やっと高速ネット環境が戻って、flapjack氏のブログ経由でbewaad氏の郵政法案批判も目を通した。ル・モンド紙で展開されたフィリップ・ポンス東京支局長の記事と12日にあったポンス氏と読者のチャットも読んだ。以下はね式“小泉と米国”メモです。
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利権について 政治と金、というのは卵と鶏のごとく、どちらが先ともあととも言えるものではない。フランスではもちろん、アフリカ諸国でも、ソ連でも中国でも米国でも政権・行政機関と民間・個人との癒着は多かれ少なかれ存在する。ただ、その“悪”をある程度制御することは可能だし、結果、実際に国々によってこの悪弊の度合いは異なる。システム内にチェックアップし、フィードバックしてバグを修正する機能が備わっているか否かによるだろう。ストやデモがほぼ皆無の日本では、本来は選挙がこのフィードバック機能を果たすもののはずだ。だが自民党政権が続く限り、つまり強力な対抗政党が育ち政権交代が行われない限り、根本的クリーン・アップは不可能と思える。自民党内分裂多党制では、四角い部屋を丸く掃除するようなものだ。
小泉流 フランスでは小泉は好かれていない。必ずしも仏国メディアのせいとは言えないだろう。決定的に論理的ではないからだ。もちろんラテン気質を引きずる仏人には、義理人情や容姿(ド・ビルパンとサルコの戦いが好例)で投票する、あるいはアホサ加減や失言のせいで票を取る(たとえばC大統領)例もある。けれど、新聞や雑誌の詳しい政治論を読んだり政治集会に行く時間がなくても、身内友人には必ず詳しい人間がいて、バーでや夕食時に身内政治ディベイトになるのが通常である。
政治とはあくまでコミュニケーションである。だがこの流通が日本では一方の方向にしか流れていないのだ。
選挙がまったくの人気投票に成り下がるためにはメディア、特にTVの“成熟度”が大きな役割を果たすと思う。同時に、逆説的ではあるが、TVでのディベイトが(これが生TVのすごいところだが)政治家の真理を映し出す瞬間もある。
だがディベイト/コミュニケーション不在の、刺客だの仁義なき戦いだのの屁のひりだし大会のいったいどこに“改革”や、だいたいもともとになる政治なり思想があるのだろうか。
ポンス支局長は小泉首相をポピュリズム・ネオ・リベラルとカテゴライズする。これには私も同意するしかない。(“Charmant autocrate/魅力的独裁君主”については保留。) 政治とはもともと複雑なものだ。だから専門家が必要とされるわけだ。しかし“改革”という一言で選挙戦を押し切るやり方にはどうもいやな気分がしてしまうわけだ。なぜならそうやってケレンで権力を得た政府にいいことはない、からだ。改革と非改革。都市と非都市。旧と新。vsで対立するそれぞれの言葉を定義することなしに急いだ選択を要求するやり方はフェアではない。議会で否決された法案を実現化するために議会を解散することもフェアとは思えない。そして、“改革”の目指す先に何があるのか、少なくともどういうリスクがあるのかと言った質問に対して明確な回答を与えない、これもフェアとは言えない。たしかに、日本の都市部に住む人間にとって一瞬での選択は日常たやすい作業であるにしても。
ホリエモン現象 都市部のフリーターの多くがホリエモンにシンパサイズして自民党に投票したと言う。だがフリーターの全員がホリエモンになれるわけでない。ネオ・リベラルが何をもたらすのか、誰も語ろうとしない。ホリエモンにとっての国家モデルはシンガポールだそうだ。かの地に二年暮らした私は、日本はシンガポールになれないし、なるべきでもないと言い切ることが出来る。あれは、警察国家だ。
日本は社会主義国だったのか 答えはNOだ。たしかに、国家健康保険もない米国に比べればそう言っても間違いではないかも知れない。だが、メディカルケアは別にしても、教育産業のここまでの肥大化を許したのは政府の責任であるし、大卒者の就職率が50パーセントという実情にも政府の責任が大きい。日本の出生率低下の最大の原因は単に教育費を払いきれないからだ。(ちなみに仏国の大学費用は年間登録料500ユーロぐらいだと思う。)
日本政治 戦後長い間、日本の政治は米国といかに付き合うかに限定されていた。バブル後(バブルの要因とバブル後の事後処置のまずさには“悪意”のようなものさえ感じるが、この問題は私の度量を越える)は今回の選挙結果を持ってひとつのピリオドを打ったかに見える。しかし、これからどこに行くのだ。
ブッシュと小泉、あるいはブレアと小泉 ネオ・リベラル・小さな政府論ではブッシュと小泉は確かに類似している。上に挙げた“分かりやすさ”でも似ている。だが、ブッシュにとっての参謀とブレインにあたるチームが小泉にはない。(米国帰り)テクノクラートの取り巻きはいるが、現首相と比較しうる強いキャラクターを持った後継者が出てくるのだろうか。広告代理店はそんなに速く代替を用意できるのだろうか。
もう一点、小泉と他国元首を分かつ点がある。言語化の不在だ。日本政府はイラクへの出兵の理由を明確に言っていない。したがってイラク戦後処理が失敗に終わっても日本国政府には弁明をする理由がないということだ。これまで密着して同じ道を歩んできたブッシュ失脚という場面に至っても、ミスター小泉は得意の“けれん”で窮地を逃れると予想する。(ここまで書いて丸山真男を読み返そうという気になった。)
メディアの役割 TVは解答を出すマジック・ブラック・ボックスではない。TVは物、あるいは思想を売る箱だ。
結論のようなもの この4年間はアフター911でもあり、小泉日本の4年間でもあった。その間に日本は確かに変わった。この夏の一ヶ月間の滞在で私が感じた居心地の悪さはこの変化から来るものだろう。東京は“自然”から遠くなりすぎた。これからは私の好きな下町でもセメント化が進むのだろう。
京都の鞍馬山、桂離宮、そして奈良公園はすばらしかった。寺・宮内庁あるいは国なりが管理する場所にはいまだに“自然”が保存されている。
アメリカ合衆国は何もないところに(先住民を追い払って)建てられた国である。日本の文化、自然を小さな政府はどう守ると言うのか。米国と日本の奇妙な非対称アナロジーはやめて欲しい。
追記 翌日見つけた参考ブログ
フランス公法学研究日誌から フランスメディアの見た日本の総選挙
内田教授の(さすが)鋭い視点 勝者の非情・弱者の瀰漫
「ホリエモンにとっての国家モデルはシンガポールだそうだ。かの地に二年暮らした私は、日本はシンガポールになれないし、なるべきでもないと言い切ることが出来る。あれは、警察国家だ。」めちゃくちゃ同感です(他のところもそうだけど)。
僕のイギリスの友人の一人はシンガポール出身なのですが、シンガポールのあまりの優生学的警察国家ぶりに絶望してイギリスに抜け出したのでした。日本がシンガポールになるなんて考えたくもないです。
ル・ポンス氏と読者のチャットも読みかけています(フランス語を読むのがゆっくりなので)。すばらしいですね。ガーディアンも日本報道についてはちょっとはル・モンドを見習ってほしいなあ。
投稿情報: flapjack | 2005-09-13 05:23
どうも、夜中に白ワイン(マコン)の勢いを借りて書きなぐった誤字だらけの駄文に付き合ってくれてありがとうございます。一部訂正しました。
聞いたところによるとポンス氏はNYでたまたま見た能にショックを受けて、大学に入りなおし日本文学をやったという。たしか猫屋がフランスに来た80年半ばにはすでに東京から記事を送っていた、と記憶します。お名前は忘れちゃったけど日本夫人との間にお子さんもいて、だから日本の若い人の動きにも詳しいんですね。よく日本ネット界でNYタイムスの日系米人記者と比べられてたけど、“年季”がまったくちがう。フランス新聞での日本関連記事のレベルの高さはポンス氏によるところが多い。もちろん彼の視点に同調しないリーダーもいるようですが。(リベでの日本を巡るブログも程度の高いものです。)
しかし日本の政治は困ったもんです。ポンス氏が言うように政治と、ONGなどのムーブメントの間のバイパスは作れないものなんでしょうかね。
投稿情報: 猫屋 | 2005-09-13 14:37
chorolyn殿、《徒然なる日々》のリンク、パクらせて頂きました。
投稿情報: 猫屋 | 2005-09-13 15:10