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2007-12-22

コメント

Kiyonobumie

アンリ・タンクの文章を読むと、ローマも「ここまで言ってくれるとは」というものだったようですね。そう言えば日本でも7年ほど前に神道界にリップ・サービスしすぎて問題になった首相がいましたね。
ライシテ・宗教問題についてのサルコジの路線は、基本的に内相時代に言っていたことと同じなんだと思いますが、今回は大統領として初めて大きな発言をしたということで重要なのでしょうか。大統領選挙のときには、ライシテの問題はほとんど争点になりませんでしたからね。
大統領選において、ライシテ問題をクローズ・アップすることは、サルコジにとってというよりも、ロワイヤルにとって難しかったようです。社会党を支持しそうな人には、ライシテを守れ、という人と、開け、という人の両方がいて、票を割ってしまう危険があったのだとか。

猫屋

キリスト教徒であれユダヤ教もイスラム教も仏教も包みこむライシテという場が理想なんでしょうが、まあ仏教はともあれ、一神教では簡単にいかないし、無宗教であればいいのかという問題でもないですね。ライシテとは宗教と政治の出会う場あるいは空間だと思っています。難しいですよね。

まあ、セゴレンヌのカトリック性は育った環境なんだろうなあ、とアタクシは納得しちゃうし、バイルーのは土地のにおいがする。ただ、今回のサルコジの演説は、ライターアンリ・ゲノまんまな気がします。引用なんてもろそうだ。アーティフィシャルなんですね。(つまり言葉を行動が否定してしまう: 教皇との会見のすぐあと、数メートルのところで携帯を取り出してSMS読んでたそうです)

なんだか、米国でのアメリカ賛歌ディスクールとおんなじプロセスだと見える。トッドが言うところの「大物にマンセー」作戦。

それと付け加えれば、この頃のカトリック流行りは、ドミナントな金信仰に対する流れだと思っています。

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