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2008-07-14

コメント

mysunshine

ご無沙汰です。相変らず、奮闘されてますね。「外国人」の凄さでしょうか、「蟹工船」のくだりは、泣けてきます。
「産業革命」以後の「労働運動」は、もうとっくに学習済みかと思っていたのですが、またまたゼロから、「労働運動」を構築せねばならぬのでしょうか?「歴史は繰り返す」が、こんな形で実現しようとは、「お釈迦様でもご存知あるめえ」で、やたら複雑です。

猫屋

どもども。
簡単化してみると、“産業革命”ののち冷戦の終了と“IT革命”があって、ネオ資本主義体制に入った。よりグローバルな資本集中が多国籍企業によって行われ、金融システム自体が架空金融(クレジットシステムの複雑化・貨幣のヴァーチャル化・リスクの拡散がかえってリスクを大きくしたり、とか)化してバブル化して、はじけた。同時に世界経済を牽引していた米国ドルの下落があり、原油高騰があり、スペキュレーションがあり、食糧危機があり、エコロジー問題があるわけです。

そして新しいプロレタリア(フリーター・闇被雇用者)、新しいルンペン・プロレタリア(失業者・不正滞在者・ホームレス・難民)という階層が発生したわけですね。資本主義経済システム自体には、たとえば経済格差を短縮するとか、教育の機会をより多くの人間に与えるとかのレギュラターの役割はない。加えれば、“国家”の機能というのが、大きく変った。“政治”の意味が新しく問われていいのだと思います。

世界ガバナンス機構が必要なのかも。

先々週だったか、クーリエ・インターナショナルが海外プレスのマルクス関連記事特集をしていました。というわけで、今、いちばん注目すべきはマルクスだろうし、同時にフーコーの“権力”なんだろう。ネオ階級闘争ってことになるのかなあ。マルチテュードがどうそれに対応するのかなあ;ここいらはよく分からんのですが。

ただひとつアタクシにわかるのは、持たざるものたちが生き延びるには、相互援助がないとやっていけないだろう、ということです。いいかえれば、ネオ資本主義は超個人主義を前提にしてモノを売るわけなんだけど、カネがない貧乏人はそのシステムから逸脱はしないものの、システムのウラテをかかざるを得ない。そういった動きが組織性を持ちうるのかどうかは、これも分からんのですが。

付け加えれば、人類の歴史では、気候の変化や人口変化に伴って、ヒトはびっくりするような距離を移動した(これは動物も同様)。だが、現在ではその“移動権”みたいなものが、ごくごく一部の人間にしか許されていないわけで、これはちょっと変だなあ、とか最近思ってます。

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