このブログでも何回かご紹介した、統計歴史学者エマニュエル・トッドがYoussef Courbage/ユセフ・クルバージュとの共著で Le rendez-vous des civilisations/文明のランデヴー、というハティントンの“文明の衝突”論にタックルする本を出しました。内容は(読んでませんが)イスラム圏全体の出生値を読み込んで、イスラム各地区がしだいに西欧的個人主義に近づきつつある、という内容のようであります。
週間雑誌マリアンヌがマリアンヌ2というサイトを開きまして、そこにサルコランドというページがある。ここで見つけたのがこのインタヴューです。
サルコジの外交がどっちを向いているか(ブッシュですね)、現在の世界外交、ムスリム社会の方向性についてなど、厳しく大胆な指摘がなされています。
仏国メジャーメディアがサルコジ様一色に塗り替えられ、大手TVのニュースなんて見事にサルコ王国広報装置と化している。どうせ、サルコ様一色のインフオメーション(洗脳装置)なんだったら、ネットで反サルコ一色メディアがあったってよい訳だ。いろいろなブログやフォーラムが発生しています。つまりその分、アタクシのように既成大手メディア離れしてるレクター・オーディエンスが増えたってことでありますな。
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ということで翻訳してみました。バックグラウンドがなんだかよくわからないイスラエルのシリア爆撃もありましたし、ベイルートでの暗殺もあった。ブッシュとサルコの“友情関係”も、トッドが語るように、シリア・レバノン・イラン・イラク・イスラエル(もしかしたら北朝鮮)をも含めたチェスボードという観点から見れば、案外スンナリ理解できるように思う。
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エマニュエル・トッド:「クシュネールは世界の医師団から世界の軍隊に鞍替えした」
Emmanuel Todd : « Kouchner est passé de Médecins du monde à Militaires sans frontières »ベルナール・クシュネールのイラクに関する強硬発言についてどう思いますか?
エマニュエル・トッド:この発言は、イラク戦争時、彼が米国によるイラク攻撃への賛同を表明した時の、個人的疑問を思い起こさせます:一貫して戦争の選択を明言する医師の心理とはどういったものなのでしょうか?世界の医師団から「国境のない軍隊」へと、いきなり変わった。 よりシリアスにいえば、ベルナール・クシュネールは、サルコジのライン、つまりワシントンのラインを不器用に表現したに過ぎません。大統領選挙前、アメリカはイラン攻撃のためにニコラ・サルコジ大統領選出を待っているのだと、私は示唆しました。
ケ・ドルセ(仏外務省)は、この発言の別解釈を提供しています:イランを脅迫するものではなく、国際社会の提言への従属拒否に対して、(イランの)現在の指導者たちに、経済的打撃を与えるためだというのです。
何だっていえるわけですが、とにかく戦争という言葉が発せられてしまった。そして外務省は、新しいニュースをプレスを通して知ることになる。
あるオブザーバーたちは、アメリカ介入以前のイラクより以上に、イランを恐れています。
イラン問題は、フランスから見ると、理解に難しい多くのイメージと事実として現れています。アフマディネジャド大統領の非常識な発言があり、黒装束の女性たちがいて、そして雰囲気としてのイスラム・フォビー(恐怖症)がある。これらすべてが、イランの真の姿を覆い隠している:それは、文化の展開が速い社会であって、大学で学ぶ女性数は男性よりも多く、人口革命が女性一人当たりの子供数を、フランスや合衆国と同様に、2人とした国なのです。イランは、ひとつの多元民主主義を生み出しつつある。確かに、この国では誰もが選挙に立候補できるわけではないが、人々は定期的に投票し、オピニオンや与党が覆されることも多いのです。フランスやドイツ、あるいは合衆国のように、イランは革命を経験し、そして安定し、そこでデモクラティックな心情が広がったのです。
これらすべてが、イスラム・シーア派のヴァリアントが解釈を、議論を、あるいは場合によっては、反抗を価値付けるところの、宗教的母胎と出会うわけです。単なる西洋のひとりのオブザーバーにとって、シーア主義とプロテスタント主義の同一視は、明瞭ではありません。
この比較を極限まで持っていくのは非常識でしょう。けれど、かつてのヨーロッパ史における進歩(訳注;プログレス)にとって、プロテスタンティズムがアクセルで、カトリシズムがブレーキであったように、シーア主義は開発への、特に出産コントロールに関して、ポジティヴな役割を果たしるのです:シーア派であるアゼルバイジャン、たしかに元共産圏ですが、その出生率は1.7であり、シーア主義に併合されたシリアのアラウィート地方では、スンニ派が大多数の地域とは反対に、人口変移を果たしています。レバノンにおいて、ヒズボラの社会基盤であるシーア派コミュニティーは、教育と社会面においては遅れをとっているものの、他のコミュニティーに追いつこうとしており、それは出生値の変遷にも現れています。
イランはまた、パキスタン・(米軍の存在を通しての)イラクとアフガニスタン・イスラエルと、隣国の多くが核兵器を有する地域にあって、政略的利益のリアリスト感覚を示す、偉大な国(ネイション)です。このコンテキストの中で、ヨーロッパ人の賢明な態度とは、イランのリベラルな民主主義への移行に伴い、同時に安全に関する懸念を理解することでしょう。今回の本の中で、あなたは、ムスリム社会のライシテ化(非宗教化)という、まったく驚くべき仮定を立てています。
カトリック、プロテスタント、正教、仏教の世界では、出生率低下はいつも、宗教実践の減退のあとにやってきています。ムスリム国家において、もしも女性ひとりあたりの子供数が二人以下になったら、私たちの知らない間に、--もしかしたら彼らの指導者も知らない間に--、ライシテ化が進んでいるのかも知れないのです。イランがそのケースです。
どうしてアメリカとサルコジは、イランとの対決戦略を選んだのでしょうか?
アメリカの外交官たちには、イランでの民主主義の台頭と国家の近代化という現実についての正確な認識があります。けれど、アメリカはオイル原産地域での自分たちのコントロールを脅かしうる強国を打ち負かしたい。これは、現在のムスリム社会の理解しがたさを利用した、純粋なシニズムです。サルコジの例については、私は、どちらかといえば無能力かあるいは単なる無知だと考える。とはいっても、これ(無能力あるいは無知)が、サルコジに、フランスの倫理と利益に反する外交を始めさせたわけなんですが。フランスのイランに対する経済制裁という可能性は、すでにイラン内での(経済)利権をもたないアメリカ人を笑わせ、私たちと同様、多くの利権を持つドイツ人を微笑ませるだけです。けれど、少なくとも現時点では、より現実的策であると思えます。
Le rendez-vous des civilisations, Emmanuel Todd et Youssef Courbage, Le Seuil,
2007年9月17日 - 17:11
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追記の状況説明です。仏外相であるクシュネールは16日に、LCI(報道TV局)のインタヴューで以下のように語ったわけであります。
"On ne peut pas trouver plus grande crise que celle-là au monde pour le moment.
- Qu'est-ce que veut dire "il faut en même temps se préparer"?
- Ca veut dire qu'il faut se préparer au pire.
- C'est quoi, se préparer au pire?
- C'est la guerre".
訳しますと、
-「現在のところ、世界においてこれ以上の危機は見当たらない。」
-「『同時に準備する必要がある』とはどういう意味なのですか?」
-「それは、最悪を想定して準備すべき、という意味だ。」
-「準備すべき最悪とは?」
-「戦争だ。」
と、なります。
クシュネールは先日の猫屋さんからのコメントにもありましたが、イラク戦争の際に「賛成派」だったわけなのですね。。 あー。
国境なき医師団の創設者の一人という側面しか知りませんでした。
しかし...これまでの仏外交官なら「戦争」の言葉を発することは避けたでしょうねぇ。(ほのめかしだけにする)
無知からくる外交政策というのは納得できるような気がしますが、その分コワイです。独断なだけに。。
投稿情報: ねむりぐま | 2007-09-23 09:43
あの発言の後、クシュネールはNYまで飛んで、ライスと会見、ネゴが大事と言ってましたが、しかしねえ。
サルコジもクシュネールの外相起用にあたって「あいつは無能だがなにしろポピュライティがあるから、、」と内輪で発言してたそうで、カナールに出てました。ほかの元社会党メンバー内閣リクルート要員も同様ですけど、とくにプロトコルとボキャに極力注意すべき外相、それから法務相キャスティングは、なんと言っても無理が大きすぎるように思いますです。
投稿情報: 猫屋 | 2007-09-24 00:27