11月のはじめから5週間ほど、プレスを集中して読み込み訳出もして、結果狭い我が家は紙だらけになり、脳天は久しぶりにスッカーンとテンションが上がって、も、あかんかなとか思ったころに世間がいちおう落ち着いた。世間もル・モンドも私と同様疲れてしまったのだろう。
個人的には、また見えてきた事象もあるのである。世間さまが今何を感じているかはこの後また大事があってから出てくるのだろう。一歩前進二歩後退なのか、あるいは三歩前進、二歩後退であるのか。散歩全身、仁保交代。あしたはたまった新聞雑誌をリサイクル・ゴミ箱に捨てよう。
もう一回、『資本主義は、今、その発展の中ほどにあるに過ぎないのではないか。』 というスーザン・ソンタグがテレビで言っていた言葉を噛み締めている。
日本の財政赤字は1000兆円だそうだ。JMM最新号で金融専門家達が原因についていろいろ語っている。アメリカの財政赤字は4126億ドルらしい。フランスの数字はここにはないが累計負債が2ビリオンユーロを越える言う記事があった。、、、これらの数字が“本当に”指し示すものを知りたいわけでも、この三国の経済状態を比較したいわけでもない。だいたい私にはそんな能力はない。この各国の借金地獄がわれわれ生活人の日々の不幸の源泉だと言いいたいわけでも、もちろんない。
言いたいのは、世界でもっとも豊かなはずの国々がとてつもない財政赤字を背負い込んでおり、同時にこれらの国内部で貧困層が増え続けている、という事実だ。中国・ブラジルやインドの経済活動の急激な発展があるが、その新経済ゾーンでも貧困層がなくなる様子はないようだ。おまけに急激な開発は急激な自然破壊を伴う。60-70年にかけて日本の自然がどういう風に切り刻まれたかを、思い出す。
そして、成長率15パーセントというどう考えても非人間的数字をノルマにせざるを得ない株式会社経営が、“ヒューマン・リソース”を初めとするコスト削減でしか競争を続けていけない事実だ。結果としてのチキン・レース的終わりなき失業率増大と、高所得者と低所得者の収入格差増大が世界中で起こっている事実である。
短期的に見れば、米国では対テロ戦という名の侵略戦争での出費、そして原油高という複合的経済理由が挙げられるのだろうし、日本ではバブル崩壊後の経済政策の不味さが挙げられると思う。経済先進国一般で言えば、人口の高年齢化と国家支出増大、伸びない経済成長率があるのだろう。
だが、そういった“経済先進国”での経済的行き詰まりの個々の“原因”とは別のところで、もっと長いスパンで起こっている現象について考えている。端的にいえば、われらが生きる新資本主義時代の行く末、についてである。“自由”を掲げる“資本主義”が人間をどんどん不自由な状態に追い込んでいる。競争原理が、個人間のヒエラルキーを強化させ、自己よりも下にいる(と想定した)他者の排除に誰もが躍起になる。消費するがゆえに、我あり。そこでは、単により多く消費するものが勝者なのだろう。
*
久しぶりに訪れた松岡セイゴー氏のサイトから、、、
『西田幾太郎哲学論集』
『アンチ・オイディプス』 ドゥルーズ・ガタリ
『情報化爆弾』 ポール・ヴィリリオ
大病から帰還した松岡氏はこのところ大作相手に読みを続けている。建築家であり、パリ建築大学の長であるポール・ヴィリリオ/Paul Virilio に関する松岡氏の文章から引用してみよう。
脳がアナロジーを担当すべきところを機械がテクノロジーで代替してしまったのだ。一言でいえば今日のIT社会の問題のすべてが、この「アナロジーからテクノロジーへ」ということに集約される。
こんなことは世の中を見ていれば至極当然な推移だと思っていたのだが、意外にも誰も指摘してこなかった。もっとも世の中の推移を見抜くには少しは鍛練がいる。縮めていえば「人間の生物的な本来」と「文化の社会的な将来」の両方についてちょっとばかり思索を深めていなくてはいけない。もっと短く縮めていえば「脳と言葉」「経済と機械」の両方の問題を解くスコープが同レベルで重なって見えてなければならない。世の中の推移を見るには、大脳主義者ふうの唯脳論や言語主義者ふうの素朴意味論者やMBAふうの予測に走る経済主義理論では、まったく役に立たないのだ。「脳と言葉」「経済と機械」をいつも連動させて見る必要がある。‥ベネトンがやったことは誰が誰をメディア化するのかという広告テロ戦略だった。広告はメディアの裂け目を見いだすしかなくなったのだ。‥映像の検閲がゆるゆるになるにしたがって、映像作家たちの想像力がさらにゆるゆるに衰えている。それより速く観客の想像力は枯渇する。
‥CNNのせいで、いまや大衆はどこの国に対してもホームシックにかかれるようになった。その病気に罹らなかった連中は、たいてい自分に対してホームシックになっている。‥自動車の著しいハイテク化は、建物の一部を切り離してコンピュータにして、そのあとに4つの車輪をついでにつけたようなものだった。それでも事故がおこるのだから、あとは無視界コックピットが待つだけだ。‥ユビキタスな電子住宅こそ監獄である。閉じ込められれば閉じ込められるほど便利になるというのだから。‥OPA(株式公開買付制度)が残された経済的自由だと思えるのは、1秒後の瞬間情報を確信したいからである。きっとその情報が自分のところに来たものだと思いすぎたのだ。‥選挙はとっくにサブリミナル戦争になっている。政治がカジノになるのは投票者が博打が好きになっているせいだろう。・・・
**
読み通せないことはわかっているが、ヴィリリオの本をさがしてきて積読書架に加えようという気になる。you may say that I'm a dreamer, but I'm not the only one.....
コメント