今日のル・モンドの別紙 Le monde des livres 第一面イラストがこの本 Dminique Aury : ドミニック・オーリ(O嬢でのペンネーム;ポーリンヌ・レアージュ)に関するアンジー・ダヴィッド/Anjie David の新刊書評でした。今では多くの女性ポルノ作家がいるけれど、1954年初版の“O嬢の物語”が世界的ベストセラーになった頃は作者が女性だとは誰も信じていなかった。なおアンジー・ダヴィッドも美貌の28歳ブロンド女性です。ひとまず記事を訳してみます。
ドミニック・オーリ、秘密の生
ルモンド文学別紙 4月13日
ガリマール社で、晩年のドミニック・オーリ(1907-1998)に何回かすれ違ったことのある人間ならば、彼女が評判どうりの人物ではないことがすぐ分かったはずだ。一方では、愛人ジャン・ポーランの後押しで戦後ガリマール修道院に入った地味な服装をした小柄な女性、文学の尼さん - 英文学者、優秀な翻訳家、優秀なレクターである 。もう一方で、ポーリーヌ・レアージュという名で20世紀のエロティック文学の傑作 O嬢の物語/Histoire d'O (1954) を書いた著者。彼女はそれ以上の存在だった。
彼女にあってはそれらすべてが、洗練と多義性(ambiguite)と、隠匿・秘密・感化・そして支配者であり同時に影の助言者(une éminence grise; 語源はリシュリューにとっての神父ジョゼフ)であろうとする嗜好を物語っている。NRF編集員、20年間ガリマール編集委員会では唯一の女性メンバーであり、1963年にはフェミナ賞の選考委員になっている。彼女がひとつの確信を持っていたとしたらそれは以下のものだ:個人としての権力の鍵とは秘密である。
アンジー・ダヴィッドは全20世紀を通じるこの地下ルートに光を当てる。この作品は、どちらかと言うと感情移入的であり(ダヴィッドはドミニック・オーリには出会っていない:彼女は28歳だ)、これまで未公開の書簡を依拠とし、多くの資料に裏付けられたものになっている。そうして、著者は一人の自由な女性を浮かび上がらせる。“かなり早い年頃から男性と女性を愛して極めて幸福な”、複数の人間を同時に愛することが出来ると確信した女性の像だ。
けれど、意識的に索引も写真集も含まぬこの分厚いアンジー・ダヴィッドの書籍は、単にアンヌ・デクロ(Anne Desclos;本名)のポートレートであるばかりではなく、やがてドミニック・オーリ(Dominique Aury) - この名は男女両性に適応 - となり、そしてポーリーヌ・レアージュ(Pauline Réage;彼女は1994年にやっとそれが自分であると認めている)のものでもある。
アンジー・ダヴィッドは判決を下さない。彼女は、理解回避のため、しばしば人が隠そうとしてきたものを提出する。特に、戦後になってから左翼へと移行した、2大戦の間の時代の知識人とアーティストたちの極端で暴力的 “ナショナル右翼” への所属についてである。ドミニック・オリーとモーリス・ブランショのように一部は大戦中に極右を去りレジスタンスに参加している。
その先入観からくる冗長さにもかかわらず、アンジー・ダヴィッドのクロノロジカルと言うよりはテマティックな主題は、首尾読者を夢中にさせる。彼女はまずポーリーヌ・レアージュとO嬢の物語に集中する。そこから一挙に、時代の大人物ジョン・プーランを登場させる。すでにサドについての著作のある彼がO嬢の序文を書くことで、このエロティック小説に最初からインテレクチャルな様相を付加することになる。(実際はこの小説の受取人であった彼は、著者ではないかと疑われもしている。) ショックを受けた人間には限りがない。1950年代の貞淑ぶりから1970年代のフェミニズムまで - 少なくとも自称フェミニズムの背後にピューリタニズムを隠す人々まで。アンジー・ダヴィッドはこう記載している。“しかしながら、ドミニック・オーリは初めて女性の真実をあきらかにした。エロティズムとは女性蔑視(misogyne)ジャンルである。。。けれどひとりの女性がエロティズムに関して発言しようと決意する時、ジャンルはその元来の対象から逸脱する。”
ポーリーヌ・レアージュは、1975年のレジーヌ・ドフォルジュ(Régine Deforges) との対談では自己の身元を明かすことなく語っている。けれど1975年にニュー・ヨーカー誌(The New Yorker) が独占発表したドミニック・オーリの告白はまったくの道化の秘密でしかなかった。その上この対談ではいかなる新事実も明かされず、O嬢の物語の自伝的性格についての疑問は手付かずのまま残った。
荒々しい秘密(非合法者)
ソルボンヌでの学生生活から、彼女は若い右翼グループと交友を持つようになる。1929年にはグループの一員、レイモン・アルジラ(Raymond d'Argila)と結婚する。彼女はすぐ離婚する - 同時ではこれはかなり勇気のいる行為であった - これは1933年に始まるジャック・タラグラン(Jacques Talagrand)、ペンネームはティエリ・モルニエ(Thierry Maulnier)、への大きな愛のためである。燃え上がる文通が、この荒々しい関係の証言となっている。この関係がモルニエがアネットと呼ぶこの愛人を極右出版物での執筆に向かわせる。特にモルニエの創刊した、レオン・ブリュムに対する激しい攻撃を続ける週間誌ランシュルジェ(L'Insurgé)において。ドミニック・オーリとの間に先々も『兄妹の共犯』関係を持ち続けるモーリス・ブランショは、この雑誌で国際政治を担当する。ドミニック・オーリは - この名が始めて登場するわけだが - アートに関するクロニックを発表する。『彼女は非政治だが、その記事は愛人のポジションとの類似を見せている。』
戦争が起こり、すべては激変する。パトリオットであるドミニック・オーリは自国が占領されることに耐えられず、対独協力者を嫌悪する。彼女はジョン・プーランに出会う。彼は1943年からオーリの本を出版しl実際に文壇に招きいれもするが、彼が鍵となる人物である。開放後、彼が創刊者の一人であった フランス文学(Les Lettres françaises)、および知識人浄化運動とのいざこざでオーリはプーランを支持している。1947年から1968年の彼の死まで、既婚者であるプーランは彼女の最愛の男(l'homme de sa vie)であり続ける 。けれど情熱的誘惑者、荒々しい非合法者であるドミニック・オーリの人物像はカップルの思想を通じては理解し得ない。むしろトリオ、あるいはクアルテットだろう。アンジー・ダヴィッドはそのことを、エディット・トマ(Edith Thomas)とジャニンヌ・アエプリ(Janine Aeply)という2人の女性のポートレートを通して明らかにする。ドミニック・オーリは彼女達に激しく恋していた。彼女らの文通がそれを証明している。けれど、エディット・トマとの愛情はジョン・プーランの登場に耐え切れない。なぜなら彼女はトリオを受け入れることができないからだ - けれど2人の女性は関係を継続する。しかし、画家フォトリエ(Fautrier)の妻であるジャニンヌ・アエプリとは、一時的にではあるが、クアルテットを形作っている。
嫉妬、別離、感化、幻滅...ギリギリに秘部をかすめるこれら560ぺージには、いつも、常に、ジョン・プーランの巨大な影が落ちている。この、複数のアイデンティティを持つ女性の曲がりくねった道程を読者は興味深く追跡する。けれども、読者にとっての幸福は、アンジー・ダヴィッドがこのファナティックな秘密からミステリアスな部分を取り上げなかったことである。
ジョジアンヌ・サヴィノー/Josyane Savigneau
"Votre douceur me confond"
"Edith, mon chéri, pardonnez-moi. Je me débats depuis si longtemps. Pardonnez-moi, je n'en pouvais plus. Je voudrais être encore près de vous, vous dire que je vous aime, vous embrasser. Je sais que je vous parais absurde. Et aussi que je suis égoïste. Mais je suis devant vous tremblante, parce que j'ai peur de vous effrayer et de vous faire mal. Et que je ne sais plus du tout me maîtriser. Votre douceur me confond. Vous ne savez pas ce que c'est que d'être brûlée, et d'avoir sous les lèvres vos mains si douces, ou vos doux cheveux noirs, ou le duvet qui est sur vos joues, juste au-dessus de l'oreille. Il y a des mois que je m'interdis d'y penser. Je n'ai jamais aimé une femme comme je vous aime, Edith. (...) Je n'ai pas beaucoup de scrupules, d'ordinaire. Il ne m'est pas jusqu'ici arrivé de penser d'une fille : laisse-la, tu n'as pas le droit. Si je l'ai pensé de vous, ce n'est pas par devoir mais par tendresse."
(Page 401, extrait de la lettre de Dominique Aury à Edith Thomas, dimanche 27 octobre 1946.)
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即訳者追記:文章最後は、本書に引用されているオーリからエディット・トマに書かれた手紙(1946年10月27日)からの抜粋です。無粋はヤなのであえて訳さず。
なお、結婚していた短い期間を除き、生涯を両親宅で過ごしたオーリは深夜O嬢をプーランにあてた手紙として書き、翌日(だったと思うが)自動車の中でプーランに読んで聞かせたそうだ。と、あれはラヴ・レターだったわけだ。しかしあんなラヴ・レターをもらう男プーランも凄いというか。あるいはカトリックってタフだな、というか。なんとも。
この本、まだ実物は見てませんが、興味あるけど560ページというのはやはりなんとも、読みきれそうにない。
中ごろの写真は、これを聞きながら作業したPLACEBOの新譜MEDSであります。またいちばん下は著者アンジー・ダヴィッド。本職は雑誌編集で時々女優の人。アンジーと言う名は両親がストーンズ・ファンだからだそうだ。
なおリベ関連記事はここ。
出ましたね、ドミニクオバサン。
投稿情報: 天神茄子 | 2006-04-15 08:28
ジャン・ジュネ、没後20年みたいですね。ルモンドに記事ありました。プロフィール写真変更?
投稿情報: chaosmos | 2006-04-15 22:38
このトピックスは拾わないと仏文オタの名がすたります。>O嬢
あの本は結局宗教と権力の話ですね、ってのが読後感想だったですよ。宗教とか政治とかは極めてエロティックなもんなのだと、、そういうことです。ま、少なくともカトリック圏では、というゆるい条件がつきますけれども。
はっきり言いにくいけど言っちゃうと、仏文オタのくせにジュネ読んでないのよ何故か。
サルトルのジュネ論ぐらい読むべきでした。存在と無はヒイヒイいいながら読んだけど、ジュネは読まなかったのね。たぶんホモセクシャリティとかから逃げてたんだと思う。精神分析もスルーしたしね。若かったんすよ。
投稿情報: 猫屋 | 2006-04-15 23:06
存在と無はヒイヒイいいながら読んだ>すごい、読んだんですね、それでも。
投稿情報: 天神茄子 | 2006-04-16 08:38
読みましたね。18才ぐらいのときか。自由への道と平行して読んだ。哲学予備知識も何にもなしで、です。いい経験でした。頭が一番鋭く動く時期ですしね。
投稿情報: 猫屋 | 2006-04-16 13:41
当方なんぞ「ヒイ」とも言わずに閉じました。それっきり開いたことなし。
投稿情報: 天神茄子 | 2006-04-16 16:35