これはほぼご近所のshibaさんブログのさっきアップされたエントリへの返事、というより単なる無駄話です。まあチャット風にコメント欄に書くと長くなりそうなので、ここ自宅で。
・shibaさんがTB投げてくれた11月13日のエントリ 《“フランスの階級”という宿題》 で私が書いたのは、少なくとも私がフランスで過ごしたこの20年の間に、フランスの階級社会がより流動的になったという、私の印象です。 これはエマニュエル・トッドのル・モンドでのインタビューにもかぶります。
“ 『三人のフランス人のうち二人』は中産階級である ” ジスカール時代から、“ フランスの人口の半分は常に労働者と事務関連雇用者で占められている ” に移行しているわけです。(猫注:天神様の訳文を使わさせていただきます。謝謝)
つまり、ジスカール時代(在任1974年 - 1981年)には全国民の1/3だった非中間層が、現在は全国民の1/2に増えている事でもあるわけですね。同時にフランス社会のトップにあると思われるISF(高額財産に対する連帯的税金)を支払う財産持ちの数はたぶん全人口の2,4 パーセントぐらいと記憶していますが、この税金を払う国民数は70年代に比べ現在は増えている(はず)。 つまり、比率としては多くはないにしても財産家とそして労働者と被雇用者が増えたということは、同時に中間層(中間管理職、黒字の小中企業主)が減ったということでもある。
全体としてみれば、トップの大金持ちは若干増えているが、同時に貧乏人も増えるという傾向ですか。スタティスティックの扱いは私の守備範囲ではないので、これ以上は入れないわけですが。付け加えるなら、昔なら哲学者が扱った、そしてちょっと前なら文化人類学や社会学があつかった分野を歴史・統計学のトッドが数字を出してスパッときるというのはきわめて現在的です。これはイデオロギーがいったん死んでしまった現在だからこそ光ってくるわけだ。文化人類学がポスト・コロニアリスムと批判されたり、共産主義もベルリンの壁とともに消滅しちゃったわけですからどうも分が悪い。
・こちらに来てすぐ、85年ぐらいかな、なぜかグラン・ゼコルに入りたて、それとグラン・ゼコル入学準備学生達からなるグループと親しくなりました。(そのうちの一人は今は新聞・雑誌にも出るIT系企業のPDGになってます。エコル・ノルマルに入って遊びほうけてたやつは後年エイズで死亡している。)
当時の彼らはジーパン履いても靴はかならず革靴だったし、日曜日でもジャケットにネクタイをしているのもいた。日本から来た私はいつもスウェットかTシャツにナイキだったから、なんとも不思議でした。
ナイキやロックといったアメリカ文化が大幅に受け入れられたのは90年あたりではないかと思う。マクドもいったんはフランスから引き上げています。サン・ミッシェルに再度オープンしたのは87年ぐらいだったかな。グロバリ化が世界を覆い始めるのはこの頃からか。
・中間層、は教員も含む“知識人層”でもあったと思います。新聞や本を読み、なんにでも意見を持つ人々、これには保守も左派も含まれるだろう。だがしだいに、ゴーシュ・キャヴィア(金持ち左翼)、そしてボボ/ブルジョワ・ボヘミアン、といった“あたらしい階級”が生まれてくる。金は持ってるが、考え方やライフスタイルはどうも社会党っぽいしアテ/信仰行動なし、だが実際は自分の子供たちは私立のカトリック校に入れるというスキゾ的人々です。また真性カトリックの人もどんどん減っている。
・そして同時に、シテ(あるいはゲットーとも呼ばれる)生活圏が形成される。建築当初はシテは必ずしもマイナスのイメージは持ってなかっただろうと思います。元来30年しか持たないだろうと考えられていた高層住宅が改築・改装されないまま残された。ここに居残った人々の多くは低所得者であり続けている。そこではブラック・ブール・ブラン(黒・褐色・白)の子供たちが混在している。そしてひとつの“文化”を共有している。
私の周りにいる友人の親達は、米国・リビア・アルジェリア・北アフリカジューイッシュ・イタリア・北欧・ベトナム・カンボジア移民とフランスとかとの混合組みとフランス・フランス組がいますが、その今は悠々自適な退職生活をエンジョイする中間層のそのまた親は、戦前に牛飼いだったり、ちいさな村の肉屋だったり、鉄道員だったり教員だったりするわけだ。
親世代は戦後の経済復興とともに、大学へ行きそして社会のはしごをうまく登っていったわけでしょう。(これが下層労働者としてアフリカの旧被植民地から大量の移民が入ってきた時期) また、戦前からの旧家出の隣人も、ドの付く友人もいますが、今ではただの人だなあ。土地とか城とか持ってる親はともかく、私と同世代の旧家・ドつきはISFを払っている風情はありません。いや隠してるだけかも知れませんがね。
という意味で、フランスの“階級”が革命前がそうだったように必ずしも“運命的”階層ではないし、時代とともに変容している。同時に言いたいのは、時間はかかるにしろ、階層間の風通し、つまり上る人もいれば(残念ながら)ランク落ちの人もいる。ただ、トッドの文章が示すように、彼の言う“大衆”つまり低所得者層が増大、同時に最下層も増える社会はやりきれないな、と思うわけです。
答えにはやっぱりなっていません。(単なる文章修行ですと言っておこう)
なお、今日たまたまつけたTVアルテで、危機感一杯ではない日常のシテでのドキュメンタリーやってました。残念ながら15分ぐらいしか見ませんでしたが、郊外RERの駅で保安に当たる(ボランティアかと思える)若い男性が“最悪は14、15、16歳のあたりだ、とにかく何でもする。そして18・19になると考え始める。でもそうすると今度は新しい14-16歳の子達が暴れ始める。おまけに暴力の度合いはどんどん激しくなる。僕はその世代と社会との間の橋渡しになりたいんだ” これが彼の言ってた大体の内容です。
たしかに、移民第一世は日々の生活と、やって来た土地に“同化”することに手一杯だろうし、同時に後に残してきた国のことも多くは語らないかもしれない。(このようなことはクロワチア系米国人でイタリア人の奥さんとリュベロンに住み着いた俳優マルコヴィッチが言っていたな)
国籍のないかのような、noman's land的シテの中で、このディアスポラの三代目は、それでもシテが締め切られた空間ではなく、実際の生活の場としてあることを示していたと思う(プロパガンダにしても)。
* * *
追記:フランス語系人のBO-YA-KI ブログで、raidaisuki さんがクリシ・ス・ボワの電圧室で死亡した2人の少年、と生き残った3人目の少年について、雑誌《 Jeune Afrique l'Intelligent 》 掲載の関連記事から引いて書いています。
《2人の未成年者の死》と、raidaisukiさんが書く《チュニジア人の職人の息子ジヤッド・ベンナZyad Benna(17歳)とその友人でモーリタニア人のブーナBouna le Mauritanien。3人の友人のうち生き残ったのはトルコ人のミュッタンMuttin le Turc、、、 》とのふたつの文の差異について、私達はもう少し敏感になるべきだと思う。すべての死者は、すべての生者と同様に、名前も歴史も抱えているわけですから。(猫注:フランスでは18歳で成人、したがって未成年は17歳までです)
もちろんこれから公表されるだろう、政府側の調査結果がどう言ういったものになるか見ていかなければいけませんが、トッドが書くように、今回のような出来事が、分断されていた若者達のコミュニケーションという出口に繋がる事を望むばかりです。
俳優マルコヴィッチ>このインタビュ、モーリタニアでも見れましたよ。なかなかよかった。
しかし内田教授の論にはまったく納得できません。もうクリシェばかりじゃない。特にアルジェリア移民への言及なんか。もっと勉強して発言しろよ、大学教授だろう、と言いたくなります。
エー、この書き込み、ね式さんの判断で消すなりなんなり、どうぞ、ご自由に。
内田教授、いい時もあるんだけれど。。。フランスに対する言及はちょっと。。。好きだった吉行淳之介が昔のソフトポルノ『エマニュエル』に言及しているのを読んでがっかりしたのと同類のガッカリかな・・・
しかし最近ノッテマスネ、ね式さま。fenestrae師匠もいい感じだし、パリは知的に燃えている、ってとこですか。
投稿情報: 天神茄子 | 2005-11-18 10:14
私も内田教授のファンで、宮台センセのブログよりは読みやすいし、タダ読み海外レクターにとってまったくありがたい。とんでもウヨ化の母国においては貴重な存在であることに間違いはない。
ただ、この夏ぐらいからかしらはっきりと“お疲れ”の様子が見て取れるわけで、ま、ブログをはじからどんどん本にするというアイデアは面白いんだが、結局は話言葉だけで本を作る、BBSをまんま本にする、とかとも並ぶんですが、かなり無理が出てきてるなあ。
それで期限が切れた知識ストックのアクテュアリティであのエントリは書かれたんだろうと、推測します。だから内田先生を直に批判するつもりはないが、反証は現地に住むわれわれのやんなきゃいけん事柄であろうと思ったわけですよ。
ね式はまあいつもこんなもんですが、パリという環境はやはりエキサイトできるところだと思います。ヤフーとかの文化では“歴史”や“アート”はエンタテイメントにカテゴライズされちゃって、フーコーはハリーポッターに従属しちゃう。だが、パリの猥雑さはまだ残っていくと思います。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-18 14:19
ご近所の方々に“様”とか“どん”とか勝手につけるのは猫屋の趣味なんで、なんだか天神様とお呼びしちゃったわけですが、こりゃいつもの冗談です。でも天神さんもねえ。
“とおりゃんせ”とかになっちゃうね。独り言なり。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-18 14:27
力作エントリー、早速リンクしました。
TB代わりに連絡まで。
ちなみに、僕も内田氏については距離を置きたい人間です。
投稿情報: chorolyn | 2005-11-18 17:51
猫屋さま
コメントありがとうございます。raidaisukiです。
現場フランスからの詳しいご報告とご考察ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
さてJeune Afrique l'Intelligentの報道の仕方と、またそれをブログで紹介するにあたっての心構えですが・・・
明らかにJeune Afrique l'Intelligentとこの記事の執筆者 Francois Soudanは実名(仮名とは書いてありませんのでそうなのだと思います)年齢、オリジンを意識的に表に出しているはずです。こんなことを安易にやるとは考えられませんので。
意図的とすると、目指されている意図はなにか。
今回の「暴動」の主体の「顔」があまりに見えなさすぎることを懸念してのことではないでしょうか。それこそが、あるいは犠牲者の意志に反することであるかもしれません。
(たしかに日本では名前までだす意味はないかもしれません。これはブログでは削除すべきだったかもしれません)
いかがでしょう。お考えをお聞かせいただければ幸いです。
TBができなかったのはなぜでしょうね? (?_?) もう一度お試し下さい。
投稿情報: raidaisuki | 2005-11-19 01:57
内田教授のブログにたいする、皆様のコメントは猫屋さんのブログだけでなくあっちこっちで取り上げられえいますね。わたくし同世代として皆様が内田教授にそこそこ優しいのは、老人をいたわる皆様の心遣いなのでしょうか?
猫屋さんの「期限が切れたアクテュアリティー〜思った訳です」辛辣では有るけれども、日本人同士の思いやりと言うのか、儒教の名残の年長者に対する、心遣い感じてしまいます。
でも、反証はほんと、きちっとやつてください、前の世代を完膚なきまでに粉砕するのは次の世代の役割でしょう。魑魅魍魎の老人達が生き長らえるような、世界こそ異常です。
ワインだって長く寝かせておけばいいというわけではないはずです。
昔、パリの友達のキャブにフランスに行く度に素人目に「これは、寝かせたら化けるかもしれない」と思う安いワインを買い込んで、それがパリに行く楽しみだったことがありますが、
結局20年近く経ったけれども、くずはくずと言うことが解っただけでした。
だめな若者にも、古いだけの老人にも引導を渡すのが、次の世代の役割だと思います。
内田教授も、粉砕されることを願っていたりして?
APECの韓国釜山の農民もエキサイティングです。猫屋さんが報告してくれるようにフランスもエキサイティング。日本もエキサイティングと言われるようにしよう!!
投稿情報: クノちゃん | 2005-11-19 06:22
raidaisuki さん(学校の先生に--さま、を付けて呼んで頂いて恐縮度が200パーセントなんですが、---これって学校トラウマ。冗談の場合は別として、ブログ横並びでは“さま”なし、TBサンクスコもなしで行かせてください)、
通常は眼を通すこともない雑誌の記事なんで、こちらこそご紹介、ありがたいです。
エントリに記事リンクつける時点でちょっと躊躇したんですが、ブログの価値というのは一寸先にどこ行くかわからない点があると思う。
たとえば昨日今日の、ル・モンドやヌーヴェルオプスに今回の出来事とフランスの過去とのリンクに関する記事がだいぶ出ています。
否定するにしろ、あるいは批判するにしろ、アフリカとフランスの間には“強い絆”があり、同時にアフリカ系フランス人は“選挙民”としてのポテンシャルを持っています。
また、コートジボワールなどの動きを見ても、フランス政府を弾劾することで生きながらえる“政権”もあるし、大陸で新しい“狩り”にセイを出す大国もある。猫屋には複雑すぎる環境でありますが。
そんなこんなで、該当雑誌の、たとえば“政治的意味”はまったく分かりませんが、(メディアを巻き込んだ)仏国政府発表がある以上、こういった雑誌も紹介されていいでしょう。陰謀論とか、ネオコロ論争はそれが好きな人がやればいいし、、、
これはこちらのメディアの一部でも言われていたことですが、あの若すぎる2人の死者に名前を返す行為が意味があると思っただけのこと。多分、こういったジオポリ関係と、政治的レキュペラションについても、これからこちらでは話題になってくる気がします。政治化ですか。
付け加えると、在仏邦人の多くが意識してないようですが、実は私達も“移民社会”の要因メンバーなわけであって、2世代目が社会にもう出ている。二重国籍も持てない彼らはそれでも日本のパーツを抱えている。またサルコジに対する評価にしても、移民政策は直に関連するんですよね、、。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-19 08:32
TB、三回目もだめでした。ね式ブログもブラックリストに載ったかいな、、、いや冗談。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-19 08:39
クノチャン、
いやいや、内田先生を鞭打つよりは、もっと激しくシバカナアカン、ほれ、結婚式でベルグソンを引用するあのアホとかいるわけですから。なんかル・モンド読みの某隠居もおかしいなあ、このごろ、ってもう読んでないけど。
内田ハイパーアクティフ教授は単に、そこではフーコーがハリーポッターに従属する、あの消費マシンに捕まってしまっただけでしょう。読者としては、心臓発作を起こす以前にマシンから開放される僥倖をただ待つという、そういうことかと。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-19 08:50
今回の騒動に対するフランス在住者の奮闘ぶりには、頭が下がる限りです。私も、フランスの事情は全く知らなかったので、色々な知見を得ることが出来ました。ありがとうございます。また、すでに騒動もすっかり静まったようで何よりです。
それにしても、フランス系ブログは、内容の充実したものが多いのに、ドイツ系ブログでは、ドイツの状況をきちんと伝えるようなものは余りないような気がします。(私が知らないだけかもしれませんが)この違いは、何なのでしょうか。
内田先生をはじめとして、大学の先生も、自分の専門を一歩出れば、少々物知りなぐらいの素人なので、専門外のことについて間違ったことを書くのは、致し方ないことと思います。
そういえば、サルコジが、新規に極右の支持を得て、この件で人気を高めたという記事を読みましたが、そちらの雰囲気はどんな感じなのでしょうか。
投稿情報: saisenreiha | 2005-11-20 01:26
猫屋さんの 「在仏邦人の〜抱えている」は大変重要な指摘だと思います。
たとえば、アメリカにおける勝ち組邦人の「名誉白人」?の称号で他の中国や韓国、ベトナムのなどからの移民を見下す反吐の出る傲慢さ、何もアメリカに限ったことではないと思いますが、
アジアで孤立する日本は、さらにこの傲慢さで増長して行くんでしょうね。
日本人に「名誉白人」意識を持たせた戦後のアメリカの日本人愚民化政策は、これほどまでに完璧に成功してしまっています。「名誉白人」のガセ称号で、国から勲章を貰って満面の笑みを浮かべるような愚かな老人達になるのではなく「移民社会の要因メンバーにしかすぎない」と言う事実を正視しすることが、日本人としてのアイデンティティーを回復することだと思いますが。
投稿情報: クノちゃん | 2005-11-20 01:33
なんだか、店主がサボってる間にコメント欄が長くなるという、マイナーブログに花が咲いてる。。。
saisenreiha さん、今晩は、子供たちが走ってるエントリ、なんか泣きたい気分になりました。こっちでも走ってる子供がたくさんいますが。
こちらフランスでも、こんなの初めてじゃあないかしら。それぞれの“村”で生息してたブロガーがいっぺんにリンクしたのかもしれません。これが国内の(外も含めて)いろんな“村”のあいだでも起こっているのだとした、うれしいことですが、、、今回の出来事はこの国がいままで“蓋”したままだってもろもろの事項がいっぺんに出たんだと思います。これをマイナスの方向にもっていくか、プラスに持ってくのか、これは(私も含めた)住人にかかってますね。方向性としては、バンリュウだけではない、若い人々がもっと政治や選挙に声や投票やといった形で参加したらいい。ただ、メディアや誘導や、いろいろなテクニックがあるわけで、油断はならない。
フランスの極右を支えた票の多くはトッドの言うように“浮動票”だと思います。共産党や、社会党に幻滅して、あるいは保守党に幻滅して、
きわめてペシミスティックなった時の受け皿でしょう。厳密に言えば、まあ、これはカソヴィッツも書いてたけれど、“思想基盤”のない票です。この9月の日本での選挙もそういった傾向はあった気がする。
いまのところ、ショックからサルコジに強い男のイメージを求める傾向が強いのかな、と思う。これからはどう動くのか、まったく予想がつきません。
あと、内田教授にはハワイにでも行ってゆっくり休養して、読書とかもしてよい仕事だけをやっていただきたいと思うですよ。
クノちゃん、こんばんは。
もう日本のことはある意味理解するのあきらめてるんですが、なんなんでしょうね、日本。私にとって一番重いのは日本語と自分の記憶です。でもこの“日本語”もたえず変わってるでしょう?森鴎外なんて、読めない。なんなんだろうなあ、とか考え込みます。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-20 02:04
猫屋さん
raidaisukiです(わたしは「さま」も「さん」もあまり区別せず、というかむしろ親しみを感じた方に「さま」(漢字でなく)を使ってしまう癖があります。あんまりお気になさらぬように。 m(_ _)m (^_^;) )。
この投稿に皆さんが送られているコメントだけでもずいぶん勉強になります。皆さんどうもありがとうございます。
わたしの方はしばらく Jeune Afrique l'Intelligent 記事の紹介を続けるつもりですが、もう話が横にそれました(それがいのあるそれ方だと思いますけど)。ひと段落つくまで長くかかるかもしれません。
ところでTBについては、どうして猫屋さんからこちらへ届かないのかわかりません。わたしの理解では「Jeune Afrique l'Intelligent の報道(1)」のTBは
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface.php/5e812e8dce9f4a4429e38276a62c658b/3e
に送ればよいのだと思いますが・・・
投稿情報: raidaisuki | 2005-11-20 08:08
猫屋さん、はやっ!
戦時下だというのに、早いお返事エントリ、ありがとうございました。
やっぱり普段から蓄積された知識と明確な考え方をもっていると、ぱっと書けるものなのでしょうか。私はいつも五里霧中な気分です。
ちょっと体調悪かったり用事があったりして、ご挨拶がだいぶ遅くなってしまいました。ごめんなさい。
前エントリでの「フランスの階級は20年前に比べればかなり流動的なものに変化している」というところがちょっと気になっていたので、詳しく説明してくださって感謝です。
また、その一文を読み落としたつもりはなく、だから猫屋さんが「階級はもうない」と言っているのではない、とは思っていました。「階級はある」と確認する形で書いたので、猫屋さんへの反論と受け取られる可能性はあるな、とは思いましたが、そういうものではありません。ということを一応付け加えておきます。
読解力とそれを補う知識、また表現力が自分には乏しいので、色々誤解が生じることもあるかもしれませんが、猫屋さんを初め、他の方々の意見などから勉強させていただきたいと思います。ほんと、お世話になりっぱなしです。
また、内田さんの例の記事、再々読いたしましたが、ユダヤ人の歴史を念頭において、それをモデルとしての話でしたね。「期限が切れた知識ストックのアクテュアリティ」、その通りだったのだと思います。
しかし10年20年前に書かれた本を読んで、フランスの社会構造が現在もその通りであると信じている人は在仏日本人にもいます。生活する場が違うことにもよるでしょうし、そういう方にこちらからは敢えて何も言いません(というのもよくないことなのかもしれません)が、視野を広げる努力は怠ってはいけませんね…と実感します。
Nouvel Obs、私も買いました。買おうかどうしようか迷って目次をめくったら、ドゥルーズが載っていたので即買い。でも全然大した記事じゃなかったですけどね。
他の部分はまだほとんど目を通していません。
他所様で長文、失礼いたしました。
今後ともよろしくどうぞ。
投稿情報: shiba | 2005-11-20 13:19
raidaisuki さん、
今回はTB無事着地したようです。TB用のURLではない、ぺージURLの方に送っていたようです。ご指摘、どうもありがとう。
話がそれる、のもブログのブログたるところだと思います。(猫屋の得意技でもありますが、、)こちらでも、たとえば“意識的”新聞と、個人のブログと、そういったものに触れることがない人々がTVなどを見て、あるいは周囲の人間からの意見でのオピニオン形成というのもあるわけで、“話題”があまりにも直すぎて、どっちに行くのかまったく見て取れないわけです。
shiba さん、
いやいや、このエントリはshiba批判などではなく、言うまでもないか、一種の“バトン”引継ぎでありました。これもブログの使い方なんで、恐縮はしないでちょうだい、と恐縮する。
ま、私は暇なのよ。あともちろん、距離を置いて、時間をとって“正確”な文を書くか、あるいは“熱いうちにたたいて”みるかは選び方の違いなんですが、どうも猫屋はやっぱなんか書きたくなっちゃう、これが“書け”と命令されたらたぶん何にも書かないだろう。あくまでブログだからできることでしょう。
実際の現在のユダヤ系の知識人、には私が挙げたトッドやカソヴィッツがいます(エドガー・モランも)。“傾向”としての彼らの国境を軽く越えてしまう強さはあるね。ただ、(残念ながら)ジェノサイドもディアスプラもジュイッシュに限られた問題ではない、という視点はまだ理解が難しいのかも知れません。
ヌーベロプス、TV・映画案内のために買ってるですよ。通常は新聞が時間的に距離を持って扱えない内容も、週刊誌なら冷静に書くってのがあるんだけど、今回はまだいい記事が出てきてない。なおフィガロのアズズ・ベガグ均等相のインタヴューがあった、
http://www.lefigaro.fr/societe/20051118.FIG0113.html?221633
今回の騒乱事後、TVがどういう立場を取るかで大きく変わってくると思います。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-20 14:17