18日付けル・モンド紙版ディベイト・ぺージで見つけました。英文から翻訳された仏文を再度訳すわけですから、あくまでも仮訳ではありますが。(ところで、ジジェクは何語で文章を書いているのでしょうかね。)
ミロセヴィッチとナショナリストの歓喜、スラヴォイ・ジジェク
偉大なセルビア人論説記者アレクサンダー・ティジャニック(Aleksandar Tijanic)が、そもそも彼は短い間にせよスロボダン・ミロセヴィッチの情報・大衆メディア相を務めたわけだが、『ミロセヴィッチとセルビア人の奇妙な共生(symbiose)』 がどのようようなものだったか描いている:『ミロセヴィッチはセルビアに似つかわしい。彼がこの国を統治した際、セルビア人は労働時間に関する概念をすべて破棄した:誰も何もしなくなった。彼はブラック・マーケットと裏取引の開発を許した。公共テレビ放送局では、ブレアやクリントンや他のどんな“世界的支持者”をも自由に罵ることができた。ミロセヴィッチは私達に武器携帯も許可した。そしてすべての問題を武器によって解決する許可を私達に与えた。彼はまた盗んだ車の運転を許した。ミロセヴィッチはセルビア人の日常生活を終わりのない休暇に変え、私達が修学旅行中の高校生のように感じることを可能にしたのだが、これが示すのは、人がなしうることのすべてが、完全にすべてがどのような刑罰の対象にもならなかったということだ。』 (Mladina, Ljubljana, 1999年8月9日)
以上が否定するのは、非宗教でグローバル化した現在社会不安に対して、一民族の熱狂的同一性はかつての道徳価値や信仰への回帰と同義であるとするクリシェ(ステレオタイプ)だ。なぜならナショナリズム原理主義が抱えているのは、かろうじて隠された、ある暗黙の命令であるからだ:さあ、やるっきゃない!
わたしたちのヘドニストであり寛容な『ポストモダン』社会は、今日わたしたちのためになると見なされた基準と規制にあふれており(食品制限・反タバコ運動・対セクシャルハラスメント法);こういったコンテクスト内においては、一民族への熱狂的同一化というアイデアは、わたしたちの抑制化から遠い自由への叫びのごとくに作用する:『やるっきゃない!』 寛容で開かれた社会の平和的共存のためのクソ真面目な規範を君は犯すことが出来るのだ、なんでも好きなものを喰ったり飲んだりしてよいのだ、ポリティカリー・コレクトによって禁止された家長制度的慣習を採用することさえ出来るのだ。君は憎み、闘い、殺しそして強姦することさえ出来るのだ。。。
現在のナショナリズムがもたらす、この変態的偽-自由化の認識拒否は、1980年代ユーゴスラビア危機の特異性というコンテクスト内で、スロボダン・ミロセヴィッチ頭角を許した真の力学理解を、わたしたちがあきらめることでもある。
その動きの破壊的パワーは、当初はまったく別個の、そして対立さえする2要因のフュージョンに由来する:一方の、権力維持のために闘う共産主義特権階級(原文nomenklatura)と、他方の、保守的作家や詩人の間で猛威を振るった反共産ナショナリズムである。特権階級自身がナショナリズムを生き残りのための策略となした1986年に、必然的に破局(カタストロフ)が起きた。確かに、スロボダン・ミロセヴィッチはナショナリズムの熱狂を『操作』したが、この操作に具体的手段を与えたのはそれら詩人たちであった。これら - 腐敗した政治家ではなく善意の詩人たちが – すべてを引き起こしたのだ。1970年代と1980年代初めに、彼らはセルビアばかりではなく、旧ユーゴスラビア共和国全土に攻撃的ナショナリズムの種をまいた。軍事-産業複合体のかわりに、われわれ、他の旧ユーゴスラビア人は、ボスニアのセルビア人の詩人戦士ラドバン・カラジッチ(Radovan Karadzic、前セルビア共和国大統領)が見事に体現するような軍事-詩的複合体を有していた。
精神現象学のなかで、ヘーゲルは『精神の織りなす沈黙下の作用』について言及している:秩序だった思想の地表下(アンダーグラウンド)における変貌作用は、要するに大多数のまなざしにとっては不可視でありながら、一瞬にして暴発し、誰をも驚かせることになる。これが1970・1980年代ユーゴスラビアでくわだてられた(tramer=織り出された)わけであり、1980年代終わりに暴発した際には、すべては手遅れであった:すでに腐敗度の進んでいた旧式思想コンセンサスは自然崩壊した。1970・1980年代のユーゴスラビアはアニメまんがの猫のように、基盤の周辺上をグルグル回っていた:眼を下に向けてから最後にやっと倒れて、それから自分が何もない場所の上をグルグル回っていたことに気づくのだ。スロボダン・ミロセヴィッチは、断崖を実感するために、われわれに足元を見ることを強制した最初の人物である。
したがって、おそらく何にもまして最も有害である偽-左翼的幻想、つまり1980年代終わりユーゴスラビアのナショナリストにあらざるコミュニストたちは、ティトーの遺産を守る目的で民主社会主義プラットフォームを共に構築しスロボダン・ミロセヴィッチに対抗するという唯一のチャンスを逃してしまったのだ、という幻想を打ち消すことが重要となる。1989年に、たしかにその試みはあった。ティトー元帥追悼コミュニスト同盟が共産党政治局(Politburo)集会を行ったとき、スロボダン・ミロセヴィッチのナショナリズム襲来に対する偉大なリーダーの遺産を守る共同防衛前線形成の試みがあった。
この結果は、ぞっとするほど哀しくばかげたものである。“民主”コミュニスト、クロアチア人イヴィカ・ラチャン(Ivica Racan)が開催の言葉を述べ、セルビア人ミラン・クンカン(Milan Kuncan)他が、ある明白さを、一種の自明の理(vérité de La Palice)を、たとえばスロボダン・ミロセヴィッチに鼓舞されたセルビア・ナショナリズムはティトーの築いた土台自体を覆すものだと示した。問題はこの策略が無残に失敗したことだ。『ティトーの民主的擁護者』たちは、維持し得ない立場を採用することで、自分達を袋小路に追い込んだ:ナショナリズムの脅威に反対して民主主義の可能性を擁護するため、彼らはユーゴスラビア民衆運動自身が反対するところ のイデオロギーの名において表明せざるを得なかったのだ。
そうすることで彼らは、スロボダン・ミロセヴィッチのメッセージが広く伝わることを助けた:『あなた方は、すでに力を失ったイデオロギーの化け物に今でも取り付かれているのだ。私が、私こそがこの現実すべて引き受ける最初の政治家である:ティトーは死んだのだ!』 このようにして、いわゆるティトーの遺産への誠実さが、ユーゴユラビア・コミュニスト同盟メンバーの多くを麻痺させた。
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英語からジュリー・マルコット(Julie Marcot)が翻訳
哲学者、スラヴォイ・ジジェクは、La marionnette et le nain : le christianisme perversion et subversion (Seuil, 238 pages, 22 €) を出版した。
SLAVOJ ZIZEK ル・モンド2006年3月18日
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仮訳出者のひとこと:スロヴェニア人、すなわち旧ユーゴスラビア人であるジジェクの逆説がどこに由来するのか、わかるような文章です。長い文章ではあの“ひねり技”に疲れることもあるわけですが、かえってこのぐらいの長さのジジェクはパワーを失わない。いや、ユーゴスラビアについて書いているからパワーがあるというのが本当かもしれません。
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結局英文はネットで見つからず仏語から訳してみましたが、こんなのも見つけたわけだ、
Welcome to the Desert of the Real
Slavoj Zizek.
10/7/01 — Reflections on WTC — third version
2001年に書かれた文章なんで過去に読んでいるはず。でもバディウで話が始まっている、ということでこれもクリップ。元文を探してここに行き着く→lacan.com (バディウのオーディオも聞けますです)
翻訳おつかれさま。
で早速ですが、Il importe donc de dissiper une illusion pseudo-gauchiste ... のところ、
「したがって、おそらく何にもまして最も有害である偽-左翼的な幻想、すなわち、1980年代終わりのユーゴスラヴィアのナショナリスト派コミュニストたちは、ティトーの遺産を守るための民主社会主義プラットフォームの構築によってロボデン・ミロセヴィッチに共同して対抗するという唯一のチャンスがあったのにそれを逃してしまったという幻想を打ち消す重要性がある。」
のような感じでないと意味が通りにくいと思います。フランス語版しか確認してませんが。
(Ivica)Racan はもと綴りの Račan を尊重すればラチャン。源綴りの尊重でいえば、ミロセヴィッチだってミロシェヴィッチなのですが、まあこれは慣用上許容範囲でしょう。ただジジェクであってジゼクでないわけですが。
この記事面白かったです。1990年にミロシェヴィッチが共産党の名称を社会党に変え、東欧革命の波に乗る改革派と見えていたのに、なぜ、その後に急に好戦的なナショナリシストとして現れたのかという矛盾が、実は、矛盾でなくそこに一つのロジックがあったのだというのが分かりました。現代のナショナリズムを考える上でかなり示唆的。
投稿情報: fenestrae | 2006-03-21 01:39
いわずもがなの誤記訂正: ロボデン→スロボダン
投稿情報: fenestrae | 2006-03-21 01:50
ほーい、直します。
投稿情報: 猫屋 | 2006-03-21 02:32
ちょっと誤解を招きそうなので訂正です。
>その後に急に好戦的なナショナリシスト
これはすでに90年以前の彼のコソヴォの扱いを見れば、急にというわけではない。ただし戦争をしかけるほどのという意味では外からはあまり見えなかったと思う。
(余談ですが、セルビアで89年に憲法改正があって、コソヴォが自治権を失ったときちょうどセルビアにいてめでたそうな儀式をいろいろやっているのを目撃しました。そのあとクロアチアに移動してその話をしたら、人の反応はフンという感じで、そのとき皮相的ながら当時ユーゴスラビアの各共和国のライヴァル意識というのにはっきり気づかされたのを覚えています。)
投稿情報: fenestrae | 2006-03-21 03:30
モザイク国家を成立せしめていた二つの条件。
米ソ冷戦体制とチトー。この二つともが失われて、それが(ユーゴスラビアが)維持出来ると考えるほうが愚かだったのでしょう。
イラクもそうだし、アメリカも…そうなのかもしれませんね。
投稿情報: 宮本浩樹 | 2006-03-22 14:36
宮本さん、どもこんにちは。
冷戦終了というのは世界史上でも他に類を見ない一大事だっと思うんで、この大枠をうまく捉えないとミロセヴィッチとナショナリズムの関連を別件まで演繹するのは難しいと思います。
ジジェクの文から直接感じたのは、大枠のタガが壊れたとき、ナショナリズムという名の下に実は“権力の不在”が居座ってしまうという指摘です。つまり『ナショナリズム』なるイズムが実際体現するのは、『なんとかVSなんとか』で括られた一方の総体であって、実際のイデーをあらわしてはいない。VSの向こうに(想定される)集団を排除することでしか自己集団維持が出来ないというメカニズムだと思います。
ジジェクがここで言うように、このミロセヴィッチ型メカニズムは他の場所でも機能してしまう可能性はあるんでして、その意味ではミロセヴィッチが国際刑事裁判の途中で死亡したことはなんとも残念であると思う今日この頃、なのですよ。
投稿情報: 猫屋 | 2006-03-22 15:52
>ミロセヴィッチとナショナリズムの関連を別件まで演繹する
つもりはありませんでした。
>『ナショナリズム』なるイズム
のご本尊たる「国家」というものが、それを支える大きな枠組みと、その統合を象徴する(カリスマ)指導者という根拠を失えばいかに脆いものか…という詠嘆、と思って下さい。
もちろん人工国家イラクを支えていたのは冷戦体制そのものではなく、革命イランにたいする防波堤としてのアメリカの傭兵国家としてのそれであり……、アメリカを支えているのは日本なのかも知れず、その日本も日米軍事同盟と天皇制が「失われ」れば、果して存続可能なのだろうか?
などと、妄想モードの今日この頃です。
投稿情報: 宮本浩樹 | 2006-03-23 15:18
>つもりはありませんでした。
いや、失礼つかまつりました。御意。自分に言い聞かせてみたというか、つまりここでのジジェクの言はあくまでミロセヴィッチ現象に関してであり、そこからの(ジジェク自身、あるいは他者による)演繹はまた別個の磁場上にうつるだろう、、といようなことでありますが。
>ご本尊たる「国家」というものが、、、
まさにそうなんだよね。
たとえばスイスにしろ、ベルギーにしろ、フランスもそうですが『民族自決』なる幻想とはまったく別のロジックで機能しているわけです、現在では。ただ日本の場合、一言語・島国で国境線つーのがなかったり、多国籍を受け入れてなかったりする『父権性国家』で、歴史の、なんと言うべきか、『自己一貫性』を信じちゃってるフリをしつつ歴史を変えていく流れがあると思うんです。日本でいろいろな議論があるのはよいことだけれども、ここでジジェクが看破するように、ロジックではなくて『ナショナリズム』というロジックの反語ですべてを絡めとろうとするテンプテーションには抗っていかなければいけないだろう。詩人的感性はあぶないんだよ、ということ。
実際には歴史学者なり、政治学者なりの、第二次世界大戦後の『国家・民族・国境』の定義をもっと今日的(冷戦後体制的)に考えていく仕事があっていいと思います。(あるのかもしれませんが)。。などとこちらも妄想の春の宵(クソ寒いですが)。
投稿情報: 猫屋 | 2006-03-23 18:11