ヌーベル・オプセルバトール現編集長 Laurent Joffrin が瀕死の日刊紙リベラシオンの、これは新しくできる 役職だそうですが le poste de président du conseil de surveillance、というのに任命されることになった。
元ル・モンド編集長プレネルの就任もささやかれていましたが、結局大株主のロチルドと意見が合わなかったんですね。ジョフランは過去にも1981-1988、1996-1999年にリベに所属している。したがって現職リベ編集部にも友人は多いわけ。しかし、すでにリベ編集局では財政困難から海外特派員を大幅に減らしてるし、さらに今回は編集局の要員減少化するようです。だいじょぶなのかなあ。
マルチメディアに力を入れた編集にする意向のようですが、リベ読者(68年世代、パリ市民左派系)の高齢化や若年層の新聞離れ、無料日刊紙の一般化、新聞広告収入激減などの障害をどうやって乗り越えるのか、問題は尽きません。
同時に、かつては仏日刊紙第一位だったル・フィガロを出版紙数で上回るようになったル・モンドが、しだいに反権力的批判姿勢を失ってきた事実もあります。リベがなくなるということは(共産紙ユマニテの不振とともに)、明確な左派新聞がなくなるということでもある。
ヌーベロプスに関して言っても、創立以来のメンバー(クロニクルを書き続けているジョンダニエル、ジャック・ジュリアール、先週亡くなった、かつてはサガンのボーイフレンドだったベルナール・フランク)の多くはレジスタンスの人々で、続く世代の編集者としてゴーシュ・キャビア(キャビアを愛する左翼)と批判されながらも、今のこの週刊誌をポピュラーなものに維持してきたジョフランの仕事の意義は大きいと思う(ジョフラン自身、ゴーシュ・キャビアという自己批判的、いやボボ批判的本を出しています)。
アタクシ自身、ジョフランとはほぼ同年代なこともあり、背負うジレンマというかパラドクスには共感する時も多多あったり。社会学者ブルデューとの論争なんて、いや、面白かったんですが。しかしリベと共倒れは困るし、同時にオプスのほうが誰がしきるんだろうか。サルコ叩きでリベ巻き返し、オプス(週間紙)リベ(日刊)の左翼タンデムは可能なりや否や。A Suivre/コウゴキタイ
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関係ないですが、この夏パリでフィガロ新聞読んだ内田教授が“セゴレンヌよりサルコジが上じゃないか”みたいなことブログで書いてらっしゃいましたが、これはフィガロ読めばそういうことになる、という原因と結果、コーズ&イフェクトの明確な範例であります。だいたい反サルコ人はストラテジックなモティベイション以外ではフィガロ読まない。(週末の、マダムフィガロ+フィガロマガジン+TVガイド+百科事典とかを無料でゲット、というメリットは横に置いとく)
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翌日追記:報道によると、実際にジョフランがリベラシオン紙のヘッド職につくかどうかは、次回リベ役員会議結果できまる。というのは、リベラシオンという会社は“自己管理”つまり社社員が会社株の18.4%保持してて発言力がある。再建構想には280人の社員のうち100名解雇というのが入っているから、社員としては受け入れがたいんだろうが、ここで何もしなければこれまでの資本投下も無駄、リベ倒産ということになる。
ということでリベの行方は今月20日に決まるわけだ。関連ル・モンド記事貼っておきます。
こんばんは。
雑誌だってPolitis、大変みたいですし、これからどこが
どうなってもおかしくないですね。
ル・モンドも個別にはいい記事があることは確かですが、
2面と月・木曜のおまけはけっこう保守化の度合いが
甚だしいと印象があります。
話は変わりますが、ひと月くらい前ラモネが来日したそうで、
ネットでざっと感想等を見てみると概ね好意的なものが多く、
それはそれで何か変な気がしました。ディプロを愛読して
いるのでいいことだとは思いますが、いつもル・モンドにさえ
カストロと仲が良すぎるだのなんだのと言われているのを読んで
いるもので・・・。
ではお邪魔しました(下の写真展の情報、ありがとうございます)。
投稿情報: pol | 2006-11-14 00:07
なんだか、この頃pol氏宛てになってきた観もあるリベネタなんですが(冗談です、本気で心配してるリベの運命)。対外国ではある意味信頼できるル・モンドに対して、本気で読める日刊紙があまりない。リベがオプスの日刊的存在になれば定期購読したいですよ。ル・モンド宅配は翌日になるのでやったことないし、リベはまず買わないんですが。
ラモネはね、911あたりの問題提出ではよかったんだが、結局左翼の勢力闘争に行ってしまった。残念です。
話は変わりますが、今読んでるウンベルト・エコーが、“ソヴィエトという帝国の消滅は世界の大きな変革をもたらした”てなことを書いているんです。その流れとして、世界各地でのナショナリズム台頭があるし、左翼の分裂もある。リベの危機もこのコンテキストで読めると思う。これは後日また書いてみますが。。
ではまた後日に。
投稿情報: 猫屋 | 2006-11-14 00:58
歴史の節目ということを考えるなら、ハンガリー事件とスエズ危機のことも念頭に置いた方がいいでしょう。今年50周年でした。
脱線しますが、この夏、ギュンター・グラス本人がSSだった、と告白した際の日本の報道の仕方はちょっとどうなんだろうと思いました。激しく非難の声を上げていたのは長年グラスと対立してきた勢力でしたから(CDU等)、もちろんそういう人たちがここぞとばかりに非難するのは当たり前だと思うのです。SSだった、というのはもちろん軽い事実だとは思いませんが、彼はかつて愛国少年だった事実を隠してきたわけじゃないし、むしろそこから考えががらりと変わってしまったということが彼の文学的出発点だったわけで。
それを誰が言っているのか、書いているのかということを常に意識した方がいいような気がします。では失礼しました。
投稿情報: pol | 2006-11-14 11:35
エコーの書いてるパレオ・ゲール(古典的戦争、つまり複数国間戦争)とネオ・ゲール(対テロ戦を含む)という考え方と冷戦システム崩壊を帝国の消滅と捉えてるのはなかなか面白いんで、この本が終わったら紹介してみようと思ってるんですが、なんとも、5冊ぐらい読みかけ本があって身動き取れなくなってる状態です。
ギュンター・グラスの話は、だいたい彼の本も一冊しか読んでないし、自分にはなんだかんだ言う資格もないよなあ、と特に意見はないんですが、今読んでるリテルの本にしても、ああ世代が変わったんだな、こういう形のフィクションが書けるようになるだけの時間が経ったんだなあ、と感慨深いものがあります。日本ではどうなのでしょうね。いつも帰省するのが夏なので、戦争を語る経験者の言葉などTVでよく目にしますが、同時にそれを見ているのも年長者に限られている印象があります。一方でネット・ウヨ現象なんてのもあるし、美しい日本だの教育基本法問題もある。“共通な記憶”はカラッポのままじゃないのか、って気がするんですけれども。
長くなっちゃいますが、最近読んだ村上春樹の“若い読者のための短編小説案内”というエッセイの中で、村上は“第三の新人”作家たちの作品を読み込んでいるのですが、戦争経験を語れないからこそ、彼らは日々のなかの非日常を描いた(これは猫屋の読みですが)んだ、と言う風に書いている。同時に小説クロニクルでノモンハン事件を書いた村上はさまざまな形で、次の世代に戦争と言うものの記憶を伝えようとしているんだな、と感じました。エントリーの内容とはだいぶ、外れましたが、ここで、なんで日本ではもっと直接的な形で過去を語ろうとしないのだろうか、、と思い込むわけです。ではまた。
投稿情報: 猫屋 | 2006-11-14 19:17
すごい詳しいですね~!! あ~、新聞を読まない私。。(恥)
せめてこの記事を読んでみようっと。(え?毎日読まなきゃダメ?汗)
前からギモンに思っていたことなのですが、フランス人は20時のニュース、TF1とF2、どちらを見る人が一般的なのでしょうか?? 右派がTF1で左派がF2でしょうか?
投稿情報: りよんくま | 2006-11-14 23:05
りよんくま氏、
アタクシも新聞買ってちゃんと読むのは一週間にいっぺんかにへん。あとはネットで流し読みです。オプスは定期購読(TVガイドと映画上映時間がわかるパリオプスついてるし)だけ。ル・モンドは木曜が書籍、水曜旅行記事とかって決まってる特集があるし、金曜のは高いけどニューヨークタイムスが何ページかついてるので英語のブラッシュアップにいいです。
テレビ;TF1社長はブイグでサルコの結婚時立会人になった人物と言う関係でモロサルコ。FR2とFR3は国営なんだけど社長はシラクに近い。FR2のニュースと報道はどうも国家宣伝のケが強いと感じますが、まあTF1ほどひどくないか、、FR3の方がまだましかな、でも。個人的にはアルテのニュース見てます(毎日じゃないけど)。むかしはユーロニュース見てたけど今はチャッチできないんですよね。以上、ね式仏メディアガイド。いいかげんだけど。
投稿情報: 猫屋 | 2006-11-15 01:31
そうですか、猫屋さんもアルテのニュースですか。他のところについてはだいたい似たような印象が。
村上春樹は十代に二冊読んだっきりで、村上ファンです、って人と話をすると恐縮するしかありません…。第三の新人の中では安岡・吉行は好きでけっこう読みました。猫屋さんの予想と噛み合うのかどうか不安だけど、彼らは戦後派にけっこう批判的なわけですが、その選択って意識的なもので、書かないとしても彼らは歴史や社会状況を強く意識して書いているという印象があります。対談などではどうでもいい話をしている、ということも含めて。問題はその後の世代に、多くの場合、その姿勢が自然なものとしてなんの検討もなく踏襲されてしまったことでしょう。例外的な作家はいますけど。
フランスに住んでいると嫌でも歴史的記念日を意識させられる機会が多く(メディアが大々的に取り上げるからですが)、何を取り上げるかということで各陣営の戦いがあるのでそれを真に受けるかどうかは注意が必要だとしても、それでもとにかく今の状況と歴史(他の地域のものも含め)のつながりを意識させられる機会が多い。ある程度こういう環境って必要では無いかと思います。すいません、また長々お邪魔しました。ではでは。
投稿情報: pol | 2006-11-15 11:49
今度は短く(といっても長くしてるのは猫屋でございますので恐縮しないでいただきたい、)。
“政治”なるものをすべてポリティカリ・アンコレクトであるからといって排除してると、政治的・歴史的ブラックポールが出来あがって、そこではジジェクがいうところのナショナリズム、あるいはエコーが言うように“教会を信じなくなってから人々は教会以外のナンデモ信じるようになった”的になった、と考えます。すべての言説・思考・情報がすでに政治的なものであるという事実を忘れてはいけない。同時に批判ということへの信頼と賭け、みたいなのが日本にはいつの間にかなくなってるよね。あるいは最初からなかったのか(いや、あったんだが)。
投稿情報: 猫屋 | 2006-11-15 12:15
へぇ~~、これまた、全然知らなかった、TV情報ありがとうございました! F2,F3の社長はdes racines et des ailesの元司会者ということしか知らないのですが(この番組、大好きで...)いろいろあるんですねぇ。。 面白いです。
アルテ・ニュースも見てみます。
と、ル・モンド..... え、英語のブラッシュアップ。。(あ~、記憶のかなたにいる英語。。汗)
水曜は旅行記事ですか~、楽しそうです。 今度買ってみよう。
前に文化遺産の教授が金曜は記事があるから読むようにと言ったことを今思い出しました。。(大汗)
ともあれ、いろいろ情報ありがとうございます。ペコ。
投稿情報: りよんくま | 2006-11-15 23:06