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2008-05-21

コメント

あがるま

ARTEは映画に限らず良いですね。
私が見たので気に入つたのはカトリーヌ・ブレア監督の映画でした、題名は忘れたが一つはイギリスからフランスへのフェリーでの話し、もう一つは女の子がお尻にガラス瓶を入れて遊ぶ話。
それで彼女のDVDを買つたのですが見てません(リージョン・コードや方式が違つて居た)。

猫屋

Catherine Breillatでしょう。彼女の作品は見てないけど、たしかロマンスという確信犯的“ポルノ”を作ってる。彼女自身脳溢血を患って半身不随だそうで、このごろはメディアに出てきてないようです。過激な自己破壊型作家です。

さて、リージョンの差異はPCなら鑑賞可能な場合もあります。おためしあれ。

あがるま

ブレイヤでしたね。どうやら私がTVで見たのはBreve traverseeとUne vraie jeune filleらしい。
ポルノと云ふより、俳優が実際に性行為をすると云ふので見て居ても実際にはどうなのか分らないくらい自然にストーリーに融けこんで居ます(Breve traverseeはTVフィルムだから加減したのでせうか?)。
勿論局所の大写しくらいあるでせうが、現今のフィルムが単なる偽善で馬鹿らしいとしか思へなくなります。名前を聞かなくなつたと思つたら重病ですか。
私の持つて居ないDVDも沢山ある様で、楽しみがまた増えます。

猫屋

ここんとこ、映画のことを考えています。夢と現実の、個人と共同体が、なんだろう交差する空間みたいな意味での“記憶”なんでしょう。ただ時間の流れが、経済システムあるいはテクノロジの力で大きく変わってしまって、個人の空間は狭まるばかりです。

“性”(聖もですが)の持っていた力も結局(過去の暗さを商品化し)市場商品になった。こうなったら、たぶん、個人性を極限までもっていくのもひとつの選択なのかなあ、とか、、、意味なってないですが。まあ結局は映像を言語化するなんて、まったくつまらん行為ですがね(ぷぷい)。

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