監視と処罰 / Surveiller et punir
ル・モンド社説 2008年2月22日大きな論争の的となった、格別危険な犯罪者に対する「安全のための禁固(rétention du sûreté)」法制定に関し、憲法委員会は2月21日木曜日、バランスの取れた判断を下したと自己評価するのであろう。実際のところ、委員会は法の主要部分を有効だと認めた:将来、極めて重大である犯罪(強姦・ペドフィリア・未成年者殺害)を犯し、少なくとも禁固15年の刑を言い渡された、そして高い再犯可能性を持つものは、安全センターつまり言い換えれば病院-監獄に、更新がつねに可能な期間禁固されうる。
それに反し、議会討議では最後まであらゆる手段をもちいて政府が守り通したこの法令について、憲法委員会はその即時あるいは過去に翻った実施について厳しい枠つけを課した。委員会は、安全留置は法の発令以前に判決を受けたもの、あるいは発令以前に犯された犯罪に関しては適用されないという原則を付け加えた。言い換えれば、具体的に当措置は15年間の間実施されないことになる。しかし例外がひとつある:安全の監視(sous surveillance de sûreté ;電子ブレスレット、あるいは注射による投薬治療など)と、それらの義務を順守しないものだ。
この、表面上の均衡は偽善的である。適用の条件に気を配る憲法の“判事”たちは、フランス刑法の思想的基盤を根本的に覆す法令を、それでもなお、認めているのだ。この基盤思想によれば、法はそれが規定するところの行為を元に刑を定め、そして裁判官は一人の人間が罪を犯したと判断された場合のみその人間を裁くことができる。刑法判断は事実の重要性、(その危険性をも含む)被疑者の人間性、そして存在する場合には過去における処罰を考慮に入れる。被害者保護への社会の義務は、被疑者の権利尊重を免除しない。
この刑事制裁の基礎であり - そして被告にとって望ましい贖いの価値 -が安全のための禁固によって再び疑問視される。憲法委員会の曲技が、問題になっているのは刑罰ではなく「安全措置」だと説明したとしても、屋台骨を覆い隠せるものではない:一個人の想定された「危険性」とその人間が犯すかもしれない可能な犯罪を理由として、実際に犯された違法行為とそれを行った当事者間の関係性は消滅してしまう。
凶暴な犯罪によって呼び起こされたエモーションに影響され、政治責任者および立法機関が、監視と処罰という強迫観念のみに屈服し、そしてこのように、新しい権利を確立することは重大である。憲法委員会が彼らの歩みに従う以上に、さらに残念なことである。
諸般の事情により、翻訳終わるのが遅れてしまいました。憲法委員会の決定後ニコラ・サルコジ仏共和国大統領は、破棄院(仏最高裁判所)に当新法の即時適用を求めて“訴え”たわけですが、この一件の流れや、元法相御大バダンテールの意見、法曹界におけるリアクションなどは別エントリーとして紹介したいと思います。
本日(2月27日)発売のカナール第一面記事が、この“rétention de sûreté” と “pauvre con” 事件について、極めてうまく書いてるんで、スキャンしたのを貼っておきます。
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