結構参考になるかもしれない猫屋です。今晩は。
8日付けル・モンドからのクリッピング。
バンリュウ“暴動”が起こる直前の10月27日、クリシ・ス・ボアのEDF(フランス電力)の変電所で感電死した2人の少年(17歳と15歳)の最後の日について、記者(Ariane Chemin)が取材、2ページの写真入り記事を書いています。以下は訳者による恣意的抜粋と粗訳です。意味の取れない部分は勝手にカットしたり、かなりな意訳ですがこの2人の少年がどうして変電所で死んだのか、その前後が仲間達の言葉で語られている。すくなくともその流れが分かっていただければ幸いです。(また、この騒乱の始まった頃の様子は、shibaさんの11月3日のエントリ、ネブロ11月10日燃えてないパリからのメモなどご覧ください。)
Le dernier jour de Bouna Traoré et Zyed Benna
ブウナ・トラオレとジェッド・ベナの最後の日
彼らの記憶によれば、それは大体M6(猫注:アメリカのシリーズを多く放映する仏チャンネル)の“マルコム”とカナル・プルス(猫注:同じく若年者にファンの多いTV局)の“俺達は天使じゃない”の間の頃だった。正午を回った頃か。10月27日木曜日、トラオレ家のアパートで、ブウナはシャワーを浴びたばかりだ。15歳のこの少年は、その兄弟・姉妹と同じように、そしてシェーン・ポワトゥのショッピングセンター沿いのクリシ・ス・ボワ(郵便番号9-3地区)のシテのすべての子供達と同じように、遅くまで寝ていた。
クリシが目覚める。これはトゥサン/万聖節の学校休暇の時期だ---ここではこの休暇は単に“秋休み”と呼ばれる。夕刻、家族の元でラマダンの断食が中断するまでの一日は長い。ブウナのような“petits/ちび”と“moyens/まんなか”と“grands/大人”--これは22.23歳までだが、両親とともに住んでいる---彼らは朝寝坊を引き伸ばす。プレイ・ステーションでゲームをしたり、Trace TV, Equipe TV あるいは DivX といった海賊版映画を、彼らによれば「時間つぶしに」のために観る。
ブウナ・トラオレはその兄弟たちと同じように、優しい眼を持った繊細で敏捷・コケットな美しい子供だ。
いつもの朝のように、その日もトピクリーム(感想肌用クリーム)を顔に付け、ジョギングにアイロンをかけた。兄のSiyakha/シヤカと同じように、耳に小さなダイヤのピアスをしている。
音を立てずブウナは青と白のNike Shoxを磨く。音を立ててはいけない。なぜなら、パリ市での清掃夫をしている父親は、RERに(郊外電車)一時間、それから601番のバスに乗って朝の6時に帰って来る。子供達にとって一日にただひとつ守らねばならない約束事は、ラマダンを“中断”するために、夕方6時きっかりに戻っててくることだ。順番に、シェーン・ポワトウのフランプリ(小型スーパー)かもっと遠いが安いモンテルメイユのリドルのところに行って“---買い物籠に3ユーロ(400円)ほどの---小さな買い物”をする。この日は大人のシヤカ・トラオレが買い物をする番だ。そこここで友達にすれ違う。“tcheck/チェック” 互いの片手で交わす挨拶。「Tranquille/落ち着いてるか?」 「落ち着いてる。」
クリシ・ス・ボワでは時間は他の場所のようには流れない。ヴァカンスは決してやってこない。。。クリシの子供の半分はサッカーに強い。他にやることがないからだ。
天気はいい。みんな外に出ている:つまりすべての少年たちだ。
20メートル離れたラブレーの高層アパートの下、“全員が集まる場所”、に戻る。「友達の誰かが見えない時はケイタイで呼び出す。」
ラブレーには、ジェッド・ベルナ、17歳が住んでいる。チュニジア家庭の6人の子供の一番最後。父親はやはりパリ市の清掃夫だ。父親は厳しい。自転車泥棒の話に息子の名が出てきたことを、苦々しく思っている。ジェッドがフランスにやってきたのは2001年になってからで、第3学級(中学3年)で苦労しているが、仲間たちによると“mec tracé、trop stock ”つまり強すぎる少年である。 “石投げ(男)”がニック・ネームだ。シェーン・ポワトゥの住人の記憶では、マロニエの実を高層アパートの16階の高さまで投げたのは彼一人だ。仲間達は記念として、その姿をカメラで撮影した。
10月27日、“愛の火”(アメリカTVシリーズ)の時間だった。出かける時間だ。シェーン・ポワトゥでは誰もT3(3部屋の団地)内に留まっているのを好まない。土曜や日曜、“大人”は車で、Flunch/フランチ(ファミリーレストラン)かRosny II/ロズニー2(ショッピングセンター)の映画館に“ちび”たちを連れていく。カートの運転の仕方を教える。
週中の日は“時間を潰すために”、サッカーの得意な“テクニシャン”のボウナは隣町リヴリ-ガルゴンのサッカー場での試合を提案した。この町はクリシより豊かで、それに比べてクリシのサッカー場は“石だらけの腐ったもの”だ。仲間の、スクーターに乗ったソフィアンヌ、アリスティッド、ダヴィッド、マルタン、ブリュノ、ヤフヤ、みな14歳か15歳の、シテでのサッカー仲間だ。クルド人で17歳のミュティン・アルトゥンもついて来る。建築作業員の父親よりはましにしろ彼は(グループ内で)ただ一人フランス語が得意ではない。彼らはzouk/ズーク(クレオール音楽)と50 Cents、 Sniper、 Psy 4 de la rimeと言った、フランス・ラップ、アメリカン・ラップが好きだ。フランスのポップスも。 「ブウナはジョニ・アリディの“火をつけろ” を歌ってた。」 と彼らは言う。
夕方5時を過ぎた頃、子供達はサッカー場を後にする。イルドフランス地区が社会住宅建設中の現場に回り道をしたのか? 自宅の窓から見ていた近郊の葬儀店勤務の住人は、子供達の一人が見張りをしているといった印象を持った。建築現場の小屋から何かを盗む魂胆なのか?警察に通報があった。10分後、BAC/対犯罪警察隊(猫注:私服警官隊、カウボーイとも呼ばれている。)の一台目の車が到着し、そばに停車。子供達はすずめが散るように逃げだす。「走れ!走れ!」 後ろにフラッシュ・ボール弾を持つ私服警官を見た一人が叫ぶ。「走るんじゃない、何にもしてないんだから」とダヴィッドは止めようとするが、誰も聞かない。
彼らにとって、走ることは条件反射だ。「誰かが走っていると、自分も思わず走る。ある日誰かがシテに走ってやってきた。そしたら皆がとんでもない方向に走り出した。」と16歳のジョーは言う。 「どうやってポリスが俺達を扱うか、チビたちは良く知っている。」と、ミュティンのいとこメメット・ドガンは言う。「keufs/ケフ(俗語で警官)が、テュトワイエ(猫注:フランス語文法での親密な話用法、、お前といった感じか)で俺達に話しかけ、さんざん嫌なことを言って俺達を疲れさせ、挙句は厚かましく、kéké/ケケ(猫注:俗語、道化者といった意味か?)とんま扱いする、それをチビたちは見ている。」 子供達は声をそろえて、警官は好きじゃないと言う。「警官は、フランス人が住むランシーかリヴリからやってくる。やってきてこう言うんだ:馬鹿野郎、車の反対側を向け。」「それから俺達には礼儀がないと言う。何にも、本当に何にもしてなくても、俺達をpédé/ペデ(猫注:俗語でホモのことだが、マッチョな界隈では最悪を差す言葉)あつかいする。」
走りながら、チビたちはそれなりに頭の中で計算する。彼らは自分の身分証明書を大切にしまっておく。大きい兄弟と一緒に、移動遊園地や、シェルやクリニョンクールで“ファッショナブルなジャケットやジーンを”買いに出かける時にしか持ち出さない。
「両親は書類(パピエ)をもらうためにかなり苦労したから、書類をすごく大切に扱う。」とシヤカ・トラオレは言う。「チビどもは何でも失くす。」 だから重要な書類は全部パパの寝室のアタッシュ・ケースかママンのハンドバッグにしまってある。台所にあるのは、“大家族カード(鉄道などの割引が受けられる)”か中学の証明書だ。
だからラマダン期間中に捕まるのは、喜ばしいことではない。警察所で一時間から四時間を費やしたら、どうしたってiftar(日々の断食明け)に間に合わない。「空腹だった。その上、サッカーをして喉が乾ききっていた。」とヤアヤは言う。ラマダン中は、とにかく悪さをしてはいけない。「何にもしてなくても、親はこう言う:何にもしてないのに何で捕まるんだ?」と、ブウナの友達の一人が説明する。 走りながらジェッドはこう叫んだ:もしも私服に捕まったら、父親は僕をテュニジアの村に送り返すんだ。悪夢だ。彼らはシテで充分に楽しんでいる。 「ブウナは遊びすぎて(猫注:あるいはサッカーをしすぎて)食事するのも忘れる。母さんが『食べたのかい、ブウナ、ちゃんと食べたのかい?』といつも聞いていた。」と、ブウナの兄は語る。
この小さな仲間達は“恋人たちの公園”に沿って、リヴリー・ガルゴンとクリシを隔てる通りをろくに見もしないで渡る。国民投票に反対、というポスターが刺青のように貼られた扉をくぐり、天気がいい日にはジターン(ジプシー)達がピクニックに来る市の所有する荒地に入る。
ここで、警官たちは走るのが遅いハルウナとソフィアンヌを捕まえたようだ。クロスカントリーで一番早く走るジェッドとブウナとミュティンは荒地の隅の壁までたどり着く。墓地まで続く、タグの貼られたコンクリートに鉄条網の壁。
トーキー・ウオーキーで呼ばれた第二の警官隊が、墓石の後ろに位置する。夜になる。リヴル-ガルガンの家々から犬の鳴き声が聞こえる。ジャンプして、互いの肩に乗って、“ノワールとアラブとトルコ”の3人の友達は結局、、、と言って、EDF発電所の壁から3メートルのところで、仲間達はため息をつく。 彼らは壁に張られたドクロ・マークのついた警告プレートを見ない:「電力は君より強い。」 はしごを上って、建物の屋根上に横になる代わりに、人目に付かないよう、4メートルの変電所をよじ登る。ひどく高い。しかしジョーが言うように「怖い時は何でもできる。」 彼らは半時間の間そこにいた。
6時12分、ブウナとジェッドはまずい動作をしたと思われる。彼らの間に電流のアーチが形作られる。2000ボルトの電流が3人を地上から持ち上げる。シリーズを見ていた、シェーン・ポワトゥのムウサ(15歳)のテレビが突然消える。「わけがわからない。」 リヴリ・ガルガンの警察署で、他の子供達を両親の元に返す前、セバスティアン・M巡査長は報告書の中に、建築現場ではいかなる被害も発見されていないといった説明を加えている。そして突然電気が切れ、暗闇に包まれる。彼は調書に以下のように書いている。「ヒューズはひとつも飛んでいない。電源不通は警察署内に起因するものではない。五分後に電力は戻り、報告書を続けることが出来た。」
約二千度の熱に焼かれ、皮膚が服地に張り付いたミュティンは、どうやってシェーヌ・ポワトゥに生きて戻り、ブウナの兄の所まで来ることが出来たのだろう。「あいつは戦士だ。」仲間たちは、敬意をこめて言う。
この若いクルド人は、2人の友人の名をやっとのことで声に出し、10人ほどの少年を荒地まで連れ出す。
そして繰り返す。「走らなきゃならなかった。走らなきゃならなかった。」
泣き言も言わず指で進むべき方向を示す。けれど、変電所の前で向きを変え、片腕で泣いた顔を隠す。「自分に言ったんだ:ここは何なんだ?自分が子供の時だって来たことはなかった。」
とシヤカは語る。 「進めば進むほど、病人の熱が感じられる。ミュティンはもっと悲しがる。」 グループは「ブウナ!ジェッド!」と叫ぶ。
けれど誰も答えない。数分が数時間と感じられ、噂が流れる。「待って、待ち疲れて。ANPE/職業安定所で待つより長く、領事館で待った最長記録もやぶった。」と兄は語る。ブウナの母親は「涙を降らせて、父親は変電所の壁に頭を打ちつけた。」 彼らは死んでしまった、それは確かだ。
ジェッドのスニーカー“新しい、黒とグレーのコンバース”は炭化していた。ブウナのナイキ・ショックスと同様に。けれど、彼のアディダスは三部屋アパートの入り口に数日の間残っていた。
それから、モーリタニアの村での埋葬に向かう持ち主に同伴した。旅に出る前に、シヤカ・トラオレは遺体を見に法医学研究所に行った。彼が語る話はジャン-クロード・ブリソーの映画の一場面のようだ。優しい一人の美しい女性が、入り口を入って左にいるのが弟だと教えてくれた。ブウナはすぐ見つけられた。「白い大きなシーツの上に、黒いしみがひとつ。それが顔だった。」
火傷が、哀しい青とピンクと黒の顔を膨らましていた。でもアイダのために美しくしようと、一週間前グラデュエーションをつけたばかりの髪は痛んでいなかった。シヤカ・トラオレは、 この“天使の髪”を唯一の救いと感じた。「カットとグラデュエーションと、ここだけ手付かずだった。」
Ariane Chemin/アリアンヌ・シュマン 12月8日の記事から抜粋、11日夜訳出終了
***
エントリのコメント欄でfenestraeさんがあげてくれた、8日付けル・モンド同ページにあった記事です。
Les circonstances de l'accident : pas de cambriolage et une "cours pédestre"
事故の状況:盗みではなく “徒競走レース”
10月27日18時12分に起きた事故で、2人の若いフランス人、ジェッド・ベナ17歳とボウナ・トラオレ15歳が命を落とし、3人目の被害者ミュティン・アルトゥンは第3度火傷を負い、今でも皮膚移植のため無菌室にいる。この事件をめぐる暗い影は、ゆっくりとだが薄らいでいる。最初のIGS(公共サーヴィス監査委員会)の第一中間報告(11/03)のあと、最終的報告書が一月当初に提出される。ボビニ裁判所つき共和国検事フランソワ・モランは、危機にある人間を救援しない罪で、Xに対する(猫注:加害者不明事件として)証人尋問を始めた。「現状において、大きな動揺を引き起こしたこの事件に関して、法と、専門家の鑑定と、判事の管理下での警察による捜査を進めることは、まったくの公正と受け取れる。」と、被害者3家族の弁護士ジョン-ピエール・ミニャールはこれを歓迎している。
“盗難” 「これまでに分かった情報によると、盗難が行われていた。」と、ドミニック・ド・ヴィルパンは10月28日、ディジョンへの移動時に声明を出している。11日後、ニコラ・サルコジはこう説明している:「盗難があったという推定とそれに対しての警官動員のあと、警官隊が向かった、ということだ。問題は、他の青少年がサッカーをしていたことに起因する。」 10日31日、警察の聴取に対して葬儀社社員は、リヴリ・ガルガンの警察署に通報した際には「盗難については何も言っていない。少年たちが現場の小屋に侵入しそうだ、という意見を警官に伝えただけだ。警察に電話したのは、穴だらけの現場は危険だから少年たちはそこに居るべきじゃないと言いたかったからだ。」 しかしIGSは、小屋に押し入る意向がありえたとし、盗難未遂の可能性はあると見ている。
“追跡” この仮説は、10月28日以来TF1などで、ニコラ・サルコジ内務相が否定している:「警官は少年たちを追ってはいなかった。」 調書と録音テープによると、警官たちは何回も“徒競走レース”について話している。IGSにとって大きな疑問が残る:EDF建物に入った3人の人間は、建築現場に侵入して警官に追われたたグループに属するのか。ミニャール弁護士によれば、建物を囲む3メートルの壁の下にいた少年達が抜け出しうるもう一方の出口を、変電所の反対側に位置した第二の警官隊が固めていたとして、「追跡劇はすでに過去の話だ。最初から最後まで、はっきりと尋問が目的だった。」
警官とEDF発電所の責任 IGSの報告によれば、少年達が発電所に入る可能性があると、警官のひとりが警告を発している。けれど何故、誰一人少年達に課せられた危険性を案じなかったのか?18時58分から20時までの警官たちのラジオ交信記録では、一人の警官が同僚の態度に苛立っている。「(送られた警官隊は)もう30分も現場にいるのに、まず第一に負傷者救助をすべきところを、EDF発電所前に集まる友人や家族の扱いにあたっている。問題があるって時に、(こっちは)もう30分も情報を待っているんだ。」 それから、声を荒げて「現時点でわれわれに一番重要なのは被害者だ。知りたいのは、状況と、どうやってそれが起きたか、不可抗力だったと仮定してもそれは事故なのか、あるいはちょっと前誰かが言っていたように警官に追われていたかどうかだろう?」
10月30日のEDF発電所での出向調査書内で、PJ(司法警察)警視は、荒地から発電所に至る方法について書いている。「行程には、、、移動を妨げるなんらの障害物もない。EDFの外壁は3箇所の出入り口を有す。」 警官はこう書いている、「墓地の塀の支え部分、、、からは容易に塀上に登れ、そこからEDFの外塀最高部に移ることが出来る。その地点からは鉄条網もない。」
05/12/08付けル・モンド記事より翻訳(12日朝、訳文の一部加筆・訂正いたしました)
12日追記:この事故(10/27)に続く保守党内部の反応と抗争についてはリベ(11/05)記事を参照してください。なおサルコジがクールヌーヴでラカイユ発言をしたのは事故の3日前です。Le fantôme, le chef et le miraculé.
****
植民地特集をしている今週のヌーヴェル・オプスで不思議な広告ページにぶち当たりました。devoir de reagir
俳優ジャメル・ドゥブーズ、不良歌手ジョイ・スター、テュラム、カソヴィッツ、アラン・シャバ達が進める、選挙をしよう運動です。今年中に選挙人登録をして来年から選挙権を有効に使おうと、青少年に呼びかけています。(残念ながら日本政府は二重国籍を認めていないので、20年ここに住んでも猫屋に選挙権はありませんが。)
*****
同じヌーヴェルオプスから一ページ記事のクリップ。
Raconte-moi ton histoire 君の話を聞かせてくれるかい
生徒が移民系ばかりの小学校の“アナーキー・トロツキスト”教師クラスで、精神科医が20人の生徒をフォローした話(後日間違いを訂正いたしました)。 旧殖民地からやって来た人々がいかにして記憶を失うか、どうやったらその子供達は記憶を取り戻せるかという、興味深い記事です。
******
ところでル・モンドウェブ版、記事タイトルの真上に広告がある。フランス政府のものなんだが、《雇用・税金・教育》とチカチカしてます。クリックすると、政府からのニュース・レター申し込み画面に変わる。これ、もしかしたら内務相の履歴とかが送られてくるんでしょうか?あるいは首相の巻き返し作戦か? A suivre.
********
shibaさんがTV報道で確認したところでは、猫屋が訳出時ミュヒタンとしたトルコ/クルド少年 Mehittin Altumの名はミュティン・アルトゥンと発音されています。12月19日訂正いたしました。