もう腹がたつばかりだから、TVはつけない、新聞読まない、ラジオも音楽系だけ、ネットで読むのもヘッド・タイトルだけって日々が続いてたんですが、ちょっとだけメモ程度に書いてみます。
本来ならばよく書けた記事を翻訳紹介したいところですが、一本の記事で今のフランス、あるいは世界事情が見渡せるような素材がない。各新聞のエディトリアルでさえ、見るべきものがない。それだけ、現状の分かりようのなさを表わしてるように思えます。世界はある意味「さかさま」状態になっちゃった。世界を牽引していたはずの“見えざる手”が、実は単なる、たとえばマードフのねずみ講でしかなかった、というわけです。
リベラルとは本来、旧旧世紀の、教会や階級制度のドグマから“自由”な、という意味だったはずです。ところが、それはいつの間にか所有の自由=リベラルにすり替わっていた。際限なく膨張する富を私有化できるという自由に変わってしまったのです。
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フランスでも、今回の(さらに膨張を続けている)金融・経済危機の規模を、エコノミストや政治家ばかりではなく、一般市民も理解し始めた観があります。自動車業界以外でも、多くの中小企業が資金繰りができず、工場閉鎖や解雇の問題に直面している。個人商店・市場の個人商・カフェやレストランも客が少なくなって困っている。安価な移民系労働者(時としてソンパピエ/労働許可を持たない移民)に頼っていた建築業界も、スペイン・イギリス・米国レベルではないにしろ、突然の不動産バブル収縮で施工件数が減り、多くの失業者を出しています。
遠い南洋の島グアドループですでに3週間続くゼネストも、今日は車が燃やされたりという不穏な状況のようです。
それは仏本土のここでも同じなのですが、政府サイドが細部における部分的譲歩はしたとしても表看板である強硬な態度を変えないため、危機に直面し不安な住民の不満は政府=サルコに直接向けられる結果になっています。これも、サルコジ政治(古い語彙ですみませんが:ワンマン政治、あるいはジョフランのボキャで言えば選挙君主制)の暴力性がそのままブーメラン効果でサルコに帰ってくるという図式です。
アホどもには任せられない自分が全部やるといきまいて、各大臣は単なるダミー、あるいは単なる高給取りの広報係、あるいは使い走りにすぎないし、議会も次々と出される新法をバタバタ可決するためだけの機関としか機能していない。その超個人中央集権国家に成り下がったサルコ・フランスは、今回の世界危機がなかっったとしても、いつかは行く着くはずだったろう終着点にこれから向かうのかもしれません。サルコジに、フランス共和国の大統領職は無理なのです。
共和国という共同体を個人的野望だけでは仕切れない。その意味では、サルコジは最も共和国精神から遠い人物だった、と言うことができるでしょう。彼はドゴール主義精神でさえも蹂躙した(NATO問題)。この国がいったい、どんなイデーを基礎にして出来上がっているのか、彼は理解できない。ひとつの共同体がその収束力を維持していくためには、なんらかの共同基盤が必要性とされるのです。それが機能しなくなったら分裂していく。解体です。特に、今のような危機的状況においてはなおさらそういった危険性は高まる。同時に、その共通基盤が、奇妙な形のロマン主義やナショナリズムに流れ暴走する危険性もあるわけです。
確かに、大統領選挙の段階では、株価上昇に引っ張られていた経済世界から“立ち遅れた”旧態のままのフランスを、効率のいい「近代国家=米合衆国型国家」へと脱皮させるためには、サルコジのような強い個性のある人間が必要なのであって、人間的な欠点はあるにしても5年だけ野放しにしてやりたいようにやらせてみようじゃないか、と考えた選挙民が多かったのだと思います。けれど、私のような移民や、選挙民でもネットなどの情報につながっていた人間は、すでに大きな危惧の声を発していた。
たとえば、あの選挙結果を60歳以下選挙民のチョイスで見れば、ロワイヤルへの投票数が過半数を占めていたわけです。だが、私たちの声は単なるヒステリックなサヨクの声だ、とメディアは弾劾した。
サルコジの世界観は、金融バブルをやがて生み出すことになるあのシステムが生まれた1970年代後半の、made in USAサクセス・ストーリーの時点に固まったままです。プラグマィティズムとガッツさえあれば何でも可能だった。とにかく目の前にいるライバルを叩きのめして、ヒーローは成功の階段を上っていくというあれ、です。力が権力であり、権力の裏づけは力である世界です。
米国の話をすれば、先日のオバマ大統領就任式典を横目で見ながら、ああ、あの国は新しい神話を必要としているのだ、とあらためて思ったわけです。これはあとで別の記事として書くつもりなのですが、ジュー・ド・ポーム美術館で 開催されているRobert Frank 写真展を今日見てきたのでした。写真集 The Americans は本屋でチラッと眺めたことはあったのですが、1950年代のアメリカを粘り強く撮っていくフランクの写真群は、当時の米国の姿を見事に印画紙上に映し出していて圧巻でした。
それらの写真が指し示すのは、物への信仰と、人々の顔の、とりあえず形容してみれば“固さ”、あるいは“厳しさ”です。ジュークボックス・自動車・モーターバイク、高層建築、といった“価値”のかたわらで、人々の顔は閉じられている。
歴史がない国というのは米国ばかりではありませんが、モノを、そしてそのモノへの兌換商品としての貨幣を神話レベルにまで持っていった国が米合衆国なのだと思います。アンディ・ワーホールの作品群を思い起こしていただければ、分かりやすいかもしれません。
そういった米型サクセス・ストーリーを、この古い国フランスに接木しようとしても、それは無理なのだ。なぜなら、ひとつの国とは、言ってみれば多様な多くの細胞からなるひとつの生き物であり、固有の記憶があり物語があり、固有のコードや美意識なりがあるのであって、それらが作られてきた長い時間を一瞬にリセットできるものではないのです。
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現在は、言い方はいろいろありますが、歴史の折り目(プリ)、あるいはパラダイム・チェンジ、もっと平たくいえば時代の大きな節目なのだと思います。今の時点では、われわれがこの先どこに行くのか誰にも分からない。しかし、これからやってくる時代が、少なくとも30年ほど前の時代精神で凝固したアルカイック・サルコの想像力を超えるものだろう、ということは理解できます。
明日、ニコラ・サルコジ仏共和国大統領は各労働組合代表者とのミーティングを行います。これまでに各労組と政府間の個別ネゴは行われていて、明日の会合は談合ではない。各労組ヘッドを集めて大統領じきじき、これからの国家社会政策を発表するということらしい。おまけに、明日(18日水曜)夜には、またしても大統領TVに出演するとか。。。サルコ必死だな、としか言いようはありません。
長くなってしまったので、リンク集は別記事とし、明日時間を見つけてアップするつもりです。
お久しぶりでございます。
サルコさんは フランスを偉大な国に回復するつもりではなくて、 フランスに復讐するつもり?
と以前から思っておりました・・・ まさかね。
投稿情報: Mari | 2009-02-18 08:42
おお、ヨーロレイヒー♪姫ですか?お久しぶり。
フランスに対する復讐、というのは考えてみなかった。それってアリですよね。ド・ヴィルパンとシラクが擁護した旧大陸精神をブッシュ政権はヒステリックに叩いたわけですが、そのブッシュにあえて近づいたサルコには、確かにたとえばド・ヴィルパンが表わしているこの国の“価値”に対する嫉妬があった。ただ、サルコの知ってるフランスと言うのは狭い新興高級住宅街(ゲットー)ヌイイとTVだけで、そこに住んでいるのはアリストクラート+ブルジョワ+成金+裕福な外国人+ショービズ成金プラス彼らの使用人であるフィリピン人ナースぐらいなもんだ。
彼は、ミッテランやたとえばバイルーがそうですが、土地にも根を持っていない。ましてや、労働者階級なんて知らない。でもって、サルコの復讐対象であるフランスも極めてイビツなサルコのフランスなんだ。だが彼の暴力性によって最初に叩かれるのは、そこから最初から除外されていた移民であり、年金生活者であり、低収入者や失業者といった弱者で、それから労働者層・中間層、次に公務員や教員、、、と続く。そうすると、それらの人々が、その暴力に抵抗するのも、言ってみれば道理なんだよね。
投稿情報: 猫屋 | 2009-02-18 12:59
ワタクシのいい加減な直感を解説してくださいました、ありがとうございます。
大統領になる前から、「オレを馬鹿にした奴ら 今こそオレ様の前にひざまずけ!」なオーラがでまくってる彼ですから、彼を馬鹿にするチャンスもなかった階級の方々は のっけから彼の視線の向こうにはいないわけですね。 だから叩くのも平気、ってか叩いてる自覚もなかったりして? まさか。
彼のことを書くと「まさか」な単語が続出するのが、どうにもとほほな感じです。
投稿情報: Mari | 2009-02-19 08:42
あれが単なる郊外の中古車販売店の店長だったら笑ってすまされるんだけどねえ。。。税金使いまくって、バカにされて、ことによったら国外追放だもん。投票権ないし。
まあ、叩くだけで終わる一生なんでしょう。やだよね。
投稿情報: 猫屋 | 2009-02-19 12:05