13年ロンドンに生きて、砲火の洗礼は一度だけではない。92年の夏、ソーホーに引っ越した時はIRAの攻撃だった。夜中に爆破音で眼が覚まされると、息子は裸のまま私の寝室に駆け込んできた。Old Compton通りで爆弾が破裂したときは、息子は何メートルしか離れていない学校に行っていた。近くのパン屋の地下室にいた息子を見つけた。避難していた。あんなに走った事はなかった。あんなに祈ったこともなかった。
この朝、Edgware Roadの直前で車両が突然止まった時も息子のことを考えた。退避命令の前に《主電力停止》と言っていた。でも周りの人たちの悲痛な顔を見ても、車両からの急な退避のさせ方から言っても、本当じゃあないって分かった。
外はカオス/混乱、最初のなきがらと、血とやけど。幹線道路の向こう、ヒルトンは野戦病院に姿を変えていた。でも、だんだん情報が伝わっても、シュール・リアリズム的静寂があった。5個の爆弾、7個、そして今は9個。誰もしゃべらない。みんな互いを見つめている。救急車がサイレンを鳴らす。
Russel suare:爆発があったばかりの駅から出てきたたくさんの乗客が一台のバスにすがり乗る。全員が失敗!携帯電話は機能しない。《神様!ラファエルはまだ寝てますように。まだ家にいますように。》
今朝、新しいジョブを始めるはずだった。シティのまんなか。最初の爆弾が炸裂したところ。私はいつもラッシュ・アワーを避けるし、10時前に公共交通機関を使わない。でも今日は新しい人生の最初の日だった。8時30、いや正確には34分。軽い心と重たいバックパックを背負って家を出た。出る直前に猫のトイレを代えた。生きてるってどういうことなの?4分間の(ネコトイレの)掃除をして、次の電車に乗った。爆発しなかった電車、、、家に帰りつくのに何時間もかかった。汗まみれになって。頭は空っぽで。ラファエルが(家の)ドアを開けて、私を抱きかかえてくれた。2人でただ泣いた。
最初に着いた携帯テキストは《大丈夫?》。《大丈夫でしょ?》。メッセージはうまく届かない。コリンヌはパートナーを探している。クリスティンヌは子供たちを捜している。ロンドンは麻痺して、誰も動こうとしない。聖メリー病院に私はこれから行く:血が必要だろうから。
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猫屋:これはリベラシオンに記載されたロンドンテロに遭遇した人々の書いた文章記事からの抜粋・急訳です。なお仏でのロンドン多発テロ情報はfenestrae ブログ、ロンドン情報はhinakiukさんブログ参照のこと。
A folkcraft product
↑これなんて読むかわかりますか?
投稿情報: みっこ | 2006-03-21 04:08
ア フォークラフト・プロダクトですか?
で、なにか?
投稿情報: 猫屋 | 2006-03-21 14:55