まずは問題の10枚の写真、以下のル・モンドページから観覧できます。
また、こちら:Atomic Tragedy サイトにも(後記:11日の時点で画像が消されています。こちらの仏ジャーナリストブログにあり:URL)。出典はスタンフォード大学のHoover Insutitution アーカイヴとのことですが、探したけど見つからんです。。
次は関連記事。《ヒロシマ:これまで世界が見なかったもの》
これらの写真は1945年8月6日8時17分、原爆が広島に投下されたのちに撮影された写真です。この5月3日にカリフォルニアのフーヴァー・インスティテュートが公開した。
戦後の米国占領軍に所属していた米兵士Robert L. Cappが、広島近くの地下室で見つけた未現像フイルムのなかにこれらの写真があったんだそうです。彼は53年後、2008年までは公開しないという条件をつけ、1998年にこれら写真をインスティテュートに寄贈した。
今回、Atomic Tragedy : Henry L. Stimson and the Decision to Use the Bomb Against Japanという本を用意していた歴史家M. Malloyが、自分の出身校スタンフォードでこれら写真を閲覧、自署に3枚の写真を掲載したんですね。
記事によると、これら写真をめぐって合衆国では論争が起こっているようです。日本での核兵器使用の正当性についてはもちろんですが、キャップ氏はなぜ、10枚の写真をネオコン系のホーヴァーに持っていったのか、なぜこれら写真が今(つまり、米大統領選挙6か月前に)、公開されるのか。
答えは見つからないでしょう。でも、撮影者が誰なのか分からないこれら10枚の白黒写真は、あの時ヒロシマで何が起こったのかをわたしたちに伝えます。
もひとつル・モンド関連記事です:《米国検閲が隠した被害者写真》。--- 被爆後送られた米軍“医療”スタッフが、治療ではなく医学データ収集のために送られていたことは、のちの証言でも知られていますね。
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大昔、実家のばあちゃんの仏壇の横の戸棚に古い写真雑誌コレクションがあって、アサヒ・グラフだとかライフだったか、関東大震災と東京爆撃後の写真は見たことがあります。大方の被害者は黒焦げで、あるいは奇妙に膨張していた。子供だった自分にはかなりショックだったのを覚えたいます。あの頃はまだ暴力や血を見せるニュースにしろ映画・マンガもありませんでしたからよけいです。
原爆をあつかった本も何冊か読みましたが、写真の与えるインパクトは別ものだ。広島の原爆記念館でも、これだけ多くの被害者が被写体となった画像はなかったように思います。
Auschwitz à Ciel ouvert (屋根のないアウシュビツ)という言葉が、なぜか頭に浮かんできた。