さっきは、自転車で1年かけて世界一周をしてる最中の仏人、ピエール・ムロー/Pierre Moureu 君の現地から書いてるブログを読んでいた。Un vélo, une planète, un rêve なぜかというと、このポーで1976年に生まれ青年が、今月14日の時点で中国チベットのラサにいて、何を見たのかを何枚の写真とともに、ブログに記しているからだ。(最終の書き込みは17日だ)
断片的な報道と映像しか、メディアやネットでは手に入らないし、同じ現地観光客の証言にしても、「中国人」経営ホテルにカンズメになってる人間の見る“光景”はまたちがったものになる。
ダライ・ラマが(49年目)亡命先インドでおこなったインタヴュー映像はTVで見た。いつもの、にこやかな笑顔ではない。それだけで、こちらの“居心地”が悪くなる。自分が何もできないからだ。
中国Yahoo! が逮捕者さがしで当局に協力している、という報道があった。中国ではYouTubeも禁止されていて、ダライ・ラマの写真を持っているだけで逮捕されるらしい。21日の時点で中国軍はラサを包囲した模様だ。
何ヶ月か前、ヨーロッパ人中国サイドヒマラヤ登山隊による、中国軍が山を越えるチベット人たちの列に発砲し、ひとりの男を殺害するところを偶然撮影した映像を見た。
あそこでは、何が起きているのか知ることができない。チェチェン・チベット、そしてガザ。21世紀の植民地である。
フランス国内でも、北京オリンピック・ボイコットに関する議論と、動こうとしないフランス政府に対して抗議の声が上がっている。ゴードン・ブラウンは来英時ダライ・ラマと会談する用意があると発表した。ベルリン政府も“チベットでの暴力が止まない限り”経済提携話し合いは凍結と発表。これは悪くない。まずは、ダライ・ラマの存在を国家が認めることから始めなければいけないんだ。これからヨーロッパ会議の議長国となるフランスのサルコジは何も言っていない。
元国境のない医師団団長が外務相(クシュネール)で、同省には人権担当相(ラマ・ヤデ)さえいる。フランス国内閣の大臣職が単なる広告塔でないのであれば、彼ら(元左)たちにはちゃんと仕事ぐらいしてもらいたい。しないのであれば、オルトフー(移民とアイデンティティ相)を人権担当相に挿げ替えたほうがいい。
オプスから参考:Violences au Tibet : heure par heure
おなじくオプスのヴィデオ・ページ(でもラサからの映像の多くは当局発)Les violences en vidéos
こちらは北海道新聞:チベット暴動 緊張続く中国甘粛省 外国人の検問強化 不気味な静寂
この春は、68年5月運動の40周年にあたる。1968年にはプラハの春があり、キング牧師が暗殺され、ベトナムでテト攻勢がはじまり、パリの5月(フランスでは5月革命とは普通呼ばない)があり、世界中で反ベトナム戦争をきっかけとした青年たちの運動が広がった。Rケネディの暗殺もこの年だった。
アフガン・イラク戦争、ドルおよび世界金融危機、社会不安、そしてチベット騒乱の2008年春は始まったばかりだ。
下は、フランス政府の態度を批判するル・モンド記事:フランスはチベットに関して中国批判を避ける
記:チベットにモーツァルトがいるのだったら、復活祭だってあっていいと思うのだ。