、場所を変えるたびに(奥さんを変えるたんびに、というピカソっぽい理由もあるかもしれないが)大きく変わる。1866年モスクワに生まれたカンディンスキーは,まず大学で法学と経済を学びドクター論文まで書くが、その翌年に30歳でミュンヘンまで行って絵画を学びはじめる、という人生大変換をする。その上その個人史に、ヨーロッパの(大文字のH で書くべきだろう)歴史が絡んでくる。
第一次世界大戦の勃発、ロシアでのボルシェビキ革命、スターリンの登場、ナチスの台頭。。。
そして彼の作風の変化はそのまま、具象から抽象へと移行する近代絵画道程のスキャン映像を見ているようでもあるのだ。山や馬、騎士、丘の上の教会、樹、といったモチーフが繰り返して描かれ、やがて変形し、単純化され、いつか線や円や幾何学模様に場を譲っていく。
l'impression / 印象から、l'improvisation / 即興、そして la composition / 構成へと、作法も変わっていく。
色の扱い方も、モスクワを描いた初期作品の、時としては遊びの要素や民俗性の濃いおとぎ話的、あるいはスラヴ的とでも言いたくなるような厚塗りの色彩から、極めて知的に計算され緊張度の高いバウハウス時代、後期での砂を使った厚塗りの仕方、そして晩年での、再び遊び心の勝った明るい色使いへと一巡する。
要するに、カンディンスキー48年間の絵画活動と絵画思考の変容(そして時代の変容)に対面する訳だから、見るほうにもそれ相当の“仕事”が課されないほうがおかしいだろう。なお、あとから知ったが、カンディンスキーはヘーゲル読みの哲学者コジェーヴの叔父にあたるんだそうだ。ふーむ。
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個人的には、初期のヨーロッパ放浪時代にパリ郊外サンクルー公園を描いた風景画(光!)と、モスクワを描いた一連の作、それからこのページにも挙げたポスターにもなってる「いくつかの円」が気に入った。
なお、この「いくつかの円」について;これも以前パリで見た村上隆の「カイカイキキ」展でこれのヴァリエーションがあったなあ、と思い出した。後期の、きれいな空色の地にバイオロジカルなモチーフが舞っている作品は、アタクシの好きなカナール・アンシェネのイラストレター Wozniak の絵みたいだ。
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これ以上の難しい話はアタクシにはできないんで、なにはともあれ8月10日までパリ・ポンピドゥーセンターでの該当展、夜は11時までやってるんで見てみてください。カンディンスキー・エクスペリエンスとでも言うべき目くるめくへヴィーな謎解き体験ができるのです。
なお、当展はたしかこの後米国に行くはずでした。
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今やってるその他の気になる美術展
リュクソンブール美術館:Filippo et Filippino Lippi
初期イタリア・ルネッサンスの画家、フィリッポ・リッピと彼と修道女の間に生まれた息子のフィリッピノの作品を中心に約60点を展示している。プラートからの作品が多いようで、今までフランスでは公開されてない作品ばかりと宣伝している。ちょっと気をそそられる。父リポは、ポッティチェリの師匠であり、息子のほうはポッティチェリの弟子。
でもたぶん、プラートはこの次イタリア行く時の訪問地リストに挙げておいて、久しく行ってないルーヴルに行って、展示されてるリッポ親子作品を、集中的に、も一度見てみようと思う。そばにあるポッティチェリも見たいしね。今年の秋から同じルーヴルでの、Titien, Tintoret, Véronèse. Rivalités à Venise, 1540-1600に備えて予行演習しておこう。ティツィアーノとティントレットにヴェロネーゼ;ヴェニスのライバルたち、;こりゃ行かなきゃ。秋までちゃんと生きてないといけないなあ。
ジャックマール・アンドレ美術館でもイタリア・プリミティフ展をやってる:Les Primitifs Italiens これは19世紀のコレクター、Bernard von Lindenau の集めた作品の展示だそうだ。シエナとフィレンツエでは以前、案外念入りに絵見てるからそれでいいとして、たぶん行かない。リュクソンブールもジャックマールも入場料高いし狭いし、その分節約して貯金して、イタリア行ったほうがいいよ。
プチ・パレでやってるのが、ギリシャはアトス島の秘宝展:Le Mont Athos et l'Empire byzantin, Trésors de la Sainte montagne au Petit Palais 正教美術はちゃんと見たことがない。これは興味大いにあり。これからアトス島まで行くこともまずないだろうしね。
帰ってきて、アパートに入ろうとしたら、入り口前の庭でモスクワ生まれのご近所マダムが孫のニコラス君を遊ばせていた。ちょっと気になってたから、カンディンスキーのことで質問したら案の定(彼女と話し始めるとといつも必然的にそうなるのだが)話題は大ロシアの歴史とロシア語の特異性、帝国の定義、ポーランドとそこにいたユダヤ人たちのウォッカ販売権の話、挙句はドストエフスキーの癲癇症の作品に与えた影響等等々にまでおよび、でもおかげさまでおばーちゃんを独占的にこき使っているニコライ暴君が怒り出したので、ドストエフスキー談義を中断してとっとと家に帰ってきた。
正教使徒の彼女はこのアトス島秘宝展、マケドニア人の司祭といっしょに行くんだって:こりゃゴリヤクアリソウ。
展示品スライドはリベのページで見られます:Les trésors du Mont Athos au Petit Palais
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思うに、音楽もそうなんだけど、ここんとこアタクシは“古典”時代にありまして、絵画も古いものの方が落ち着いて楽しめる。まあ年齢のおかげもあるし、時代自体もそういう流れなんだろうな。。。
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