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2009-03-14

コメント

みみみ

猫屋さん

朝日新聞の呼びかけに、公田耕一さんが応えた歌の原文は、

 ホームレス歌人の記事を他人事(ひとごと)の
 やうに読めども涙零しぬ

です。
3月9日付、歌壇欄に掲載とのこと。
歌壇欄はもう整理してしまいないのですが、
社会面に記事が立ててあり、公田さんから
投稿があったことなど記されています。
これはとってあった。
精神のエステティック、共感がまだあったよと思わせてくれました。
でも、昨日のasahi.comには、「炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止…」
という記事がありまして、、
炊き出しに集まる人が増え、子どもが声をかけられたり、ゴミが捨てられたりで、近隣の人が困っているようです。

その人(たち)と全く関わりがない状態と、その人(たち)を知っている状態では、感じることは異なるでしょう?
誰も彼もに、気にしろ、関われとは言えないけれど、、、
ますます直接関わることは少なくなって、お役所と法を通しての
伝言ゲームだから。
でもなんだか想像力や、コミュニケーション力は消え行くのみに思える。
一方で、人と関わらないでも可能な一回的な創造力や(思いつきと言う)
うまーくやり取りするプレゼン力が尊ばれるから、物事はそれなりにマワッテ行くのです。

さみしーですね。

猫屋

みみみ氏、
原歌本文に書き込んでおきました。ネットで新しく見つけた記事も貼っておきましたが、久しぶりに見るアサヒ・ウェブの有様とか(国を代表する日刊紙に無料検索がない!!!)、ネット上でのこの歌人をめぐるフィーバー振りにも困惑してしまいます。どっかヘン。
“公田耕一”氏がこのヘンな流れに呑み込まれないよう祈るばかりです。
荒らしや、短期的各種ブームも同じだけど、なんでああなっちゃうんだろう。Decency と想像力でしょ、足りないの。まあ日本は消費先進国だからなあ、無理もないのかも。。。

こっちでも違法移民と住民の関係を主題にした映画“Welcome”が話題になっています。まさに普通の生活者と難破サイドの少年のかかわりを描いた映画なんですが、まだ見てない。見てからブログに書きます。

アートというのは人間と人間の間の見えない壁(見える壁も含め)を乗り越えるために必要な想像力を養う、と思いたいところです。ってか、それがなきゃこれから生き延びられないだろうが、と思う。

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