1994年4月20日にコロンバインで事件が起こった。そして2007年4月にはヴァージニアで事件が起こった。思い出すのは以下、
映画《エレファント》の監督、ガス・ヴァン・サント/ Gus Van Sant は映画仏封切り当時、リベラシオンのインタヴューで、コロンバインで起こった射殺事件は米国に特有なものか、と聞かれ、『いや、これはアメリカに限った現 象ではない。彼らはライフルが手に入らなければ、ブルドーザーかなにか他の物を使って学校を襲うだろう。ただ、現在の消費社会のありかたと結びついたもの だとは思う。』といった内容の返答をしていたことが印象に残っている。-- 当ブログ2005年エントリから
今回の事件のバックグラウンドは分からないけれど、どこかで何かが壊れつつあるんだと思う。
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直接知る子供たちではなかったけれど、この春ふたりの少年が死んだ。友人たちから聞いた話だ。
ハイパーアクティヴと診断されてた18歳の少年は、農業高校寄宿舎から週末に帰ったパリ自宅の自分の部屋で、ベルトを2本首に巻きつけて、もう一方のはじをドアノブにくくりつけてから、どうやったんだろう足でだろうか、ドアを乱暴に閉めて首の骨を折った。
2週間前はパリのミラボー橋から、もうひとりの17歳の少年が身を投げた。ガールフレンドから別れると知らされ、酒をしこたま飲んでマウンテンバイクに乗ってセーヌまで走った。ケイタイに僕は行っちゃうよ(Je m'en vais)とsms を書き込んで、バイクとケイタイを橋の上に残した。遺体は見つかっていないらしい。
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どうなんだろう。自分から死ぬことを選ぶ少年少女はいつの時代にもいるんだと思う。でも確認したわけじゃあないが、フランスではこの20年に若年者の自殺者数が2倍になったと言われている。サルコジ(猿孤児・sarcophage)の言うように遺伝的な気質かなんかのせいだとしても、2倍になってるとしたらそれはまわりが変わったからじゃないのか?それとも発達した医学が弱い遺伝子を増長した結果とでもいうのだろうか。
まわりを変えられない時、人は自分を変えるしかないと思う。でもまわりも自分も変えられない時、まわりと自分とを傷つける、そして一緒くたに消してしまう。auto-mutilation、 そうじゃないのか。袋小路だ。。でもそんなに急ぐことはないのに、、ランボーだって結構長生きしたんだよ。
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翌日追記:現在主犯と目されてるのは韓国の青年だ。これは勝手な想像だけど本国で軍隊経験があるんじゃないか。韓国ではミリタリー・サービスが義務だったと思う。
下はル・モンドから、1989年(ベルリンの壁が落ちた年)以降の主な学校・大学で起こった連続殺人事件リストです。
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