先ほどはイッキに前エントリを書き込みまして、かなり荒い文章になってしまいました。いくつか追加事項をしたためてみたいと思います。
フランスは移民の国である。私は1980年代にここにやってきた“文化”移民です。日本の生活に息が付けない、こりゃちょいと別の国も見てやろうとやって来て20年が過ぎてしまった。一時は第三国に“出稼ぎ”のようなことをしていた時期もありましたが、どうにかこうにかここまで生活してきた。ただ、このところとんと仕事が減って困っている。
近年の移民組には、ロシア東欧系、トルコ・クルド、イラク・アフガニスタン系もいるようです。彼らが実際に滞在許可証をもった正式移民なのか、許可書なしの無書類移民なのかは私には確かめるすべがない。もちろんアフリカ大陸から欧州を目指してモロッコの砂漠を歩いて渡る移民候補者達の不運は2ヶ月ほど前、こちらでたびたび報道されていましたからご存知のかたも多いと思います。彼らはすべてを捨てて欧州を目指す。そこには“より良い生活”が待っていると信じているからです。たしかに、アフリカ諸国での仕事のなさは欧州とは比べ物にならない。それは事実です。そしてそれはアジアの、たとえばインドネシアやフィリピンでも同様かと思います。
シテ/Cités
これは今回の“暴動”、私としてはできれば“騒動”と呼びたい気がしますが、この動きの起こっている各地の60年代建築の衛星集合住宅街はよくシテと呼ばれます。たとえばパリ市外にある海外および仏大学生用の住宅集合をシテ・ユニヴェルシテールと呼ぶのと同じ用法です。今回問題になっているシテは1960年代の住居不足時に建設された住宅群を指す。当初は、やはり同様な目的で建設された日本の公団住宅に似たようなものではなかったかと思えます。小津安二郎の映画にありましたね。ただ、その当時はピカピカだった住宅も、しだいに疲れてきた。収入が増えてよりよい条件のアパートなり一軒屋に引っ越す住人もいたけれど、そういった上向きの人生を送れない人々もいる。1960年代工業近代化の遅れをアフリカからの低賃金労働者にたよったフランスの過去がシテに凝結している。そして、こちらで生まれた子供達(ジダンの世代)の多くはシテで生まれシテで育つ。
シテの子供達にはシテのフランス語があります。彼らのアクセントやしゃべり方はいつの間にかパリの上流階級地区の一部の子供たちにまで使われています。一種のジャルゴン/職種間の特別語的です。悪ぶる子供はどこにでもいます。シテのファッションもある。アディダス・スポーツウェア系、XXL系。これは日本でも見られますね。テレビの影響でしょう、最近は世界レベルで電波するのが早い。ラップ、ヒップポップの世界です。
同時にフランス全体で階級が崩れ始めているのも事実です。米国などに比べると異エスニック間結婚が多いせいもある。そして経済のグローバリ化はあらゆる分野にコーラテラルダメジを生み出している。今では、失業は単に低学歴層に限られているわけではありません。文科系では修士や学士タイトルをとっても就職できないでドクター過程に進んだり、ファーストフードで金稼いだりというのがよくある。また、順調に仕事していた非移民の子系管理職が会社移転などで突然失業というケースも多いわけです。ヒューレット・パッカードの大型解雇はまだ解決がついていません。
高学歴失業者も清掃やレストランの給仕といった複数の短時間労働をこなさなければ生活していけないという情況が、イギリスのジョブ・センターのもたらした失業率低下政策の結果だとして報道されていましたが、これは明日のフランス情況でもあるでしょう。
そのような社会で、たとえばモハメッドという名を持つシテの移民第三世代の学生が就職活動にあたってCV/履歴書の段階で落とされる。ディスコやバーで門前払いをくらう。メトロやバスや街中での警察のコントロールにひっかかる若い衆にはやはりアフリカ系が多い。邦人も引っかかりますね、時々。なお先日ロンドンでテロリストと間違えられ射殺された不幸なブラジル人は北アフリカ系と間違えられたのだろうと私は思っています。
また先月の不法滞在者たちの住居を求めるデモには中国系と見られる若い家族連れも多かったことも付け加えておきます。元来中国系(ベトナム系も含む、彼らの多くはベトナムでは戦争時裕福だった中国系です)あるいはカンボジア系移民間には同郷や同族間のつながりが強かったのですが、最近の経済移民はその枠を越えている印象があります。
シテの生活
カレンダーボーイ chorolyn 氏が挙げていました“La Haine”というよく出来た映画があります。作者のマチュー・カソヴィッツはユダヤ系フランス人の映画作家、俳優としてもアメリ・プーランなどに出ていますね。この映画の中には、シテやバンリュー/郊外にすむ若いフランス人達の閉鎖感がどうやって憎悪に変わっていくのか良く描かれています。
狭い住居に大家族で住む彼らには自分の生きる空間がない。仕事がないから未来像も描けない。溜まり場となるキャフェやバーも少ない。そうなると元気のあまった連中は夜の界隈を集団で徘徊する。麻薬の問題もある。グループ間の抗争もある。集団でパリに出て恐喝行為に出ることもある。
今回の騒動で焼かれたのは、車だったり、幼稚園だったり、体育館だったりした。車は彼らにとっては“成功”のシンボルかもしれない。学校や体育館は“国家”のシンボルであるかも知れないですね。
ポリスはシテでは嫌われている。たまたま行ったサンドニで、車に同乗していた小学生達がパトカーが通り過ぎるたびにダーディ・ワードをはやしたてるのにびっくりしたことがあります。警察は権力のシンボルなのでしょう。シテは権力の“犠牲者”という意識があるのかもしれません。確かに、安全問題が放置された高層アパートで、故障したままのエレベーターに乗ろうとした幼い子供がそのまま地下階まで落下、死亡したといった“事件”もありました。
車や公共施設に火をつける行為は、荒廃したそれらのシテの絶望した若者の、それでもここに僕達がいるんだという叫びと思えなくもない。彼らの親達の多くも仕事を失って、あるいは低賃金労働に疲れ、子供に対して影響力を持っていない。
TVを見て育ってきた子供たちが暴力でしか他者とコミニュケートできない。これはなにもシテに限った現象ではないと思います。
参考: couvre feu/外出禁止令にはアルジェリア戦争時の記憶がついて回る。この点は今日のル・モンドのエディトリアルに批判という形で言及されています。なお、外出禁止令は騒動のおきている関連各県知事あるいは市長が発令し、内容も各長が決める。だいたいは16歳あるいは18歳以下の未成年は親の同伴がない10時以降の外出は禁止といったもののようです。参考ル・モンドから。フランス政府のシテに関する緊急処置についての記事。
パリは相変わらず平和です。観光客が今一番困っているのはヴェルサイユ宮殿がストのため昨日閉まっていたことのようです。
後記:一部書き足しおよび訂正いたしました。
コメント、興味深く読ませて頂きました。暴力の対象についての解釈は、あ、そうかもと思っちゃいました。
投稿情報: chorolyn | 2005-11-09 05:57
コメント、じっくり読ませていただきました。
移民の歴史もからめて、勉強になりました。
車=成功、学校=国家・・・なるほど。
それにしても、パリは燃えていないのですけど、Foxのニュースの間違い加減にはあいた口がふさがりませんでしたよ。
まったく。
投稿情報: ふにゃふにゃ | 2005-11-09 15:28
お久しぶりでございます。インターネットADSLどころか普通の電話回線もない生活を既に3ヶ月送っております。 ここスイスは本当に先進国なのかっ。 疑問は多く湧き上がる今日この頃。
パリは燃えてはいないとのこと、お喜び申し上げます。 スイスにも飛び火するかな?と思ったんですが、今のところは平静なよう。 ベルン郊外(といってもど真ん中から6km程度)ではアルバニア系住民が多く、学校の休み時間にはセキュリティが出動する場所があります。その辺で、「んじゃ、俺も」ってな動きがあるかと思ったのですが、幸い静かなようでございます。
投稿情報: Mari | 2005-11-09 21:22
ふにゃふにゃどん、
私の書いてるのはパリの安全地帯にいるまあどうにか“同化”してる一邦人が書いたことであって、ゾーン内部の人々の生活感を直接伝えるものでは当然ありませんが、日本の新聞やブログがかなり現実とかけ離れた報道をしてるのが気になって書いて見ました。
“閉鎖”あるいは“隔離”された人や社会は内部から腐るということだと思えます。
Mari姫、
良くぞご無事で、お久しゅうございます。ベルリンでも車が五台とバイクが一台燃えたそうでござりまする。
いや、猫屋は姫もハイウェイで飛ばしすぎたんじゃあないか、などとと気をもんでおったところでございました。にんにん。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-10 00:30
えっ!
パリは燃えていないんですか?
ほんとに、パリは炎上しているようです。少なくとも
日本の大本営発表(マスコミ)では、でも外務省の渡航情報には、数日前まで一言もなかったから、燃えていない事は確かなようです。さすが日本の外務省は偉い、不確実な渡航情報は流さない。
私の住む三重県は「勝ち組」トヨタのまさにシテ的存在の地域です。
県営、市営のアパートには、日系南米移民の人たちが、確実にその数を増しています、バブル崩壊の十年のつけが凝結しています。
低賃金労働力としての、彼らの存在は認めても彼らや彼らの子供達が、同化して教育を受けるための施策には、一切コストを掛けてはいません。
このつけは、確実に回ると思います。
脳天気に、パリの心配している余裕はないのです。
しかし、日本の平和幻想は健在です。
本やでは、反中嫌韓本が売れ、小泉外交はどこからも支持されない国連常任理事国入りです。
日本は、やっぱり炎上していません。
投稿情報: クノちゃん | 2005-11-10 04:18
本来30年ぐらいしか使わないはずの60年代団地がそのまま時代に取り残されてしまった。今回の騒動は、ある意味では予測可能だったわけです。ただそれが2人の子供の死をきっかけに爆発し、そのパワーがTVやウェブによって増大拡散されたわけですね。
これをきっかけに対話や政治の改革が確立されればいいんですが、世界レベルでの貧困、生活レヴェル格差、メディアの無責任さ、なんでも金主義とかがどうにかならない限り先はくらいと言うか、、、ため息でます。
日本はねえ、フランスの騒動を笑ってる場合じゃあ全然ないんだけどねえ。ため息もでないよ。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-11 00:04